朝日新聞が、先週末(27・28日)の世論調査で、岸田内閣の支持率が前回の57%から47%に「大幅に下落」(不支持率は25%から39%に上昇)したと伝えていましたが、でも、下落したのは10%にすぎません。「大幅に下落」と言うほどではないのです。これだけ自民党と旧統一教会の関係が取り沙汰されても、まだ47%の支持率を維持しているのです。他の新聞も、支持率がいちばん低いのが毎日(20・21日)の36%で、共同(10・11日)と読売((10・11日)はともに51%です。

また、政党支持率に至っては、僅かに下落したとは言え、自民党が他党を圧倒する一人勝ちの状況はいささかも変わりがないのです。二階の「自民党はビクともしない」という発言が「傲慢」だとか言われて叩かれていましたが、傲慢でも何でもないのです。そのとおりなのです。

「日本の誇り」などと言われたときの総理大臣が先頭になって、「反日カルト」に「国を売ってきた」ことがあきらかになったにもかかわらず、日本の国民はこの程度のゆるい反応しか持てないのです。しかも、「国を売ってきた」連中から、どうせ時間が経てば忘れるだろうと見下されているのです。ソウルの市民がテレビのインタビューで、「日本人がどうして韓国のカルト宗教をあんなに支持するのか理解できない」と言ってましたが、それは「日本人はアホでしょ」と言われているようなものです。こんなゆるい反応では大山鳴動して鼠一匹で終わりかねないでしょう。まして、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の「解散命令」など夢のまた夢のような気がします。

でも、「アホ」なのは国民だけではないのです。

今日のYahoo!ニュースに次のような記事が出ていました。

Yahoo!ニュース
時事通信
国葬出席「悩ましい」 党内議論に委ねる意向 立民・泉氏

立憲民主党の泉健太代表は、「国が関与する儀式は一つ一つ重たい。本来であれば基本的に出席する前提に立っている。それが本当に悩ましい」と語ったそうです。何を言っているんだ。その「儀式」が問題なんだろう。下の東京新聞の記事でも読めよ、と言いたくなりました。

東京新聞 TOKYO Web
安倍元首相の国葬、際立つ特別扱い 内閣府設置法の「国の儀式」としては天皇の国事行為以外で初

野党第一党の党首が「法的な根拠のない」儀式を追認してどうするんだ、と思います。それどころか、泉代表の発言は、国葬に反対している運動に冷水を浴びせるものと言っていいでしょう。

こういった発言をするのは、泉代表が社会運動の経験がないことが大きいような気がします。前も書きましたが、スペインのポデモスもギリシャのシリザもイギリスのスコットランド国民党も、もちろん緑の党も、どこも地べたの運動の中から生まれた政党です。「ミクロからマクロへ」という言葉がありますが、目の前の生活課題や政治課題を問う運動の集積として政党があるのです。泉代表は、そんな運動とはまったく無縁な政治家です。どちらかと言えば自民党や維新の政治家に近いタイプの政治家です。

今の旧統一教会と自民党のズブズブの関係が白日の下にさらけ出され、野党第一党の立憲民主党にとってこれほど大きなチャンスはないはずなのに、政党支持率はいっこうに上がらず、相変わらず10%前後を低迷しています。実際に、通常の議会政治における与野党のバランスから言っても、もはや「野党第一党」と言えるほどの勢力を持っているわけではありません。

このように立憲民主党はみずからずっこけて”敵失”を演じ、自民党に塩を送るばかりです。それは今に始まったことではありません。得点を入れるチャンスが来ると、何故かいつもゴール前で転んで(しかも自分で転んで)みすみすチャンスを逃すのでした。まるで得点を入れたくないかのように、です。”兄弟党”である国民民主党が本音を晒して自民党にすり寄っていますが、国民民主と立憲民主がどう違うのか、明確に答えることができる人はどれだけいるでしょうか。

先の参議選でも、選挙前の予想では自民党が議席を減らすのは間違いないと言われていました。立憲民主ら野党にとっても議席を回復させるチャンスがありました。でも、安倍銃撃事件があったとは言え、そのチャンスを生かすことができなかったのです。ひとりで勝てる力もないのに、共産党との野党共闘を拒否して自民党にみすみす議席を譲った一人区も多いのです。

にもかかわらず、執行部は責任を取らず泉代表は居座ったままです。党員たちも執行部を一新させることさえできなかったのです。一応目先を変えるために、”昔の名前”を呼び戻したりしていますが、「責任を取らない政党」というイメージは変わっていません。それが、立憲民主党に対する不信感や失望感につながっているのは間違いないでしょう。

そんないい加減で無責任な総括の背後に、スポンサーの連合の影がチラついていることをみんな感じています。泉代表の厚顔無恥な居座りを支えているのが、連合のサザエさんであることを国民はわかっているのです。

連合は未だに「反共」を旗印にした二大政党制なるものを希求し、今や改憲勢力の中に入った国民民主党を支持する姿勢も変えていません。連合が「反共」に執拗にこだわるのは、連合の執行部が、サザエさんも含めて、旧統一教会と思想を共有していた旧民社党の流れを汲む勢力に占められていることと無関係ではないでしょう。そんな連合にとって、泉代表は都合のいい存在なのだと思います。

泉代表が”対決型”ではなく”政策提案型”野党を掲げたときから、こうなることは目に見えていたのです。でも、その”自滅路線”を誰も止めることができなかったのです。止めようともしなかったのです。

吉本隆明の受け売りではないですが、既に日本では、家計消費がGDP(名目国内総生産)の50%以上を占めるようになっています(2020年は52.0%)。それに伴い、ちょっと古いですが、総務省統計局が国勢調査に基づいて集計した「産業別15歳以上就業者数の推移」を見ても、2007年(平成17年)の時点で、第三次産業の就業者数は全体の67.3%を占めるに至っています(第二次産業は25.9%、第一次産業は5.1%)。一方で、厚生労働省が発表した2021年の「労働組合基礎調査」によれば、労働組合の推定組織率は全労働者の16.9%(1007万8千人)にすぎません。連合に加入する組合員は約700万人と言われていますので、連合の推定組織率は12%前後です。

「生産」と「消費」を社会との関連で考えると、生産に携わる労働者を主眼に置く旧来の左翼的な思考が既に失効しているのはあきらかです。つまり、労働者の概念自体を変えるべきなのです。労働組合も、学校の生徒会と同じような役割においてはまだ有効かもしれませんが、社会運動として見た場合、組合員たちも昔と違って政治的に保守化しており、ほとんど存在意味を失くしているのは事実でしょう。もとより、連合に組織された12%の労働者は、大半がめぐまれた正社員(正職員)にすぎないのです。

立憲民主党は、「現状維持&少し改革」程度の”保守中道”の政党です。にもかかわらず、労働戦線の右翼的統一=連合の誕生と軌を一にして生まれた旧民主党の組織を引き継いでいるため(連合の組織内候補を引き継いだため)、連合をバックにした労組の論理を内に抱えたまま、今日の凋落を迎えてしまったのでした。

労組が「現世利益」を求めるのは当然ですが、ただ連合などの根底にあるのは、生産点(生産の現場)で油まみれで酷使され搾取される人々=労働者みたいな古色蒼然とした”左翼的概念”です。もちろん、彼らは左翼ですらなく、旧同盟=旧民社党の流れを汲む右派労働運動のナショナルセンターにすぎません。ただ、「現世利益」を求める方便として、換骨奪胎された”左翼的概念”が便宜的に利用されているのでした。

でも、”左翼的概念”は歴史的役割を終えています。むしろ、企業の論理から身をはがして、「消費」や消費者という発想に立った方が、ひとりの生活者として、今の社会のあり様や問題点も視えてくるものがあるはずです。階級的視点は、生活者のそれとも重なるのです。それが、今の資本主義が私たちに要請する思考のあり方でもあるのだと思います。

たとえば、家計消費がGDPの半分以上を占めるようになった現在、従来の労働組合によるストライキだけでなく、消費者のストライキもあって然るべきでしょう。労組のストライキが賃上げや待遇改善など企業内にとどまるのに対して、消費者のストライキ=不買運動は企業を外から直撃するラジカルな性格を持っており、その社会的なインパクトは労組の比ではないはずです。

一方で、東電労組に見られるように、ときに労組が企業の論理を代弁して社会運動に敵対するケースも多くなっています。リストラに伴ういじめなどに関しても、労組が会社側に立つケースも見られます。学校のいじめ問題や生活保護などに対する違法な”水際作戦”の問題でも、労組が機能していないどころか、管理者の側に立っていることも多いのです。

今、求められているのは、右か左かではなく上か下かなのです。「反共」という右のイデオロギーにふりまわされる時代ではないのです。まして、日本の「保守」が主張する「反共」が文鮮明の思想をトレースしたものにすぎないことが、旧統一教会をめぐる問題ではっきりしました。「愛国」や「保守」や「反共」は虚構だったのです。

しかし、立憲民主党は古い概念に囚われたままです。消費者や市民という視点は二の次に、「反共」イデオロギーに固執して、未だに連合にふりまわされているのでした。本来の意味におけるリベラルでさえないのです。プロ野球のシーズンが終わると、監督が親会社の社長(オーナー)に報告に行くのと同じように、選挙が終わると代表が連合の会長に報告に行くような政党なのです。だから、参政党のようなデマゴーグ政党にも票を奪われるのでしょう。

ましてや、スーツの襟に、「極右」(旧統一教会のエージェントの別名)の証しであるブルーリボンのバッチを付け、希望の党から国民民主党を渡り歩いた政治家が代表に就くなど、立憲民主党にとって本来あり得ないことだったし、あってはならないことだったはずです。泉代表は、旧民主党や旧新進党時代は代表選で前原誠司氏や細野豪志氏を推薦しているように、もともと彼らに近い政治家です。もちろん、連合の意向もあったのでしょうが、立憲民主党はそんな政治家を党の顔として選んだのです。下手すれば、党内で意に沿わないことがあると、グループを引き連れて離党し、再び前原氏と合流ということだってあるかも知れません。

今回の旧統一教会の問題にしても、立憲民主党には、安倍一族を筆頭とする「愛国」政治家たちによって「国が売られていた」事実を突きつけるような、ラジカルな視点はありません。国葬に対しても、党の代表が出席したいと言っているくらいですから、本音では反対しているわけではないのでしょう。

今まで何度もこの台詞をくり返してきましたが、立憲民主党が野党第一党である不幸をあらためて痛感してなりません。もはや立憲民主党は、「よりまし」でも「次善」でもないのです。「野党第一党がこれ以上弱くなったらどうするんだ?」「 自公の暴走をこれ以上許していいのか?」  そんな脅しに屈せずに、きっぱりと立憲民主党に引導を渡すべきでしょう。


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2022.09.02 Fri l 社会・メディア l top ▲