トレイルズ


昨日の8月11日は「山の日」でした。

ネットで調べると、「山の日」を提案したのは、作曲家の船村徹氏だそうです。船村徹氏は山好きで、日本山岳会の会員でもあったので、「海の日」があるなら「山の日」があってもいいんじゃないかと、そんな理由で提案したみたいです。

船村徹氏の提案に、あのコロナで山登りの自粛を呼びかけた山岳4団体(日本山岳・スポーツクライミング協会、日本勤労者山岳連盟、日本山岳会、日本山岳ガイド協会)や自然保護団体、各登山雑誌などが賛同し、超党派の「山の日」制定議員連盟が設立され、制定に向けての活動がはじまったのだそうです。

最終的には、自民党、民主党(当時)、日本維新の会、公明党から、共産党、社民党までの9党が共同で祝日法の改正案を提出して、2014年の衆参両院で可決成立し、「山の日」の制定が決まったということでした。

「山の日」制定議員連盟の会長には、先日、「日本は韓国の兄貴分」というトンデモ発言で批判を浴びた、清和会の最高顧問の衛藤征士郎議員が就いていました。

衛藤征士郎議員は大分県選出の国会議員なので、昔からそれなりに知っているのですが、もう81歳になっていることを知ってびっくりしました。だったら、清和会の最高顧問にもなるはずだと思いました。

私が出た学校の関係で、実家の親たちは衛藤議員の後援会に入っていました。田舎の人間は妙に律義なところがあり、その程度の縁でも大事にするのです。そんな律儀な田舎の人間たちがこの国の保守政治を草の根で支えているのです。

ところで、衛藤征士郎議員がどうして議員連盟の会長で、「山の日」制定の呼びかけ人に名を連ねているかと言えば、同議員が大分県の玖珠郡というところの出身だからです(国政に転進する前は玖珠郡玖珠町の町長を務めていました)。

玖珠郡は、現在、久住連山の表の登山口のようになっている長者原(玖珠郡九重町ここのえまち)があるところです。私の田舎とは久住連山を挟んで反対側にある町です。久住連山の地元ということで、「山の日」制定に動いたのでしょう。

前も書きましたが、私たちが子どもの頃は、私たちの田舎の方が表側の登山口でした。久住連山はもちろんですが、山を越えた先にある法華院や坊がつるも、私たちの田舎と同じ住所です。江戸時代には法華院に国境警備を兼ねた藩の祈願所があったそうで、昔は久住の山を越えて行っていたのです。

それは雲取山と似ています。雲取山も今では東京の山のように言われていて、登山者の9割は東京側(実際の住所は山梨県丹波山村)の鴨沢から登って来るそうですが、昔は逆で埼玉の三峰側から登って来るハイカーの方が多かったそうです。

だから、昔は山小屋も埼玉側の登山道沿いに多くあったし、今唯一残っている雲取山荘の小屋主も秩父の人でした。周辺の山の名前にドッケという秩父の方言が残っていることからもわかるように、雲取山はどっちかと言えば埼玉の山だったのです。奥多摩の風土記などを読むと、大昔、奥多摩に移住して来た人たちも、秩父などから雲取山を越えてやって来たケースが多いのです。

今の自動車道は、谷底を迂回したり、山の下にトンネルを掘ったりして造られていますが、昔は徒歩だったので、ショートカットして山を越えて行くのが一般的でした。そのため至るところに道ができているし、それらをつなぐ尾根上の道もありました。

私の田舎は久住連山の麓にある温泉場ですが、登山シーズンになるとどこの旅館も登山客でいっぱいでした。今と違ってマイカーがなかった昔は山に登るときは前泊するのが普通だったのです。

しかし、九州横断道路(やまなみハイウェイ)が開通してマイカーが普及するようになると、長者原に駐車場が整備されたこともあって、長者原を起点にした日帰りのマイカー登山が主流になったのでした。

そのためかどうか、山名も、山と高原の地図などではいつの間にか「久住山」が「九重山」と表記されるようになり、環境庁の説明文も「九重山」になってしまったのでした。

もうひとつは、深田久弥が久住山を「九重山」、久住連山を「九重連山」と書いたことも大きいように思います。私などから見れば、「くそったれ」と言いたくなるような話ですが、深田久弥に関しては、本多勝一氏が「深田さんは確かに山が好きだったけれど、山と旅をめぐる雰囲気を愛したのであって、『山それ自体』への関心があまり深くなかったのではありませんか」(朝日文庫『新版山を考える』所収「中高年登山者たちのために あえて深田版『日本百名山』を酷評する」)と書いていたのがわかるような気がします。

私は、「九重山」と表記されているを見ると、つい「ここのえやま」と読んでしまいます。私たちの頃は、学校で使っていた地図帳も「久住町、久住山、九住連山」でした。また、最近は下記の「関連記事」で紹介している森崎和江さんの『消えがての道』でも表記されているように、「九重高原」という表記もよく目にしますが、久住町にあるのは久住高原で、九重町ここのえまちにあるのは飯田はんだ高原です。「九重高原」なんてどこにもないのです(『消えがての道』の「九重高原」は久住高原のことです)。

「阿蘇くじゅう国立公園」という呼称も、1986年に阿蘇国立公園に大分県の久住連山が加わることになり、新しい呼称について周辺自治体で議論された際、本来なら「阿蘇久住国立公園」となるべきところ、九重町ここのえまちが「俺たちも九重=くじゅうだ」と言い出し、その結果、折衷案としてひらがなで「くじゅう」と表記するようになったのです。

当時、私の田舎の人たちは、「そんなバカなことがあるか」と憤慨していました。阿蘇は私の田舎からは県境を跨いで隣にありますが、九重町ここのえまちと阿蘇は離れており、同じ地域というイメージはありませんでした。

で、その名称でもめたとき、九重ここのえ側の先頭に立って「九重=くじゅう」説を強引に主張したのが、衛藤征士郎議員だったと言われているのでした。ひらがな表記の折衷案になったのも、彼の政治力のたまものだったのかもしれません。にもかかわらずうちの親たちは、九重ここのえ側の強引な主張には憤慨しつつも、一方で地元でもない衛藤議員を応援していたのでした。

たかが「久住山」が「九重山」に変わっただけじゃないかと思われるかもしれませんが、当事者にとってはそんな簡単な話ではないのです。私たちが暮らす街でも、昔からの町名が如何にも不動産会社が喜びそうな今風な名前に変えられることがありますが、あれと同じで、町名が変わるということは、永年そこで暮らしてきた人々の記憶もそこで遮断されることを意味するのです。

私もこちらに来て町名の変更を経験したことがありますが、マンションに住んでいるような新しい住民はこれで不動産価値が上がるなど言って歓迎しますが、昔から住んでいるの人たちは愛着のある名前がなくなるのは淋しいと反対するのでした。町名変更は、沿線開発を目論む鉄道会社とそれに乗っかかる行政の思惑が一致して行われるケースが多いのですが、結局は多勢に無勢で、「不動産価値が上がる」ような変更に押し切られるのが常です。

記憶は私たちの生きるよすがでもあります。記憶によって私たちのアイデンティティは形成されています。そして、記憶はいろんなものと結びついており、地名もそのひとつです。その記憶が遮断されリセットさせられるのです。私がこんなに偏執狂のように拘るのも、自分の中の幼い頃の記憶がないがしろにされたような気持があるからです。それくらい私たちの幼い頃の記憶は、久住や阿蘇とともにあったのです。

私は、衛藤議員のその政治力を、たとえば登山道の整備にもっと税金を投入するとか、欧米に比べてお金とヒトのリソースが圧倒的に足りない日本の国立公園のあり方を改善するとかいったことに使って貰いたいと思うのですが、そんな問題意識は見られません。地元に対する顔つくりと利益誘導に使われただけです。それは、呼びかけ人に名を連ねていたほかの国会議員たちも同じです。

「山の日」制定にあたって、「全国『山の日』制定協議会」なる財団法人が設立されたのですが、役員の顔ぶれを見ると、日本山岳会などと同じように、お年寄りのサロンのようになっています。年に一回、「山の日」が真夏の8月なので、冷房の効いた屋内で開催地の地名士を集めて記念イベントをやるくらいです。上記のような日本の山が直面している問題に対して、会として何かアクションを起こしているという話は聞きません。

そもそも「山の日」が何のためにあるのかもわからないのです。船村徹氏ではないですが、「海の日」があるので「山の日」も作ろうというような理由で、ただ休みを増やすために付け焼き刃で作った祝日のようにしか思えません。制定の趣旨を見ても、私にはこじつけのようにしか思えません。

「山の日」は認知度が低く、国民からもっとも「不評」な祝日だと言われているそうですが、それは一般ハイカーにとっても同じでしょう。山とは相容れない、妙な政治力みたいなものしか感じられないのです。

ちなみに、久住連山に登るのなら、久住の側からの方が全然楽しいし山に登っている気分を味わうことができます。長者原の登山口は、由布岳もそうですが、あまりにも観光地化されていて、これから山に登る(冒険する)というワクワク感は得られません。久住側はシーズン外だと人が少なく、道も一部わかりにくいところがありますが、その分、本来のトレイルを歩く楽しさがあります。

『トレイルズ  『道』と歩くことの哲学』(A&F出版)の著者・ローバート・ムーアは、トレイルについて、同書の中で次のように書いていました。

  以前、森や都市の公園で標識のない道を見つけたとき、誰がつくったのだろうと疑問に思ったことがある。それはたいてい、誰かひとりでつくったわけではない。道は誰かがつくるのではなく、そこに現れる。まず誰かが試しにそこを通ってみる。そして次の人がそれに続く。つぎつぎにそこを誰かが通るたびに、少しづつルートが改善されていく。


  人間は地上で最初に道を切り拓いたわけでも、最大の開拓者でもない。人がつくる不格好な土の道と比べて、アリの道は明らかに優美だ。哺乳類の多くも道を切り拓くのが巧みだ。どれだけ知性の劣る動物でも、最も効率よく場所を通過するルートを見つめることができる。こうしたことは人間の言語にも反映されている。日本では、デザイア・ラインは「獣道」と呼ばれる。フランスでは「ロバの道」だ。オランダでは「ゾウの道」、アメリカとイギリスでは「ウシの道」という言い方をすることがある。


私たちが山を歩く際に利用するトレイルは、あらかじめブルトーザーで切り拓かれた道ではありません。モンベルが出店したり、人が車でやって来るのに便利なように造られた道ではないのです。

私たちが歩く道は、もともとは山に棲む動物の知恵で自然に生まれた(現れた)ものです。それが長い時間をかけてアップデートされて今の道になったのです。アプリのアップデートにも「履歴」が残るように、道にはそこを歩いてきた者たちの”記憶の積層”があります。私たちはその上を歩いているのです。もちろん、”記憶の積層”は人間のものだけではありません。前に書いたように、トレイルにおいても人間は客体なのです。野生動物や小さな昆虫と同じように、ただの一個の存在にすぎないのです。


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2022.08.12 Fri l 山行 l top ▲