参議院選挙が公示され、駅前では候補者が揃いのTシャツを着たスタッフを従えて、愛想を振り撒きながら演説をしている光景が日常になっています。

聞くと勇ましい国防の話は多いのですが、もっとも身近で切実な格差社会=貧困の問題はどれも通りいっぺんなものばかりで、候補者がホントに貧困問題の切実性を共有しているかはなはだ疑問です。もとより貧困問題はあまり票になりにくいという側面もあるのかもしれません。

当然ながらどの候補者も物価高の問題には触れてはいますが、それも貧困にあえぐアンダークラスに向けてというより、まだまだ余裕があるミドルクラスの有権者に媚を売るような主張が多いのです。

でも、日本は先進国で最悪の格差社会を有する国です。生活保護の基準以下で生活する人が2000万人もいるような国なのです。

所得から所得税・住民税・社会保険料など租税公課を差し引いた金額が可処分所得ですが、さらに世帯ごとの可処分所得を世帯員数の平方根で割った金額を等価可処分所得と言います。そして、ちょっとややこしいのですが、等価処分所得の中央値の半分に引いたラインが「貧困線」になります。その貧困線に満たない(達しない)世帯員の割合が相対的貧困(率)と呼ばれます。相対的貧困(率)はOECD(経済協力開発機構)で定められた計算式に基づいて算出される国際基準で、そのボーダーラインの可処分所得は2019年で127万円だと言われています。

厚労省が発表した「2019年国民生活基礎調査」によれば、ボーダーラインの可処分所得が127万円未満の国民は、全体の15.4%だそうです。人数で言えば、約1930万人です(上の生活保護基準以下の数値とほぼ一致する)。つまり、日本の相対的貧困率は15.4%で、G7の中ではワースト2位です。

子ども(17歳以下)の相対的貧困率は13.5%、約260万人です。また、ひとり親世帯の相対的貧困率は48.1%、約68.2万世帯です。

日本では、これだけ多くの人たちが可処分所得127万円以下で生活しているのです。127万円を月に直せば10万円ちょっとです。その中から家賃や電気代やガス水道代やNHK受信料!を払い、残りのお金で食費をねん出しているのです。マンションや一戸建ての家を持っているミドルクラスのサラリーマン家庭が口にする「生活が苦しい」とは、まるでレベルが違うのです。

音楽評論家の丸屋九兵衛氏のTwitterを見ていたら、次のようなリンクが貼られていました。


アホな人間は、日本人は何でもすぐ政治のせいにするなどと言って、貧しいのも自己責任であるかのような言い方をするのが常ですが、カナダの大学が言うように、日本の貧困は「世界的にも例の無い、完全な『政策のミス』による」ものなのです。個人の努力が足りないからではないのです(上記のリンクは途中までしか表示されていません。「Twitterで会話をすべて読む」をクリックすると、最後まで表示されます)。

今でも何度もくり返し言っているように、日本には「下」の政党が存在しなことがそもそもの不幸だと言えます。(上か下かを問う)「下」の政治が存在しないのです。

同じ丸屋九兵衛氏は、次のようなツイートにもリンクしていました。


いくら「日本凄い!」と自演乙しようとも、日本がどんどん貧しくなっているのは誰の目にもあきらかです。誰も本気で戦場に行く気もないのに、口先だけの”明日は戦争”ごっこをしている場合ではないのです。

今、必要なのは「下」の政治なのです。フランスでは、「下」の政治を5月革命のDNAを受け継ぐ急進左派とファシストの極右が担っているのですが、日本ではそれが決定的に欠けているのです。

いつものことですが、メディアも政権党を側面から応援するために、格差社会の現実から目を背け”明日は戦争”を煽るばかりです。貧困にあげく人たちは完全に忘れられた存在になっています。彼らの切実な声をすくい上げる政党がないのです。その意味では、今回の参院選も、いい気な人たちのいい気なお祭りのようにしか見えません。
2022.06.29 Wed l 社会・メディア l top ▲