参院選挙は文字通り空しくバカバカしいお祭りで終わりました。

自民党は単独で改選過半数を越えたばかりか、寄らば大樹の陰の「改憲勢力」も3分の2を越え、改憲の発議も可能になったのでした。このように、少なくとも次の国政選挙がある3年後まで、絶対的な数を背景に「やりたい放題のことができる」環境を手に入れたのです。文字通り「大勝」の一語に尽きるでしょう。

もっとも、この選挙結果は大方の予想どおりだったとも言えるのです。メディアの事前の予想も、ここまで自民党が大勝するとは思ってなかったものの、与党が過半数を越えるのは間違いないという見方で一致していました。

これもひとえに野党、特に野党第一党の立憲民主党のテイタラクが招いた結果だというのは、誰の目にもあきらかです。厳しい状況だとわかっていたにもかかわらず、執行部は野党共闘からも背を向け、漫然と(敗北主義的に)選挙戦に突入したのでした。

ところが、開票後の記者会見で、泉健太代表は辞任するつもりはないと断言しています。その無責任な感覚にも唖然とするばかりです。3年後も与党の勝利に手を貸すつもりなのか、と思いました。

そもそも労使協調で業界の利害を代弁するだけの、文字通り獅子身中の虫のような大労組出身の議員たちをあんなに抱えて、何ができるのでしょうか。彼らは、間違っても労働者の代表なんかではないのです。

私は、旧民主党は自民党を勝たせるためだけに存在しているとずっと言い続けてきましたが、とは言え、まさかここまであからさまに醜態を晒すとは思っても見ませんでした。

「野党は批判ばかり」というメディの批判を受けて、泉代表は「提案型野党」という看板を掲げ(そうやってみずからずっこけて)、野党としての役割を実質的に放棄したのでした。そのため、先に閉幕した第208回通常国会では、1996年以来26年ぶりに政府が提出した法案61本が全てが成立するという、緊張感の欠けた国会になったのです。これでは野党がいてもいなくても同じでしょう。

90年代の終わり、メディアは55年体制の弊害を盛んに取り上げていました。何故なら、自民党の支持率の長期低落と(旧)社会党の労組依存による退潮がはっきりとしてきたからです。つまり、彼らが支配してきた議会政治にほころびが生じ始めたからです。そのため、既存政党の、特に野党の再編(立て直し)の必要に迫られたのでした。それを受けて、小沢一郎などが先頭に立ち、野党の支持基盤である労働戦線の右翼的統一を手始めに、小選挙区制と政党助成金制度をセットにした「政権交代のできる」二大政党制の実現に奔走(ホントは暗躍)、その結果「連合」と民主党が誕生したのでした。あれから20数年経った現在、見るも無残な野党の劣化を招き、一方で、選挙を「金もうけ」と考えるような政党まで輩出するに至ったのです。少なくとも政党助成金制度がなかったら、NHK党のような発想は生まれなかったでしょう。

さらにメディアは、今度は「批判ばかりの野党」キャンペーンを展開して野党の骨抜きをはかり、巨大与党の誕生を後押ししたのでした。

津田大介氏は、今回の選挙結果について、朝日のインタビュー記事で次のように語っていました。

朝日新聞デジタル
この10年変わらぬ選挙構図、続く低投票率 津田大介さんが見た絶望

自民、公明の両党が全体の4分の1の得票を得て大勝する。この大きな構図は直近10年間の国政選挙と変わっていない。ただ、安倍元首相に対する銃撃事件があってなお低投票率が続き、NHK党、参政党といった新興政党が議席を確保した2点からは、有権者の既存政党に対する絶望感が見えてくる


(略)投票に行った有権者のなかにも既存政党に対するあきらめが漂っていた。こうした人々の不満を巧みなマーケティングとネット戦略ですくいとったのが、参政党とNHK党だった。


 今回の参院選は、ネット選挙が本格化する嚆矢(こうし)となっただろう。良くも悪くも注目を集めてアクセス数を増やしてお金を集める。そんな「アテンションエコノミー」とも呼ばれる手法の有効性が示された。既存政党への不満が最高潮に達する中、不満を吸い取ることに特化した新興政党が出てくることに対し、既存政党側も対策をとり、ネットを積極的に活用していく必要があるだろう。


そして、最後にいつもの常套句を持って来ることを忘れていません。

 もちろん有権者にとっても投票する際の判断材料が増え、見極める力が問われる。自分で情報を集めて精査し、判断する人が増えることで有権者の投票の質が高まる。そのことが投票率の向上にもつながり、政治への信頼を高めることにもなる。


ビジネス用の言説なのか、ホントにそう考えているのかわかりませんが、こんな生ぬるい駄弁を百万編くり返しても何も変わらないでしょう。この国の議会制民主主義は、もはや「絶望」するレベルを越えているのです。与党か野党か、保守かリベラルか、右か左かのような、非生産的で気休めなお喋りをつづけても何の意味もないのです。無駄な時間を費やして日が暮れるだけです。

バカのひとつ覚えのように何度もくり返しますが、今、必要なのは「上」か「下」かの政治です。求められているのは、「下」を担う政党(政治勢力)です。そのためには、ヨーロッパで「下」の政治を担っている急進左派や極右が示しているように、ネットより街頭なのです。

やはり、お金の問題は大きいのです。安倍元首相銃撃事件の犯人が抱えていた疎外感や怨恨も、 シングルイシューのポピュリズム政党に拍手喝さいを送る人々のルサンチマンも、根本にあるのはお金の問題です。そして、言うまでもなく、お金の問題は「上」か「下」かの問題でもあります。「働けど働けど猶わが暮らし楽にならざりぢっと手を見る」と謳った石川啄木が、アナキズムにシンパシーを抱いたのもゆえなきことではないのです。このままでは「最低限の文化的な生活を営む」こともままならない人々は、ファシズムに簒奪されてしまうでしょう。

泉代表だったか誰だったかが、選挙戦で物価高の問題を訴えたけど、有権者にそこまで切実感はないみたいで訴えが響いたようには見えなかった、と言ってましたが、それは物価高でもそれほど困ってない人たちに訴えていたからでしょう。今の野党は「中」を代弁する政党ばかりです。耳障りのいい政策を掲げて、そのクラスの有権者を与党と奪い合っているだけなのです。
2022.07.11 Mon l 社会・メディア l top ▲