「見てみろ、凄いじゃないか。とうとう内閣の改造まで行ったぞ」と私は彼に言いたくなりました。

鉄パイプに黒のビニールテープを巻いただけの粗末な手製の銃から発射された2発の銃弾が、ここまで世の中を変えたのです。1発目を撃ったとき、まわりにいた人たちは、銃声だと思わなかったそうです。自転車か何かのタイヤがパンクした音のように聞こえたと。そんな粗末な手製の銃が、これほどのインパクトをもたらすとは誰が想像したでしょう。

まるでみずからの不手際を弁解するかのように、事件直後から垂れ流される容疑者の供述。それもまた、今までの事件では見られない異例のものだと言われます。事件直後には、「安倍元首相に対して不満があり、殺そうと思って狙った」という供述がありましたが、すぐに「元首相の政治信条への恨みではない」と「訂正」するような供述に代わっています。またそのあとも、「特定の団体に恨みがあり、安倍元首相が団体と繋がりがあると思い込んで犯行に及んだ」というような供述も発表されたのでした。

専門家の中には、犯行直後にそんな供述をするのは不自然だという声があるそうです。容疑者は、逮捕直後の混乱(興奮状態)の中で、「思い込んだ」と自分の犯行を後悔(否定)するようなことを口にしているのです。時間が経ってから後悔の念に苛まれてそう言うのならわかりますが、犯行直後なのです。

警察がメディアに発表した供述内容が、公判の際、調書に出てないことも多いのだとか。それはあくまで警察が発表した一方的な供述にすぎず、正式な供述ではないのです。

さらには、容疑者を精神鑑定するために鑑定留置することが認められたと発表されたのでした。それも4ヶ月にもわたる長期です。「動機に論理の飛躍が見られる」というのがその理由ですが、たしかに奈良県警が発表した供述に従えば、単なる「思い込み」であれだけの犯行に及んだのですから、「論理に飛躍が見られる」ことになるでしょう。

犯行からひと月が経ちましたが、あらためて暴力が持つインパクトの大きさを痛感させられるばかりです。容疑者は、決行するにあたって、「政治的意味を考える余裕はない」と言ったのですが、時間の経過とともに容疑者の行為はとてつもなく大きな「政治的意味」を持つに至ったのでした。

犯行の翌々日が参院選の投票日でしたが、選挙の結果がどうであれ山上容疑者の銃撃がなければ、これほど日本の政治が旧統一教会に浸食されていたことが白日のもとに晒されることはなかったでしょう。与党の議席がどうの野党の議席がどうのといういつもの報道がくり返されるだけで、胸にブルーリボンのバッチを付けた「愛国」政治家たちと韓国のカルト宗教の蜜月は、何事もなかったかのようにこれからも続いていたでしょう。

前も書きましたが、自民党の改憲案と旧統一教会の政治団体である国際勝共連合の改憲案が酷似しているというのはよく知られた話ですが、「愛国」政治家たちがジェンダーフリーやLGBTや同性婚や夫婦別性に反対して「日本の伝統的な家庭を守る」と主張しているのも、旧統一教会からの受け売りであったことが徐々にあきらかになっています。

今年の6月に開かれた神道政治連盟国会議員懇談会の席で、同性愛は「回復治療の効果が期待できる」「依存症」や「精神障害」であり、「LGBTの自殺率が高いのは社会的な差別が原因ではない」というような内容のパンフレットが配布されたとして問題になりましたが、神道系の議員たちが前はほとんど関心がなかった”性の多様性”の問題に急に関心を持ちはじめ、強硬な反対論を展開するようになったのも、旧統一教会の働きかけがあったからだと言われているのでした。

それどころか、彼ら神道系議員の母体である神社本庁が、日本人をサタンと呼ぶキリスト教系の旧統一教会の影響下に置かれているという、信じられない話まで飛び出しているのでした。神道の信者は数の上では莫大ですが、葬儀や結婚式を神道式で行なう人が稀であるように、実際に信仰している人は少なく、しかも、御多分に漏れず信者の高齢化が進んでいるそうです。そんな中、旧統一教会がNPO法人のような団体名で近づき、若い隠れ信者たちが神社本庁の活動を手足となって手伝い、中には本部の職員に採用された信者もいたそうです。そうやって神社本庁に浸透していったのです。それは、国会議員の選挙運動を手伝って、その議員を取り込み思想的影響下に置くのとまったく同じです。また、神社本庁は内紛によって分裂状態にあるのですが、それも旧統一協会が裏で糸を引いていたのではないかという見方さえあるのでした。

何度もくり返さなければなりませんが、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)は、サタンの日本人は「アダムの国」の韓国に奉仕しなければならないと主張する韓国のカルト宗教なのです。

そんなカルト宗教に日本の「愛国」や「伝統」が簒奪されコントロールされていたのです。岸田首相は昨日の記者会見で否定していましたが、自民党の改憲案や神道政治連盟のパンフレットに見られるように、政権与党の政策が影響を受けていたのではないかという疑惑は拭えません。

神道政治連盟のサイトのトップページには、「日本に誇りと自信を取り戻すため、さまざまな問題に取り組んでいます」と麗々しく謳っていますが、そんな議員たちがよりによって、日本人をサタンと呼ぶ韓国のカルト宗教と密通していたのです。こんなふざけた話があるでしょうか。

国民に「愛国」を説き、国民向けには”嫌韓”を装いながら裏では韓国のカルト宗教にへいつくばりおべんちゃらを言っていたのです。こんな「愛国」者がいるでしょうか。

日本は美しい国、日本人の誇りを取り戻そうと言っていた政治家が、よりによって日本を「エバ国家」と呼ぶ韓国のカルト宗教と三代前から親しい関係を結び、選挙の際は票の配分を依頼するなど、みずから日本の政治のど真ん中にカルトを招き入れていたのです。

2発の銃弾が暴き出したのは、この国の「保守」と呼ばれる政治がまったくの虚妄だったという事実です。「保守」なるものが、「愛国」と「売国」が逆さまになった”戦後の背理”の産物にすぎなかったことがあらためて明らかになったのです。「愛国」や「保守」や「反日」や「売国」という言葉はことごとく失効したのです。

江藤淳は、占領軍の検閲によって、戦後の言語空間は閉ざされたものになったと言ったのですが、そもそも言語空間もくそもなかったのです。保守主義者の江藤淳が見ていたのは虚構だったのです。

今、私たちの前にあるのは、戦後の「保守」政治が見るも無残に破綻した光景です。それを未だに空疎な言葉を使って糊塗しようとするのは、あまりに往生際が悪くみっともない所業としか言いようがありません。ホントに「反日」なのは誰だったか、もう一度自問した方がいいでしょう。国葬なんかやっている場合じゃないのです。

それは、橋下徹や三浦瑠麗や東浩紀らテレビの御用知識人たちの言語も同様です。今回の事件では、彼らの言語の薄っぺらさが晒されるという副産物も生んだのでした。テレビを観ていて呆れた人も多いはずです。

目の前に突きつけられた事態があまりに衝撃的で想像を越えていたためか、彼らは、みずからの常套句で説明することができずトンチンカンを演じてしまった感じでした。わからないことはわからないと正直に言えばよかったのです。彼らが駆使する言語も、現実をかすりもしない単なる口先三寸主義の屁理屈にすぎないことが明らかになったのでした。

このように、一夜にして世の中の空気が一変したのです。旧統一協会に再び世間の厳しい目が向けられるようになりました。また、今まで視野に入ってなかった信仰二世の問題にも、目が向けられつつあります。

自転車のタイヤがパンクしたと間違われるような粗末な手製の銃から発せられた2発の銃弾が、ことの善悪を越えて、、、、、、、、、「凄いじゃないか。やったじゃないか」と言いたくなるような光景を引き出したのです。それは驚き以外のなにものでもありません。
2022.08.11 Thu l 社会・メディア l top ▲