「きっこのブログ」でおなじみのブロガー・きっこが、先日、次のようにツイートしていたのが目に止まりました。


なんだよ、これは。山で遭難した人間をそんな目で見ていたのか、と思いました。開いた口が塞がらないとはこのことでしょう。

きっこは、「オムライス党」と呼ぶ社民党のシンパであることを公言し、特に激しい安倍政権批判で人気ブロガーになったのですが、こういった登山に対する予断と偏見を何のためらいもなく書き散らしているのを見て、あらためて彼女の底の浅さ、危うさを痛感させられた気がしました。

それは、(古い言い方ですが)朝日新聞の”リベラル風”とよく似ているように思います。

前も書きましたが、1950年代半ばに、北朝鮮への帰還事業と並行して「内地に居留する旧植民地出身者を追い出す」ために、旧厚生省が主導した生活保護叩きのキャンペーンが行われたのですが、その際、キャンペーンのお先棒を担いだ朝日新聞には、「こんなに贅沢な朝鮮人受給者」「(受給者の家に行くと)真新しい箪笥があった」「仕事もしないで一日中のらりくらい」というようなバッシングの記事が連日掲載されていたそうです。今のネトウヨが主張する「在日特権」のフォーマットは60年前の朝日新聞にあったのです。

私たちは、”左派的なもの”や”リベラル風なもの”をまず疑わなければならないのです。

もちろん、登山というのはあくまで趣味=遊びにすぎません。登山が趣味の人生であっても、登山より大事なものは沢山あります。新興宗教にのめり込む信者と同じように、仕事そっちのけで登山にのめり込む人間もいますが、そんな人間はハイカー(登山愛好者)の基準ではないし、ましてや憧れでも尊敬の対象でもありません。私が登山ユーチューバーの動画を観て違和感を抱くのはその点です。だからと言って、きっこのような言い草はないでしょう。これではヤフコメなどの下等な”遭難者叩き”と寸分も変わらないのです。

たかが登山の話なのに大袈裟と思われるかもしれませんが、そこには”左派的なもの”や”リベラル風なもの”が依拠するこの社会の本質が露呈されているように思えてなりません。右か左かではないのです。右も左にも共通するこの社会の本質こそが問題なのです。

きっこのブログは、所詮この社会を構成するマジョリティ=規範に依拠し思考停止した薄っぺらな言説にすぎないのです。それでは、差別と排除の力学によって仮構されたこの社会や市民としての日常性の本質に、絶対に行き当たることはないでしょう。きっこは、「現実をかすりもしない」(宮台真司)左派リベラルの弛緩したトートロジーから生まれた(手垢にまみれた”左派リベラル風”の常套句をただ駆使するだけの自称政治通の人たちにとっての)愛玩物アイドルにすぎないのではないか。それがこのような、リゴリスティックな予断と偏見に満ちたもの言いを生んでいるのではないかと思いました。
2022.05.17 Tue l 社会・メディア l top ▲