今朝、テレビを点けたら、「モーニングショー」で統一教会の特集をやっていて、金沢大学教授の仲正昌樹氏がリモートで出ていたのでびっくりしました。仲正氏は社会思想史の研究家ですが、昔から新書もよく出しており、雑誌などでもわかりやすい文章を書いていたので、私は比較的早い頃から読んでいました。

仲正昌樹氏が過去に統一教会に入っていたことは私も知っていました。自分でそのときのことを書いていたのを読んだ記憶があります。ハンナ・アーレントについて啓蒙的な文章をよく書いているのも、統一教会の体験と関係があるのかもしれないと思ったこともありました。でも、まさかテレビに出て、自分の学問とは直接関係ない”黒歴史”のことを話すとは思ってもみませんでした。

ただ、自分でも言っていましたが、仲正氏の場合、その性格ゆえか懐疑的な部分を完全に払拭できないまま信仰生活を送っていたみたいなので、完全にマインドコントロール下にあったとは言い難く、テレビで扱う事例としてはあまり参考にならないかもしれません。

私の高校時代の同級生にも、仲正氏と同じように東大で統一教会に入信し合同結婚式で外国人女性と結婚した人間がいます。あるとき、別の同級生から、同級生で彼の結婚をお祝いする会を開きたいという連絡が来ました。それで私は、「何言ってるだ、統一教会じゃないか」「どうして俺たちが信者の結婚をお祝いしなければならないんだ」と差別感丸出しで怒鳴りつけ、以来同級会には行っていません。風の噂に聞けば、彼はその後大学教授になったそうです。

私たちの年代は、桜田淳子の合同結婚式をきっかけにメディアを席捲した統一教会のキャンペーンを知っていますので、統一教会に対してはある程度の”免疫”がありました。駅頭でまるで憑かれたように「統一原理」の理論を延々と語っている若者の姿をよく見かけましたし、夜遅くアパートに北海道の珍味を売りに来た風体が怪しい若者とトラブルになったこともありました。

当時は私たちの身近にも統一教会の影が常にチラついていたのです。海外のポストカードやポスターを輸入する会社に勤めていた頃、すごく買いっぷりのいい顧客がいました。いつもまとめて大量に買ってくれ、しかもニコニコ現金払いでした。しかし、都内の会社だったのですが、FAXと電話でやりとりするだけで一度も会ったことがありません。それで、一度ご挨拶に伺いたいと電話したところ、「いや、結構です」とにべもなく断られました。

それから数年経ち、私も転職していたのですが、週刊誌を見ていたら、ある記事の中にその会社と電話した担当者の名前が出ていたのを偶然目にしたのでした。

それは、保守系の国会議員のスキャンダルに関する記事だったのですが、その中で、議員が統一教会の影響下にあり、秘書も統一教会から派遣された人間で占められているというような内容のことが書いていました。そして、議員を取り込む工作をした中心人物として、得意先であった会社と担当者の名前が上げられていたのでした。記事の中でも、私が納めた商品が額に入れられてセミナー会場などで数万円で販売されていると書かれていました。でも、私が納めたのは1枚千円にも満たない商品です。何のことはない、得意先の会社は統一教会のフロント企業だったのです。

また、同じ頃だったと思いますが、当時交際していた女性のお父さんが病気で急死したという出来事がありました。彼女の実家は、JRのターミナル駅の近くにあって、数億円の資産価値があると言われていました。

ある日、彼女が「最近、変なおばさんが家によく来ている」と言うのです。今まで見たこともない人なので、どこで知り合ったのかお母さんに訊いたら、道で声をかけられてそれから親しくなった、と言うのだそうです。それを聞いた私はピンと来て、「そのおばさん、もしかしたら統一教会かも知れないよ」と言いました。「一回、たしかめた方がいいよ」と。

それから数日後、彼女から電話がかかってきて、「やっぱり、統一教会だった」と言うのです。お母さんに私から言われたことを話したら、お母さんがおばさんに「あなた、もしかしたら統一教会じゃないでしょうね」と問い詰めたそうです。すると、おばさんはお母さんの権幕に気圧されたのか、「ごめんなさい、統一教会です」とあっさり認めたということでした。

恐らく道で声をかけたのも偶然ではなく、家の資産やそのときの家庭状況も把握した上で接近して来たに違いありません。どこかでそういった情報を手に入れているのでしょう。

その頃、統一教会のキャンペーンは、合同結婚式から霊感商法などへ拡大しており、大学では統一教会の名を伏せたダミー団体を使って学生を勧誘したり、街角でも手相などの占いを餌に声をかけてセミナーに誘うという統一教会の活動が次々と可視化されていました。だから、そのときもピンと来たのだと思います。

しかし、ほどなく発生した地下鉄サリン事件など、オウム真理教の一連の事件によってメディアもオウムの方に関心が移り、統一教会はいつの間にか「忘れられた存在」になったのでした。そのため、今は”免疫”どころか、統一教会について何の予備知識もない若者も多いそうです。しかも、統一教会は、分裂騒ぎもあって教団名を変えているのです。昔の統一教会のことを知らない若者が増えたということは、教団にとって好都合であるのは間違いないでしょう。そのための改名だったという話もあるくらいです。

今回の銃撃事件で、「暴力は民主主義の敵」「暴力に屈してはならない」「民主主義を暴力から守ろう」というような常套句が飛び交っていますが、しかし、考えてみれば、銃撃事件がなければ、これほど統一教会のことが取り上げられることはなかったのです。

元首相を銃撃する「許されざる暴力」があったからこそ、統一教会というカルト宗教の問題、特に日本の政界に深く食い込んでいる憂慮すべき問題が再び可視化されつつあるのです。怪我の功名と言ったら不謹慎かもしれませんが、もし今回の銃撃事件がなかったら、統一教会は「忘れられた存在」のままだったでしょう。

私たちは、今回の事件で、言論では微動だにしなかったものが暴力だと簡単に動かすことができるという、この社会の本質とも言える脆弱性を見せつけられたと言っていいかもしれません。同時に、「許されざる暴力」という規範や「話せばわかる」という幻想が、この社会から疎外された人たちにとっては、単なる”不条理”にすぎないことも知ったのでした。今回の事件で「暴力の連鎖」を懸念する声が出ていますが、これほど赤裸々に暴力のインパクトを見せつけられると、それもまったくの杞憂だとは言えないように思います。

どんな立派な意見も、最初に「もちろん暴力がいけないことは言うまでもありませんが」とか「容疑者がやったことは許されることではありませんが」という枕詞(断り)を入れると、途端に「きれいごと」のトンマな言説に見えてしまうのも、暴力のインパクトがあまりにも大きかったからでしょう。自業自得とは言え、言論は為すすべもなく戯画化されているのです。
2022.07.15 Fri l 社会・メディア l top ▲