ホントは全文を紹介したいくらいですが、もちろん、それは叶わぬことなので、もし興味があれば、『紙の爆弾』9月号(鹿砦社)をお買い求めください(いつもお世話になっているので宣伝します)。
タイトルは『「34位」の日本人が生きる道』。記事は次のような文章で始まっています。
スイスのビジネススクール・国際経営開発研究所(IMD)が「世界競争力ランキング2022」を発表した。日本の競争力は二〇二一年の三一位から三四位に低下。これは六三ヵ国を対象に二〇項目・三三三の基準で競争力を数値化したもので、調査開始の一九八九年から九二年まで日本は四年連続一位。その後も二位、三位、四位、四位と上位の常連だった。九七年に一七位に急落し、二十番台が続いたが、ついに三四位まで落ちた。マレーシア(三二位)やタイ(三三位)の下である。
もはや日本は東アジアの没落国といってもいいかもしれない。上位常連のころは、自動車・家電・金融・不動産が活況だったものの、ネット時代以降は社会の変化についていけなくなったようだ。また、かつて世界に五〇%はあった半導体のシェアが 一〇%を切るなど、目も当てられない状態になっている。
(『紙の爆弾』2020年9月号・「格差を読む」”「34位」の日本人が生きる道”)
※以下、引用は同じ。
私がこのブログでしつこいように書いている「ニッポン凄い!」の自演乙も、ここまで来るともはやギャグのように思えてきます。
だったら、日本にとって強みは何があるのか?、と中川氏は考えるのでした。
(略)日本にとっての強みというのは、「物価が安くて食・サービスの質が高く、インフラが整い、歴史もあり、豊かな自然もあり、観光に適した国」というものしかなくなってしまう。あとは魚介類や野菜をはじめとしたグルメ方面か。
自動車も家電もネットサービスも、今後日本が世界で存在感を示すことは難しいだろう。これから考え得る日本の進む道は「観光立国」しかない。となれば、国民の働き先は飲食店やホテルの掃除、コンビニ店員といったところになるだろう。現在、日本の都市部に住む東南アジア系の人々が担っている仕事を日本人がやるということだ。
私は、ほかに風俗と児童ポルノがあるのではないか、と思いました。コロナ前までは、中国人や韓国人の買春ツアーは活況を呈していました。風俗に詳しい人間の話では、外国人専用の派遣ヘルスも多くあったそうです。ガーシーではないですが、外国人相手に大和撫子をアテンドするプロのブローカーも「掃いて棄てるほど」いたそうです。
中川氏は、続けてこう書いていました。
国の物価を示す「ビッグマック指数」においても、もはや日本はタイよりも下である。この三十年間、給料が上がらない稀有な国こそ日本なのだ。
前も書きましたが、日本は「安くておいしい国」なのです。買春する料金も、外国人から見たら格安で「良心的」です。給料が上がらない分、風俗の料金も30年前から上がってないからです。
「Youは何しに日本へ?」でインタビューされている外国人たちのかなりの部分は、ホントは日本に買春に来ているのです。秋葉原に行きたいというのも、ホントは児童ポルノが目当てなのです。昔のJ-POPのレコードを探しに来たとか、地方のお祭りに参加するために来たというのは、奇人変人の部類に属するような稀な例です。
以前、このブログで、若者の間で海外旅行離れが進んでいるという話題を取り上げたことがありますが、今調べてみたら2008年4月の記事でした。既にその頃から没落が顕著になり、私たちも身に沁みてそれを実感するようになっていたのでしょう。
私たちのまわりを見るとわかりますが、格差と言っても、親がどれだけ資産を持っているか、親からどれだけ遺産を受け継いだかによっても違います。起業しても同じです。手持ちの資金にどれだけ余裕があるかによって、どれだけチャンスをものにできるか、どれだけ持ちこたえることができるかが決まるのです。
とは言え、日本にはまだ個人の金融資産が2000兆円弱もあるそうです。それを食いつぶす間は”豊かな幻想”を持つことができるでしょう。一方、金融資産の恩恵に浴することができない人たちの多くは、既にこの社会の中で落ちぶれてアンダークラスを形成しているのです。
安倍元首相を狙撃した山上徹也容疑者の父親は、京大卒で大手建設会社に勤務していたそうです。母親も大阪市立大(現・大阪公立大)卒の栄養士だったとか。旧統一教会に寄付した総額は1億円だったそうですから、遺産も含めて、山上家には1億円の資産があったことになります。もし、母親が旧統一教会に入ってなければ、容疑者が言うように、その資産を使って大学にも行けたでしょうし、今もそれなりの生活を送ることができたでしょう。
今の「それなりに豊かに見える」生活も、単に親から受け継いだ資産が投映されたものにすぎない、と言ったら言いすぎかもしれませんが、没落していく国では、とりわけ親の資産や遺産の多寡によって子の人生が決まる無慈悲な現実があるのも事実です。そもそもスタートが平等ではないのですから、個人の努力の範囲は最初から限られているのです。
私たちの世代は、進学資金や結婚資金やマイホームの頭金などを親から出して貰うのが当たり前でした。じゃあ、私たちは、自分たちの子どもに同じことができるかと言えば、もうそんな余裕はありません。せいぜいが奨学金の保証人になるくらいです。
私は九州の高校を出たのですが、私たちの頃は東京の大学に進学した同級生が100人近くいました。今でも都内で開催される同級会には常時20~30人は集まるそうです。しかし、現在、母校から東京の大学に進学する生徒は数人程度です。それも私たちのような凡人ではなく、超優秀な生徒だけです。
私たちの頃と違って、圧倒的に地元志向、しかも公立志向なのです。つまり、それだけ親に経済的な余裕がなくなっているのです。同級生と話をすると、みんな口をそろえて「あの頃、親はよく仕送りしてくれたな」「考えられないよ」「よくそんなお金があったと思うよ」と言いますが、それが私たちの世代の実感です。
このように、私たちは子どもに残す遺産がないのです。身も蓋もないことを言えば、それだけ貧しくなっているということです。”負の世代連鎖”に入っていると言ってもオーバーではないでしょう。
ネットニュースの編集者でもあった中川淳一郎氏は、こうも書いていました。
おそらく日本で給料が大幅に上がることは難しい。それは、ひとえに、情報の伝播のしやすさの問題だ。英語のサイトが世界中からアクセスを集められるのと比べて、日本語の情報は、ネット上の存在感が極端に低いのである。
とどのつまり、益々没落していくしかないということでしょう。
デジタル革命に乗り遅れたと言えばその通りなのですが、日本語の問題も含めて、そこには日本の社会そのものに起因する致命的な問題があるような気がしてなりません。
日本の企業は、いつまで経っても日本流の生産方式や品質管理が一番いいという「神話」から脱皮できず、そのために世界から取り残されてしまったという話を前にしたことがありますが、ネットの時代になって日本は逆に「愛国」という病理に、そして「ニッポン凄い!」という自演乙に自閉していったのでした。つまり、「パラダイス鎖国」の幻想に憑りつかれ、内向きになっていったのです。そうやっていっそう没落を加速させたのです。
海外に出稼ぎに行くにしても、「壊滅的に英語ができない国民」である日本人には、言語の壁が立ちはだかって難しいと皮肉を書いていましたが、それも笑い話で済まされるような話ではないでしょう。「同じ東アジアのタイやベトナム、カンボジアの方が日本より英語が通じる」現実を前にしてもなお、「ニッポン凄い!」と自演乙しつづけるのは、何だか哀愁を漂わせるピエロのギャクのようにしか見えません。
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