『ZAITEN』2021年9月号のインタビューで、近現代史研究家・辻田真佐憲氏が、次のように語っていたのが目に止まりました。

ZAITEN
【全文掲載】辻田真佐憲インタビュー「『2ちゃんねる』ひろゆきの〝道徳〟を 甘受する『超空気支配社会』の大衆」

辻田氏は、SNSはもはや「〝リアルを忍ぶ仮の姿〟ではなくなった」と言います。そして、SNSを通して、「人々が空気の微妙な変化を読み、キャッチーな言動で衆目を集め、動員や自らの利益に繋げようとする中で、新たなプロパガンダや同調圧力が生み出されている」と言うのです。「それは、言論のクオリティや深度を問わない空虚なゲームでしか」ないのだ、と。

そして、「こうしたゲームに長けているのが、連続性に重心を置かず、瞬間的な立ち振る舞いをよしとする人たちで」、その典型が西村博之(ひろゆき)だと言います。でも、彼は、「それこそ『誹謗中傷を是とするネットメディアでカネを稼いだ人』と言われても仕方がない」人物なのです。

  (略)そんなひろゆきが今や、メディアで堂々と「道徳」を語っています。つまり、"武器商人"が平和を説くような状況を、人々が受け入れているわけで、これをどう解釈すべきか。つまり、「今日言っていることと、明日言っていることが違っていても問題ない」「瞬間的に話題になれば、言い逃げであったとて構わない」「過去を顧みず、今、数字とカネを得られれば勝ちである」ということです。超空気支配社会の元で、そうした価値観が息づいているのは間違いありません。


私も前から言っているように、昔、職場には、交通違反で捕まってもどうすれば切符を切られずに逃れられるかとか、違反金を払わずに済むにはどうすればいいか、というようなことを得々と話すおっさんがいました。ひろゆきはそれと似たようなものです。

清義明氏は、朝日新聞デジタルの「論座」で、2ちゃんねるを立ち上げネットのダークヒーローとして登場し、数々の賠償金請求訴訟で雌伏のときを過ごした末に、今日のようにメディアのコメンテーターとして“華麗なる復活”を遂げた、この20年のひろゆきの生きざまを、5回にわたってレポートしていました。その中で、彼の“賠償金踏み倒し”について、次のように書いていました。

朝日新聞デジタル
論座
Qアノンと日本発の匿名掲示板カルチャー

(略)「誰かが脅迫電話を受けたとしたら、携帯キャリアを訴えますか?」(『VICE』2008年5月19日 )と西村氏はうそぶく。

「裁判所には行ってたこともあるんですが、あるとき寝坊したんです。でもなにもかわらなかった。それで裁判所に行くのをやめたんです」(『VICE』2009年5月19日)と西村氏はインタビューで答えている。

  敗訴しても、賠償金は踏み倒すと豪語していた。そうして裁判に協力しないばかりか被害者補償を財産がないとして無視するようになり、挙句の果てには「時効も法のうち」と豪語するようになった。(略)

  こうした不作為により、2007年3月20日の読売新聞によれば、この時点で少なくとも43件で敗訴。それでも「踏み倒そうとしたら支払わなくても済む。そんな国の変なルールに基づいて支払うのは、ばかばかしい」「支払わなければ死刑になるのなら支払うが、支払わなくてもどうということはないので支払わない」と平気な顔をしていた。完全な確信犯の脱法行為である。


ひろゆきは、損害賠償請求を起こされた当時は、プロバイダー責任制限法がまだなかったので、責任を問われる筋合いではないと言っているそうですが、それについても、清氏は、次のように指摘していました。

  プロバイダ責任制限法という法的なルールか出来たのは2002年。西村氏が訴えられた民事訴訟の多くは、その法律が施行された後のことだ。訴えた人は、プロバイダ責任制限法のルールにそって、それぞれに損害や精神的な被害を与えた書き込みを要請したのだが、それでも西村氏は削除しなかったのである。警察庁の外郭団体からの年間5000件の削除依頼も正式な2ちゃんねるの手続きを経ていないということで放置していた。


私も、当時、ひろゆきが住所として届け出ていた新宿だったかのアパートの郵便受けに、訴状や支払い命令などの「特別送達」の郵便物が入りきらずに床の上まであふれている写真を見たことがありますが、ひろゆきはそうやって賠償金の支払いをことごとく無視してきたのです。その金額は4億円とも5億円とも、あるいは10億円以上とも言われています。

そして、10年の時効まで逃げおおせた挙句、2ちゃんねるで名誉を毀損され泣き寝入りするしかなかった被害者を、上記のように「ざまあみろ」と言わんばかりに嘲笑ってきたのです。

そのひろゆきが、今やメディアのコメンテーターとして、どの口で言ってるんだと思うような常識論や良識論をお茶の間に向けて発信しているのです。

それどころか、福岡県中間市の「中間市シティプロモーション活動」のアドバイザーに就任したり、金融庁のYouTubeに登場して、何故か「以前から知り合い」だという金融庁総合政策課の高田英樹課長と、「ひろゆき✕金融庁  金融リテラシーと資産形成を語る」という対談まで行っているのでした。対談の中で、ひろゆきは、「友達に聞かれた場合は、とりあえず全額NISAに突っ込めって言ってます」と語っていたそうです。

中間市や金融庁の担当者は、ひろゆきの”賠償金踏み倒し”について、口をそろえて「詳細は承知していない」と答えていますが、それは旧統一教会との関係を問われた政治家たちの“弁解”とよく似ています。まして、「以前から知り合い」だという金融庁総合政策課の高田英樹課長が、ひろゆきの素性を知らないわけがないでしょう。

一方で、ひろゆきは、旧統一教会の問題では、いつの間にか批判の急先鋒のような立ち位置を確保しているのでした。

PRESIDENT Onlineでは、鈴木エイト氏と対談までして、何だかメディアのお墨付きまで得ている感じです。しかし、同時に、国葬に関する発言に見られるように、その言動には多分にあやふやな部分もあります。要するに、営業用にそのときどきの空気を読んで世間に迎合しているだけなので、流れが変わればいつ寝返るか知れたものではないでしょう。Qアノンの陰謀論を拡散した人物が、旧統一教会批判の急先鋒だなんて、悪い夢でも見ているような気がするのでした。

PRESIDENT Online
鈴木エイト×ひろゆき「自民党の旧統一教会"自主点検リスト"は、あまりに杜撰でひどすぎる」

東洋大学教授の藤本貴之氏も、メディアゴンのメディア批評で、“賠償金踏み倒し”を自慢げに語るような人物が、旧統一教会を批判していることに「強い違和感を覚えた」、と書いていました。

メディアゴン
4億円踏み倒し「ひろゆき氏」の統一教会批判に感じる違和感

藤本氏は、「法の抜け穴を見つけだし、法の盲点を突く脱法テクによって、法律的にグレーであっても、100%黒でない限り『何が悪いんですか?  悪く感じるのは、あなたの感想ですよね?』」という、旧統一教会などのロジックは、ひろゆきの“賠償金踏み倒し”の屁理屈にも共通するものだと言います。

筆者が感じた違和感というのは、ひろゆき氏のロジックと脱法テクニックも、結局は旧・統一教会のような団体とほとんど同じではないのか、という点だ。もちろん、ひろゆき氏は霊感商法をしているわけではないし、高額な壺を売っているわけでもない。しかし、手法や考え方はほぼ同じではないのか。

違法でなければ何をしてもよい、ロジカルに説明できれば間違えていない、論破できれば相手が悪い・・・というスタンスは脱法反社組織のそれとまったく同じだ。被害者が泣き寝入りしがちであるという点も似ている。


大塚英志は、「旧メディア のネット世論への迎合」ということを常々言ってましたが、コロナ禍のリモートの手軽さもあって、ネットのダークヒーローをコメンテーターとして迎えた旧メディアは、文字通りネット世論に迎合したとも言えるのです。ひろゆきがテレビの視聴率にどれだけ貢献しているのかわかりませんが、そうやって旧メディアは、ネットの軍門に下ることでみずからの首を絞めているのです。

コロナの持続化給付金詐欺には、闇社会の住人だけでなく、学生や公務員といったごく普通の若者たちも関与していたことがわかり、社会に衝撃を与えました。彼らには、犯罪に手を染めたという感覚はあまりなく、どっちかと言えば、ゲーム感覚の方が強かったのだろうと思います。「法の網をかいくぐってお金を手に入れるのが賢い。それができない頭の悪い人間は下層に沈むしかない」とでも言うような、手段を問わない拝金主義の蔓延は、ひろゆきの“賠償金踏み倒し”やそれを正当化する屁理屈と通底する、ネット特有のものとも言えるのです。

ネットの黎明期に、「ネットは悪意の塊だ」と言った人がいましたが、ネットによって悪知恵が称賛されあこがれの対象にさえなるような風潮が若者たちをおおうようになったのは事実でしょう。その「悪意」の権化のような人物が、コメンテーターとして旧メディアにまで進出してきたのです。

ひろゆきは、2009年に出した『僕が2ちゃんねるを捨てた理由』(扶桑社新書054)の中で、「テレビのモラルとネットのモラル」について、次のように言っていました。

  雑誌でもテレビでもネットでも、コンテンツを作るうえで間違った方向に走ってしまうことはよくあります。とはいえ間違った方向に走ったら、「これは違うよね、よくないよね」と言って軌道修正すべきでしょう。しかし、テレビには軌道修正する動きが見えてこない部分があります。だったら、「ネットの情報なんて、もっとモラルがないし、ヒドイ」とか思う人もいるはず。
  でもよくよく考えてみてください。ネットは、誰もが情報発信できるツールなので、そもそもモラルがないのです。しかし新聞や雑誌、テレビなどは、ものすごい参入障壁があるぶんモラルがあって格式があるメディア。だからこそ、自社のイメージをよくするためにも、企業が番組スポンサーとして多額の広告費を払うのです。そうやってスポンサーのイメージをよくするために、いいイメージのコンテンツを作らなければいけないのに、情報の軌道修正を謝り、格式の高さを自ら捨てはじめている。


今読むと、これ以上の皮肉はないように思います。これが、ひろゆきが「論破王」と言われるゆえんかもしれません。テレビはひろゆきに愚弄されているのです。それがまるでわかってない。(つづく)

コメンテーターひろゆき(2)へつづく
2022.09.23 Fri l ネット l top ▲