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『Newsweek』(9・13号)で、ノンフィクションライターの石戸諭氏が、「統一教会を『絶対悪』と見るべきか」というタイトルの記事を書いていました。

石戸氏も、教団と政治の関係は実はあまりたいしたものではなく、ただ、教団が自分たちを大きく見せるために誇大に宣伝しているだけだ、「信用保証」に使っていただけだ、と書いていました。教団が叩かれているけど、「政治との距離や信者の実態は正確には知られていない」と言うのです。

そして、石戸氏は、「カルト信者の脱会支援」を行っている瓜生崇氏の次のような言葉を紹介していました。

「(略)宗教が政治に訴えるのは自由です。教会が『反社会的』だから政治に関わってはダメだという主張もある。でも、伝統宗教だって寄付やお布施の問題はあるし、統一教会も69年以降は霊感商法もかなり減っている。今、違法な行為に手を染めていない信者はどうなりますか? 暴力団と同じ扱いにするなら信仰を理由に銀行口座開設も許されなくなる」
特定の宗教を法人としてつぶしたところで、信者の信仰は続く。だが、届け出も登録もなくなってしまった宗教は地下に潜ってしまい、問題を起こしたとしても責任を取る主体すら明らかでなくなる。過激な言葉で統一教会を批判する人々は、どこまで考えているのかと瓜生は思う。


仮に教団に「解散命令」が下されても、瓜生氏が言うように「信仰を理由に銀行口座開設も許されなくなる」ということはありません。宗教法人法と、いわゆる暴対法や全国の自治体で施行されている暴力団排除条例を混同すること自体メチャクチャです。

瓜生氏は、私も信仰する浄土真宗大谷派の僧侶だそうですが、旧統一教会の問題を考えるのに、憲法20条の「政教分離」の問題にもまったく触れていません。それも驚きでした。それどころか、宗教が政治に接近するのは自由だとさえ言うのでした。

石戸氏は、記事の最後に、「〈自分たちは絶対善の正しい存在、相手は絶対悪〉という思考こそがカルト的な思考なのです。社会がそれにとらわれてはいけない」という瓜生氏の言葉を紹介していましたが、悪人正機を説教したにしても、あまりにも粗雑な現状認識と言わざるを得ません。日本はカルトに「鈍感」だと言われていますが、もっと「鈍感」になれと言っているようなものです。これでは、旧統一教会を擁護するのかと抗議されでも仕方ないでしょう。

私も前に仕事の関係で、旧統一教会とは別のカルト宗教の二世信者の若者とつきあいがありましたが、私の経験から言っても、彼らが社会に適応するのは至難の業だと思います。

もちろん、同じ信仰二世でも濃淡があり、信仰にどっぷり浸かっている人間と信仰と距離を取っている人間がいると思いますが、瓜生氏や石戸氏が取り上げているのはどうも後者のようです。でも、実際にそういった例は少ないのではないか。

山上徹也容疑者のように、カルトに狂った親の元に生まれ、信仰とは別に、半ばネグレクトのような扱いを受けて育てられた子ども対しては、援助の仕組みを設けて社会が受け入れる体制を作ることは必要だと思います。

ただ、一方で、カルトの家に生まれ、親とともにマインドコントロール下に置かれて信仰を余儀なくされた子どもが信仰から離れるのは、傍で考えるほど簡単なことではないと思います。たとえはよくないかもしれませんが、虐待の世代連鎖というのがあるように、育った環境はときに理不尽でむごいものでもあるのです。昔、親がよく「血は汚い」と言っていましたが、親と子の関係は傍で考えるほど簡単ではないのです。

あまり過剰に教団を叩くと、二世信者たちが社会から孤立して益々行き場がなくなると言いますが、しかし、孤立するも何も彼らは最初から社会に背を向けているのです。そういった前提も考えずに安易な「ヒューマニズム」で救済の手を差し伸べるだけなら、前も書いたように、逆にカルトに利用されるのがオチでしょう。

実際に、教団が全国の消費者センターに接触しはじめているとして、全国弁連(全国霊感商法対策弁護士連絡会)が注意を喚起したという報道がありました。

毎日新聞
「旧統一教会が消費生活センターに接触」 全国弁連が注意喚起

  全国弁連によると、8月下旬以降、名古屋市や大阪府、広島県などにある、少なくとも全国8カ所の消費生活センターに、旧統一教会の地元教会から来訪や電話で「(教団に関する)相談には誠実に対応するので、連絡してほしい」という趣旨の申し出があったという。全国弁連は1日、消費者庁所管の独立行政法人「国民生活センター」に、こうした申し出に応じないよう全国の消費生活センターへの周知徹底を求めた。


カルトはどんなことでもするのです。だからカルトなのです。これを差別だと言われたら言葉もありませんが、カルトの本質を軽視してはならないのです。

テレビに出て来る信仰二世を見ると、ごぐ普通のどこにでもいる若者が親の信仰で悩んでいるように見えますが、マインドコントロールされてない若者の方が取材に応じるという事情も考慮に入れる必要があるでしょう。哀しいかな、子どもは親を選べないのです。カルトに狂った(はまった)親に育てられた子どもが、社会になじめないのはある意味で当然なのです。まずそういった共通認識を持つことが大事でしょう。

信者やその子どもたちを「被害者」として捉えて救済の手を差し伸べ、社会が温かく迎えるというのはとてもいいことですが、しかし、そのやり方は教団には通用しないと思った方がいいでしょう。たとえば、一時山上徹也容疑者の母親を引き受けていた弁護士の伯父さん(母親の義兄))などは、それをいちばん痛感しているはずです。

東洋経済 ONLINE ※追記(9/10)
山上容疑者を凶行に駆り立てた一族の「壮絶歴史」
統一教会からの「返金終了」が山上家貧窮の決定打

やはり、為すべきことは教団の活動に対する規制です。「解散命令」も視野に入れた規制が必要なのです。それが信仰二世の問題なども含めた、旧統一教会をめぐる問題の解決策だと思います。大前提と言っていいのでしょう。

石戸氏は、政治との距離は「正確には知られていない」と書いていますが、それはジャーナリストとしてあまりにも怠慢と言わざるを得ません。というか、知ろうとしてないのではないか。これほど明白な現実が目の前に突き付けられているのです。しかも、よりによってそれは、政権与党と韓国のカルト宗教の関係なのです。憲法改正やLGBTや夫婦別姓や女性天皇などに関して、自民党「保守」派と旧統一教会の主張が、どうしてあんなに似通っているのか。あるいは国際勝共連合設立の経緯などを考えれば、政治との距離が「正確には知られていない」などとはとても言えないはずです。

石戸氏は、「統一教会を批判する側にも、相手の実像を見極めるより深い思考が必要になる」と書いていましたが、何をか況やと思いました。

旧統一教会を「絶対悪」だと決めつけて感情的にバッシングすると、益々信者やその二世の子どもたちの社会的な孤立を招くと言うのは、何だか話を別の方向に持って行こうとしているように思えてなりません。教団に対する批判に、あえて冷水を浴びせるようなもの言いには、やはり反論せざるを得ないのです。

旧統一教会をめぐる問題にはいろんな側面がありますが、バッシングしているのは、旧統一教会と政治(主に政権与党)との関係であり、赤報隊事件に関する疑惑や、今なお続いている教団に批判的なジャーナリストや弁護士に対する脅迫や嫌がらせに見られるような、カルト特有の狂暴な反共団体という側面に対してです。何故、公安調査庁が内密に監視していたのか。公安警察が強制捜査の準備をしていたのか。権力でさえ危険視していた教団の体質を考えないわけにはいかないでしょう。それらが「政治の力」で潰された現実を無視して、旧統一教会は言われるほど危険ではなかったと断じるのは、詭弁と言わざるを得ません。

名称変更の問題でも、文化庁宗務課長として関わってきた前川喜平氏の「当時の下村文部科学大臣の意思が働いていたことは間違いない」(野党のヒヤリングでの証言)という発言については、「証拠がない」水掛け論だとして一蹴する一方で、何故か石戸氏の取材を受けた下村博文氏の「(旧統一教会と手を)切っていい」という発言を取り上げて、教団も高齢化して集票マシーンとしては力がなくなったので「簡単に『切る』と言えた」のだろう、と書いているのでした。何だか下村氏の言い分をただ垂れ流しているだけのような感じで、下村氏の発言をそう「簡単に」信用していいのか、と思わざるを得ませんでした。

旧統一教会はただの、、、宗教団体ではないのです。問題の所在は、旧統一教会がカルトであるということなのです。石戸氏の記事は、どう見ても、橋下徹や古市憲寿や太田光や、あるいはパックンと同じように、その肝心な点が捨象され”宗教一般”として論じ問題を矮小化するものでしかありません。どうしてこんな牽強付会な記事を書いたのか、首を捻らざるを得ません。

ここにも、大山鳴動して鼠一匹に収斂しようとする言説があるように思えてならないのでした。
2022.09.07 Wed l 社会・メディア l top ▲