安倍銃撃事件からやがて2ヶ月が経とうとしています。事件をきっかけに、「30年の空白」を経て再び旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の問題がメディアに取り上げられるようになったのですが、この問題に対する言説にも微妙に変化が出てきたような気がします。私なりに解釈すると、それは三つに分類できるように思います。

一つ目は、橋下徹や古市憲寿や太田光や田崎史郎らが言う、旧統一教会と言えども「信仰の自由」は認められるべきだ、という意見です。要するに、旧統一教会の宗教と政治活動の顔を分けて考えるべきだと言いたいのだと思いますが、そもそもカルトというのは、宗教活動と政治活動を分けられるような性格のものではありません。だからカルトなのです。そういったカルトに対する認識が欠落したお粗末な言説、いうか屁理屈と言わざるを得ません。

彼らの屁理屈は、韓国で世界平和統一家庭連合の信者たちが、日本の報道に対して抗議デモをした際に掲げていた、「宗教弾圧をやめろ!」「信仰の自由を尊重しろ!」というスローガンとまったく同じです。このようなカルトが何たるかも考えない単細胞な屁理屈こそカルトの思う壺(!)と言えるでしょう。

橋下徹は、旧統一教会の宗教的な部分まで規制するのは、憲法第20条の「信教の自由」に反すると言ってましたが、それを言うなら、まず後段の「政教分離の原則」を問題にすべきでしょう。ちなみに、憲法第20条は次のように謳われています。

1  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2  何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3  国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。


公明党の石井啓一幹事長は、4日の「NHK日曜討論」で、宗教法人への寄付について、「重要なのは、本人の自由意思で行われたかどうか。自発的な意思で行われたかどうかということが重要だ」と述べたそうですが、問題はそういったところにあるのではなく、その先の心理学等を駆使した現代の宗教的帰依、つまり洗脳(マインドコントロール)にあるのです。旧統一教会の信者たちだって、縛られたり殴られたりして強奪されているわけではないのです。創価学会の信者たちと同じように、自発的に献金しているのです。だから、問題があるのです。石井幹事長の発言は、天に唾する”苦しい弁解”のようにしか聞こえません。それより、今回の問題をきっかけに、自民党と公明党=創価学会の関係も含めて、政治と宗教の問題を根本から問い直すべきなのです。

朝日新聞デジタル
公明・石井幹事長「自由意思を妨げるような寄付の勧誘は対策を」

二つ目は、細野豪志やパックンや安倍応援団だった右派文化人たちに見られるような、旧統一教会の問題にいつまで関わっているんだ、もっと大事な政治案件があるはずだ、という意見です。でも、今回の問題で、憲法改正や夫婦別姓やLGBTや外交防衛など、国の根幹に関わる「大事な政治案件」が、韓国のカルト宗教の主張をそのままトレースしたものにすぎなかったことがわかったのです。日本はそんな国だったのです。

日本の政治の深部まで「反日カルト」に蚕食され、安倍元首相に代表される日本の「保守」政治家たちが、「愛国」を隠れ蓑に「反日カルト」に「国を売っていた」のです。旧統一教会の問題は、とてもじゃないけど、「いつまで関わっているんだ」というような、そんな軽い問題ではないのです。それこそ徹底的に究明しなければならない、「日本終わった」ような問題なのです。細野豪志やパックンらの言説は、そんな世も末のような深刻な問題に蓋をしようとする、きわめて反動的で悪質な詭弁としか言いようがありません。パックンはハーバード大出身がウリで、ニュース番組のコメンテーターなどにも起用されていましたが、何だかここにきて馬脚を露わした気がします。

三つ目は、一部のジャーナリストたちに見られますが、旧統一教会と政治との関わりについて、実態はそれほどでもなく、教団が自分たちを大きく見せるためにオーバーに言っているにすぎない、という意見です。それどころか、古参信者の中には、韓国の本部と手を切り日本の支部が”独立”して、純粋な宗教団体として出直すべきだという声もある、と”怪情報”を披瀝するジャーナリストもいます。

古参信者というのが、ポリタスTVの中で樋田毅氏が話していた人物と同じなのかどうかわかりませんが、たしかに、文鮮明教祖が亡くなったことで教団の求心力が落ちたところに、遺族の間で跡目争いが勃発して、教祖の家庭が教団名とは真逆にバラバラになったので、嫌気が差したというのは考えられなくもありません。しかし、相手はどんなウソでも平気で言うカルトなのです。だからと言って、宗教的な帰依がなくなったり、憲法改正して日本を「神の国」にするとか、「エバ国」と「アダム国」を自由に往来できるように日韓トンネルを掘るとかいった、文鮮明の”御託宣”から自由になっているわけではないのです。仮に今の体制に嫌気が差しているとしたら、むしろ逆に、かつての生学連(生長の家学生会全国総連合)のように、原理主義に回帰してより過激になっていくということも考えられます。彼らは、文鮮明の悲願を達成するために、長い時間をかけて、日本の政治の奥深くにまで触手を伸ばしてきたのです。その”持続する志”は、今のようなバッシングで萎えるような、そんなヤワなものでは決してないでしょう。

あれだけ共産主義を悪魔の思想のように言っておきながら、ある日突然、(日本からふんだくった)2千億円とも言われる持参金を持って北朝鮮を訪問して、金日成と”義兄弟”の契りを結ぶという、天地がひっくり返るような出来事があったにもかかわらず、彼らの文鮮明に対する帰依心はゆるがなかったのです。なのに今になって、霊感商法を反省して宗教の原点に帰るみたいに言うのは、眉に唾して聞く必要があるでしょう。

どんな手段を使ってでも目的を達するというのがカルトです。そのためにはどんな風にも装うしどんなことでも言います。私は、むしろ、カルトを過小評価し軽視することの怖さを覚えてなりません。

霊感商法や多額の寄付などの被害者(信者)を救済する必要があるという声を受けて、政府が今日から電話相談窓口を開設するそうです(ただし今月末までの期間限定)。また、河野太郎消費者担当大臣もさっそく得意のパフォーマンスで、消費者庁に「霊感商法等の悪質商法への対策検討会」の設置を命じたそうですが、その実効性はともかく、もしかしたら、被害者救済にも教団がダミーを使って介入してくる可能性さえあるのではないかと思ったりもするのです。カルトはなんでもありなのです。

それにしても、急に電話相談をはじめるなど白々しいにもほどがあります。じゃあ、安倍銃撃事件がなかったら何もしなかったのか。今まで通り知らぬ存ぜぬを決め込んで、「反日カルト」との蜜月を送っていたのかと言いたくなります。

山上容疑者の行為を美化するのかと言う声もありますが、事件後の流れを見ると美化したくなる人間の気持もわからないでもありません。山上容疑者の犯行があったからこそ、このように旧統一教会の問題が表に出て、政府も相談窓口を設置したのです。言論の自由と言いながら、それまで(30年間)メディアは何も報道しなかったのです。言論の自由は絵に描いた餅にすぎなかったのです。民主主義が機能していなかったから、テロが義挙として美化されることになるのです。

先日、本村健太郎弁護士が日テレの「情報ライブミネヤ」で、次のように発言していたそうです。

ディリーニュース
本村弁護士、旧統一教会「布教活動が違法と司法判断」解散申し立てないのは「怠慢」

  宗教法人法第81条(解散命令)の条文には「著しく公共の福祉を害すると認められる場合」「宗教団体の目的を著しく逸脱した場合」とあり、本村氏は「これには十分、すでに該当しているはずなんです」と説明。「文化庁、行政の怠慢だと思います。文部科学大臣が権限を行使して早急に、あるいはとっくの昔に裁判所に統一教会の解散命令申し立てをするべきだったんです」と切った。

  本村氏は2001年の札幌地裁が統一教会の布教活動の違法性を認定した判決を下しており、最高裁まで争われたが、確定判決となっていることも説明。「すでに裁判所は統一教会のやっている布教活動そのものが違法であるという司法判断が下っているんです。最高裁で確定しているんです。にもかかわらず行政、あるいは政治家の方がやれることをやっていないだけなんですね」と“怠慢”をあらためて強調した。
(上記ディリニュースの記事より)


まさにこれが旧統一教会をめぐる問題の肝で、私たちがめざすべき終着点だと言っていいでしょう。でなけば、元も子もないのです。それこそ大山鳴動して鼠一匹で終わるだけです。

一方で、まだカルト認定してないうちに、感情だけで「解散命令」に走るのは危険だ、という意見がありますが、だったら、カルト認定って誰がするのですか?と問いたいのです。裁判官が異端審問官のように、「はい、これはカルトです」と認定するのか。本村氏が言うように、既に「布教活動の違法性を認定した判決」が最高裁で確定しているのです。現に信者本人だけでなく”信仰二世”の問題も出ているのです。

「自由の敵に自由を許すな」という言葉がありますが、「自由の敵だとまだ認定されないので、自由の敵にも自由を認める」と言ったら、自分の自由は守れないでしょう。旧統一教会がいつも衝いてくるのはそこなのです。その一方で、教団を批判するジャーナリストなどに、あれだけの脅迫や嫌がらせを行ってきたのです。今も批判的なメディアに対する抗議はすさまじいものがあると言われています。

ウクライナがヨーロッパにおける重要な拠点なので、ロシア侵攻の前から、国際勝共連合がアゾフ連帯を支援していたという話があります。と言うと、ロシアを利する陰謀論だと言われるのがオチですが、カルトとネオナチは親和性が高いということを忘れてはならないのです。

教団は、一連の報道に対して、宗教弾圧だ、集団ヒステリーだ、魔女狩りだと言っています。そういった教団の常套句と、まだカルト認定されてないとか、感情に走っているとかいったわけ知り気の口吻は、見事なほど共鳴しているのでした。それは、オウム真理教の坂本弁護士一家殺害事件などでも見られた言説でした。中にはカルト認定できるような新しい法律を作ればいい、と主張する声もありますが、その方がはるかに危険でしょう。もっとも、テレビで感情に走っているとか言っている弁護士は、旧統一教会の問題とはもっとも遠いところにいるようなタレント弁護士ばかりです。

このようにいろんな言説が出ていますが、その多くは問題のすり替えにすぎません。そうやってものごとの本質が隠蔽されていくのです。私には、早くも腰砕けに終わりそうな兆候のようにしか見えません。でも、旧統一教会の問題を”ありふれた話”として終わらせてはならないのです。大手新聞のようなオブスキャランティズムに回収させてはならないのです。

4日の「NHK日曜討論」では、自民党の茂木幹事長が、自民党と旧統一教会の関係を指摘されると、「共産党は左翼的な過激団体と関係があると言われてきた」と発言して物議をかもしていますが、それなども旧統一教会から吹きこまれたトンデモ話ではないのかと思ってしまいました。日本共産党と「左翼的な過激団体」が不倶戴天の間柄で、「反革命」「トロッキスト」と罵り合っているのは常識中の常識です。政権与党の幹事長がそんな初歩的なことも知らないのかと唖然としました。それこそ立憲民主党を「極左」と呼ぶネトウヨと同じレベルの話で、公安調査庁の報告書も読んだことがないのかと思いました。

旧統一教会の彼らは今もなお、丹沢の山ヒルのように日本の政治の深部に張りついたまま、じっと息を潜んで嵐がすぎるのを待っているのです。自民党が調査したと言っても、ただアンケート用紙を配っただけです。ここに至っても自民党が、どうしてそんな子どもだましのようなやり方で切り抜けようとしているのかと言えば、旧統一教会と手を切ることができないことを彼らがいちばんよくわかっているからでしょう。

本村弁護士が言う「怠慢」も、政治との蜜月と連動しているのは間違いないでしょう。オウム真理教は政権与党とつながりがなかったので「解散命令」が下されたけど、旧統一教会は政権与党と親密な関係にあるので「解散命令」が下されることはない、という見方はまったく的外れとは言えない気がします。そこに日本の問題があるのです。旧統一教会をめぐる問題は、戦後史の闇と言っても言いすぎではないのです。そういった背景も考える必要があるでしょう。

立憲民主党などの野党も、何故かその「怠慢」を指摘していませんし、宗教法人法による「解散命令」を視野に入れた主張もしていません。できもしない新しい法律で対処するようなことを言うだけです。まして、野党の中にも「鶴タブー」が存在するのか、「政教分離」の問題は俎上にすらのぼってないのです。
2022.09.05 Mon l 社会・メディア l top ▲