カルト宗教には、カルトとしての、というか、カルトであるがゆえの”もうひとつの顔”があります。そこには、「法難」などというみずからを合理化する便利な言葉もあります。旧統一教会(世界平和統一家庭連合)も例外ではないのです。

私たちは、旧統一教会の”もうひとつの顔”を見逃してはならないのです。そのためには、オーバーだと思われるかもしれませんが、「復帰摂理(復帰原理)」と呼ばれる「セックスリレー」を信仰の柱にする”セックス教団”をここまでゾンビにした、その歴史的背景も含めて考える必要があるのです。

自民党は絶対に旧統一教会と手を切ることはできないと言われるのも、旧統一教会の”もうひとつの顔”と深くかかわっているからです。単に選挙を手伝ってもらったからというような単純な話ではないのです。

自民党は、嵐が過ぎ去るのをじっと待つしかないのでしょう。その意味では、岸田首相の感染も恰好の時間稼ぎになったのかもしれません。

余談ですが、岸田首相の感染に対して、「何やってんだお前」「夏休みで遊んでたからじゃね」「マジでギャグみたいなヤツだな」「遊びまくってコロナにかかるw うけるw」というのがどうして「心ない言葉」なのか。オミクロンとは言え、今は未曽有の感染状況下にあり、医療も逼迫して入院することもままならない状態です。神奈川県の病床使用率も、89%まで上昇し入院はまず無理だと言われています。感染しても軽症だという保障はないのです。コロナに限りませんが、もし入院しなければならなくなったらどうすればいいんだろう、と不安にならざるを得ません。

そんな中、夏休みだといって、マスクもせずにゴルフだ伊豆旅行だと遊び呆けた末に感染したのです。彼はそこいらの無知蒙昧な下級国民ではなく、内閣総理大臣なのです。あまりにもお粗末で、危機意識がなさすぎると言わねばなりません。

岸田首相は、”ウィズコロナ”の幻想に憑りつかれて感染防止策を放棄し、バカのひとつ覚えのように社会経済活動を維持するというお題目を唱えるばかりでした。しかも、行動制限を撤廃する方針を打ち出したことによって、コロナは風邪と同じという間違ったメッセージを衆愚に発信したのでした。その挙句、自分が感染したのです。私も「マジでギャグみたいなヤツだな」と思いました。

閑話休題それはさておき、自民党の萩生田光一政調会長が、今後旧統一教会と「二度と関係は築かないのか?」と記者に問われて、「適切な対応をしていきたい」と曖昧に答え、関係を絶つと明言しなかったのも、旧統一教会の”もうひとつの顔”を怖れているからではないかと思ったりもするのでした。

萩生田光一氏は、八王子市議時代から旧統一教会の施設に出入りしていたと言われていますが、2009年の総選挙で落選した際、教団は信者たちに向かって、「萩生田さんを政界に戻すことが神様の計画」だと言ってハッパをかけていたそうです。また、TBSの「報道特集」によれば、萩生田氏自身も、”浪人”中は頻繁に施設を訪れ、壇上に向かって左側にある文鮮明教祖と韓鶴子夫人の写真に深々と敬礼して登壇し、「私(萩生田氏)もご父母様の願いを果たせるように頑張るから、皆さんも一緒に頑張りましょう。一緒に日本を神様の国にしましょう」と挨拶していたそうです。そんな人間が旧統一教会と手を切るなんて、間違っても言えるわけがないでしょう。

1986年に『朝日ジャーナル』が旧統一教会の「霊感商法追及キャンペーン」を行った際、それを担当した元朝日新聞記者の藤森研氏は、みずからが体験したカルトの”もうひとつの顔”を下記の記事で語っていました。

AERA dot.
旧統一教会「霊感商法」を本格追及した朝日ジャーナル名物記者への非道な抗議と嫌がらせ電話の「中身」

少しでも批判的な報道をすると抗議が殺到するのは、カルトではよくある話ですが、それで効果がないとわかると、今度は「記者本人や家族を標的にするようになった」そうです。

自宅の近くに停められたワンボックスカーの中に、「屈強な若者が何人か乗っていて」ずっとこちらを監視するようになったのだとか。さらには、自宅に嫌がらせ電話がかかるようになり、それは「1日100本以上」にものぼったそうです。

  最初はワゴン車の中にいた男たち。だが次第に家の入り口をうろつくようになった。

  「あまりにもひどいので、こちらも攻勢に出ることにしました。カメラを持って出て行って、証拠を収集するからと言って、バチバチ写した。そうしたら、50メートルくらい離れた公園から見張るようになった」

  ある日、その見張りを巻いてそっと横から近づき、腕をつかむと大騒ぎになった。

  「男は『藤森さん、何するんだよ! 警察呼ぶぞ』って言うから『いい考えだ、一緒に行こう』と、駅前の交番に向かって歩いていった。途中、『電話させてください』って言うから、公衆電話で立ち止まったら、電話かけるふりして突然100メートル11秒ぐらいの感じで逃げていった」


そんな中、1987年から1990年にかけて朝日新聞を標的にした「赤報隊事件」が立て続けに発生し、1987年の阪神支局襲撃事件では、記者2人が散弾銃で撃たれて殺傷されたのでした。当然、旧統一教会も捜査線上にのぼりますが、やがてリストから消えていったのです。

また、最近、有田芳生氏の証言で話題になりましたが、オウム真理教の事件のあと、警視庁公安部を中心に次のターゲットは統一教会だとして準備が進められていたのですが、「政治の力」によってとん挫したそうです。

8月21日に旧統一教会が各メディアに送った「異常な過熱報道に対する注意喚起」という抗議文は、何だか衣の下から鎧が覗いたような文面で、旧統一教会の”もうひとつの顔”がチラついているような気がしてなりません。

この抗議文にも示されているように、一旦関係を持つとそれをネタに脅されて手が切れなくなるという、ヤクザ顔負けの手口も旧統一教会の得意とするものです。”空白の30年”と言われた中でも、『やや日刊カルト新聞』の鈴木エイト氏らフリーのジャーリストたちは、抗議や脅しにめげず取材を続けてきたのです。彼らの地道な取材があったからこそ、ここまで報道が広がることができたのは間違いありません。でも、ここで怯んでいたら旧統一教会の思う壺(!)でしょう。

国際勝共連合については、当初からいろんな”闇”が指摘されていました。その中には、猪野健治氏の著作などに詳しく書かれていますが、「任侠右翼」と呼ばれるヤクザ組織との関係を指摘する声もありました。岸信介は、そんな闇の組織の力も使って、60年安保の大きなうねりを抑え込もうとしたのです。

でも、考えてみれば、60年安保は本来右翼民族派のテーマであってもおかしくないのです。というか、本来はそうあるべきでしょう。これこそ対米従属を国是とするこの国の、「愛国」と「売国」が逆さまになった”戦後の背理”を象徴する光景なのです。そんな中で、岸の手引きで隣国からやって来たカルト宗教に、この国の政治は蝕まれていくのでした。

岸と旧統一教会の関係については、たとえば、次のような話もあります。

1984年に、文鮮明教祖が、アメリカにて脱税容疑で逮捕・拘束された際、岸信介が「日本国元総理」として、時のレーガン大統領に、次のような文氏釈放を求める「嘆願書」を送ったそうです。

300万人近い人々の宗教指導者で国際的にも認められている人物が、このような状況下で米国の刑務所に投獄されていることは私たちにとって非常に気がかりです。大統領閣下、私たちは「宗教の自由」および「言論の自由」を保障した米国憲法修正第一条に基づいて、閣下が直ちに過ちを是正する行動を取るようお勧めするものであります。文師を引続き投獄しておくことは、国家にとっても何ら利益になりません。私たちは閣下がこの問題に注意を向けてくださるようお願いするものであります。

※『紙の爆弾』9月号・「創価学会と岸・安倍家」(大山友樹)より。


300万人近い人々の宗教指導者? 思わず笑ってしまいましたが、岸信介はホントにそう信じていたのでしょうか。

それにしても、これを読んで情けないと思わない日本人はいるのか、と言いたくなるような文面です。これがこの国の「愛国」(者)なのです。そして、こんなお爺ちゃんを尊敬し、その路線を継承した孫が「日本の誇り」と言われていたのです。来月には2億円だか3億円だか税金を使って、国をあげてお別れの会が催されるのです。

前の記事でも書きましたが、旧統一教会は韓国で戦後に生まれた教団であるがゆえに、そこには東アジアの冷戦構造におけるアメリカの反共戦略が色濃く投影されているのでした。時系列で表すとそれがよくわかります。

1945年 ポツダム宣言を受諾(終戦)
1948年 南北朝鮮分裂
1949年 中華人民共和国建国
1950年 朝鮮戦争開戦
1953年 朝鮮戦争休戦
1954年 統一教会設立
1955年 保守合同により自由民主党誕生
1956年 統一教会日本進出
1957年 岸内閣成立
1960年 60年安保(日米安保約反対運動)
1960年 岸内閣退陣
1961年 軍事クーデターにより朴正煕(日本名・高木正雄)が国家再建最高会議議長に就任
1963年 朴正煕大統領に就任
1964年 統一教会宗教法人認可取得
1967年 国際勝共連合韓国で設立
1968年 同日本支部設立
1970年 70年安保(日米安保条約改定反対運動)
1979年 朴正煕暗殺

旧統一教会の設立からほどなく、文鮮明教祖は南北朝鮮分断を目の当たりにして、国際勝共連合の前身となる「勝共運動」をはじめています(ところが、1991年に文鮮明教祖は北朝鮮を訪問して、当時の金日成主席と”義兄弟”の契りを結んだのでした)。そして、朴正煕政権の成立以後はKCIAの庇護を受けるようになります。このように、旧統一教会は、設立当初から”政教一致”と言ってもいいほど、非常に政治色の濃い教団だったのです。

アメリカはのちの中東政策で、 毒には毒をもって制すの論理でイスラム原理主義組織を育成し、現在のイスラム国やタリバンのようなゾンビを生むことになったのですが、それは東アジアにおいても同じでした。中国や北朝鮮や旧ソ連に対抗して、反共組織を育成し利用しようとしたのです。日本における保守合同=自由民主党の誕生も、その脈絡で捉えるべきです。ほどなく岸信介を仲介に、自民党と旧統一教会の蜜月がはじまったのは自然の摂理(!)と呼んでいいかもしれません。

このように日本の戦後のナショナリズムは、最初から対米従属を前提としなければならなかったのです。フジサンケイグループが掲げる、”対米従属「愛国」主義”とも言うべき奇妙奇天烈なナショナリズムがまかり通るようになったのもそれゆえです。でも、それは「愛国」でも何でもないのです。日章旗を振りながら「アメリカバンザイ」と叫んでいるだけです。

「愛国」と「売国」が逆さまになった”戦後の背理”も、日本の戦後を覆った”「愛国」という病理”も、アメリカの反共政策が強いた宿命とも言うべきものです。それが旧統一教会の問題の根幹にあるものです。

何度もくり返しますが、「保守」なるものは虚妄だったのです。最初からそんなものはなかったのです。今回の旧統一教会の問題によって(山上容疑者が放った2発の銃弾によって)、それが白日のもとに晒されたのです。

自民党の「保守」政治家たちは、そんな「アメリカ世」の中で、国民には「愛国」を説きながら、その裏では、岸信介に乞われ、韓国から日帝の植民地支配の”記憶”を背負ってやって来た旧統一教会と密着して(旧統一教会の言うままに)「国を売ってきた」のです。

それは、政界だけでなく、右派学生運動においても同じでした。60年代後半の旧生長の家の学生信者を中心とした右派学生運動と原理研の野合が、時を経て、日本会議や神社本庁と韓国のキリスト教系のカルトである旧統一教会が政治的主張を共有する(もっとはっきり言えば、旧統一教会の影響下にある)ような、今日の「常識では考えられない」関係にまで至っているのでした。

自民党が、旧統一教会やその亜流と手を切ることなど絶対にないでしょう。その証拠に、大手メディアがどうして報道しないのか不思議でなりませんが、今でも多くの若くてきれいで優秀な女性信者たちが、議員会館の自民党議員の事務所に秘書として派遣されています。自民党にすれば、「だったら今までの関係を全部バラすぞ、それでもいいのか?」と脅されたら元も子もないでしょう。旧統一教会を敵に回すなどできっこないのです。
2022.08.22 Mon l 社会・メディア l top ▲