ひろゆきは、よく2ちゃんねるを「捨てた」という言い方をしています。
前に記事で紹介した『僕が2ちゃんねるを捨てた理由』(扶桑社新書054)の中で、ひろゆきは、「2009年、2ちゃんねるをシンガポールのパケットモンスター社に譲渡しました」と言っていました。
尚、『僕が2ちゃんねるを捨てた理由』は、ひろゆき自身が、自分は長い文章を書くのが苦手なので、「今回も前著の『2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?』と同様、ライターの杉原光徳さんに文章にしてもらったりしています」、とゴーストライターの存在を明言しています。
「譲渡した理由」について、ひろゆきは同書で次のように言っていました。
(略)もっとも大きな理由というのが、ちょっと前から2ちゃんねるの運営に関して僕のやることがほとんどなかった、ということです。記事の削除やIPアドレスの制限、苦情が入ったり殺人予告が行われたときにアクセスログを提出する、といったものはすでにシステム化されていて、ほとんど関与していなかったのです。なので、やっていたことといえば、2ちゃんねるの運営にかかわっているボランティアの人同士がもめたときなどに仲裁に入るぐらい。しかも、『メガネ板とコンタクト板を分けるべきか?』といったどうでもいい話でもめた時の仲裁に入るくらいだったのです。
で、それだけの仕事しかなかったのに、2ちゃんねるかかわっているにもどうなのか? と思ったのです。さらに、もし2ちゃんねるを手放したら、どうなるのか?  というのを見てみたくなってしまったのですね。言ってしまえば、「2ちゃんねるを手放したのは実験的なもの」だったのです。
しかし、のちにパケットモンスター社は実態のないペーパーカンパニーであることが判明しています。
清義明氏は、そのことについて、「論座」の記事で次のように書いています。
朝日新聞デジタル
論座
Qアノンと日本発の匿名掲示板カルチャー
2011年3月27日付の読売新聞は、このパケットモンスター社が経営実態のないペーパーカンパニーだったとの現地調査を伝えている。それによれば、同社の資本金は1ドル。本店登記された場所は会社設立代行会社の住所、取締役も取締役代行をビジネスにしている人だったとのことだ。典型的なタックスヘイブンを利用した節税対策の手法である。
同紙によるとパケットモンスター社の取締役と登記されている人は「頼まれて役員になっただけで、2ちゃんねるという掲示板も知らない」と証言し、日本から手紙などが来ても日本語が読めないため放置しているとも語った。同社の事務所とされる住所にいた人に聞くと、あっさりと「バーチャルオフィスだよ」と笑っていたそうだ。
「捨てた」というのは、ウソだったのです。実際に、2ちゃんねるが(「捨てた」のではなく)乗っ取られて、ひろゆきの手を離れたのはずっとあとになってからです。
ひろゆきが2ちゃんねるを設立したのが1999年ですが、もともとはあめぞうという別の匿名掲示板があり、2ちゃんねるはその名のとおり、あめぞうの「避難所」のような位置づけだったそうです。しかし、あめぞうはトラフィックに耐えられずサーバーダウンが常態化したことなどにより、2000年閉鎖してしまいます。
その結果、2ちゃんねるのトラフィックがいっきに増え、2ちゃんねるもあめぞう同様、大きなトラフィックに耐えられるサーバーの必要性に迫られることになったのでした。
そんな中、(のちに家宅捜索を受けることになる)札幌のIT会社の仲介で紹介されたのが、アメリカにサーバーを置いて日本で無修正のアダルトサイトを運営していたNTテクノロジー社のジム・ワトキンス氏です。そして、ひろゆきは、日本向けのホスティングサービスも行っていたNTテクノロジー社に、サーバーの管理を委託することになるのでした。
(略)この2001年前後に、ジム氏のNTテクノロジー社は2ちゃんねるから月額約2万ドルを受け取っていると2004年7月12日号のアエラ誌で答えている。そしてそれに加えてジム氏は有料課金の2ちゃんねるビューアのサービスの権利を得た。後に、このサービスは年間1億以上の売上を稼ぐようになる。こうしてジム氏はサーバーを手配し、以降2ちゃんねるは安定した通信環境で運営できるようになっていった。(略)
一方で西村氏は自身で東京プラス社(2002年9月設立)、未来検索ブラジル社(2003年4月設立)を立ち上げ、それぞれ代表取締役と取締役に就任。広告事業や、影では企業向けの2ちゃんねるの書き込みのデータサービスや、ジム氏によれば企業向けの誹謗中傷投稿の削除業務などをビジネスとして展開しはじめたようだ。
(同上)
この時期、ひろゆきは2ちゃんねるを舞台に、文字通りマッチポンプのようなビジネスもはじめたのでした。それは、ヤクザの手口に似ています。
ところが、2011年から2012年にかけて、「麻薬特例法違反事件と遠隔操作ウイルス事件に関連する書き込みが2ちゃんねるにあったとの理由」で、ひろゆきの自宅や自身が経営する会社などが4度にわたり家宅捜索されたのでした。また、2013年には、東京国税局から、2ちゃんねるの広告収入のうち、約1億円の”申告漏れ”を指摘されたのでした。これは、再々の削除要求にも従わなかったひろゆきに対する、国家の意趣返しの意味合いがあったのは間違いないでしょう。
何のことはない、2ちゃんねるを「捨てた」はずのひろゆきが、2ちゃんねるの運営責任者として捜査の対象になったのです。ひろゆきが「譲渡した」と主張するシンガポールのパケットモンスター社も、警察や国税は、単なる「トンネル会社」にすぎないと見做したのです。
また、2013年には、2ちゃんねるで個人情報が大規模に流出するという事件も起きました。当時、私もこのブログで書きましたが、個人情報の流出によって、2ちゃんねるの投稿と有料会員のクレジットカードが紐付けされ、その情報が企業に販売されていたことも判明したのでした。
そのことがきっかけに、ひろゆきとジム・ワトソン氏の間で内輪もめが勃発します。ひろゆきが、2ちゃんねるをNTテクノロジー社から自分の会社に移転しようとしたのでした。ところが、ジム・ワトソン氏は、それに対抗して、2ちゃんねるのドメインを同氏が新たにフィリピンに設立したレースクィーン社に移転したのでした。
パスワードも変更されたため、ひろゆきは、2ちゃんねるの管理サーバーにアクセスすることができなくなります。ジム・ワトソン氏は、内輪もめに乗じて、2ちゃんねるのドメインとサーバーのデータの二つを手に入れることに成功したのでした。
翌年(2014年)、ひろゆきは、移転の無効を訴えて裁判を起こします。その裁判の中で、ジム・ワトソン氏は、ドメインの移転について、「シンガポールのペーパーカンパニーであった西村氏のパケットモンスター社に、ドメインを管理する団体から、その法人に運営実態がないとクレームが入ったからだ」と証言したそうです。ひろゆきのウソが逆手に取られたのです。
また、ジム・ワトソン氏は、サーバー代をもらってないので、サーバーの名義を自分の会社に移転したとも証言したそうです。
結局、2019年に、ひろゆきが訴えた「2ちゃんねる乗っ取り裁判」は、最高裁で原告棄却の判決が下され、ひろゆきの敗訴が確定したのでした。もっとも、実質的には、2ちゃんねるは2014年からジム・ワトソン氏に乗っ取られていました。
裁判について、清氏は次のように書いていました。
一審ではジム氏が証人として出廷しなかったことがあり西村氏側が勝訴したが、二審でジム氏が出廷すると判決は一転した。判決に決定的な影響したのは、そもそもジム氏との西村氏側に契約書が存在しなかったという呆れるような事実である。
また、2ちゃんねるビューアのトラブルか起きてから追加で払ったサーバー代の前払金は、西村氏とジム氏とチャットで決めたもので、そのパスワードを西村氏が忘れてしまったため、証拠として提出できないとのこと。
ジム氏の裁判での主張は、月額約2万ドルをもらっていたのはサーバー代ではなく広告収益の共同でビジネスしてきた分配金である、ということだ。その金額はどうやって決めたかと問われて、ジム氏は「温泉で西村氏と日本酒を呑みながら決めた」ということだ。
挙句の果てに、裁判でジム氏は、西村氏は2ちゃんねるのスポークスマンにすぎず、最初からプログラミングの技術力もさほど高くなかったし、ウェブサイトの運用にはついていけないレベルだったとし、これに限らず西村氏には2ちゃんねるの運営でやることは特になかったとまで言っている。サイトを事実上運用してきたのはNTテクノロジー社ということだ。
極めつけに、西村氏にサイトの管理実態はないという証拠に、西村氏の著書『僕が2ちゃんねるを捨てた理由』を提出されて証拠採用されてしまう始末だ。
(同上)

(「Qアノンと日本発の匿名掲示板カルチャー」より引用)
2ちゃんねるが乗っ取られたことで、ひろゆきは、掲示板ビジネスを日本からアメリカに移すことにします。
上の「日米の匿名掲示板カルチャーの伝番の系統図」を見てもわかるとおり、日本のおたくカルチャーにあこがれるアメリカ人によって、日本のふたばちゃんねるをそっくり真似た4chanがアメリカで作られていました。ひろゆきは、その4chanを買収したのでした。すると、同時期、ジム・ワトソン氏も、まるでひろゆきに対抗するように、4chanから派生した8chanを買収して、掲示板ビジネスをはじめます(2019年に8kunと名称を変更)。
やがて、二つの掲示板は、陰謀論者Qアノンを心酔するトランプ支持者たちの巣窟となっていきます。そして、承知のとおり、トランプ支持者たちは、アメリカ大統領選が不正だったとして、連邦議事堂襲撃事件を起こすのでした。そのため、言論の自由を重んじるアメリカンデモクラシーの伝統に則り、プラットフォーマーの責任を原則として問わないことを謳った、通信品位法(1996年)第230条の改正が、連邦議会で取り沙汰されるようになったのでした。
清氏も、「西村氏が管理する4chanはオルタナ右翼の発祥の地と目されるばかりか、Qアノンが最初に現れた掲示板である」と書いていました。また、「4chanが変質したのは西村氏が経営権を取得してからだというのはVICE誌も指摘している」として、次のように書いていました。
しかし西村氏は投稿規制にこれまで以上に積極的ではなく、一応はルールとしてあった人種差別投稿の禁止というルールがほとんど守られなくなった。そして一部のボランティアの管理者の独断による掲示板の運用が進み、一応は存在していた差別的な投稿の禁止のガイドラインが著しく後退してしまったという。(略)
そうして、アニメやコスプレやスポーツについて話したり、時にはポルノ画像を閲覧したりするためにサイトにアクセスしたユーザーは、ネオナチや白人至上主義、女性嫌悪や反ユダヤや反イスラムのイデオロギーについての投稿を学んでいく。ヘイトの「ゲートウェイコンテンツ」に4chanはなっているというわけだ。こうして4chanは極右や差別主義者の政治ツールになってしまった。ここに集まる白人至上主義や女性差別主義者の群衆は、やがてそしてここにトランプ支持者のコア層となっていく。これがいわゆるオルタナ右翼である。(略)
ネットリテラシーなど関係なく、様々な人々を吸引した4chanは、そうしてヘイトの巨大な工場となった。アメリカのパンドラの箱は開いた。そこからダークサイドの魔物が次々と姿を現していく。
その魔物のひとつがQアノンだ。
(同上)
Qアノンの陰謀論の拡散に一役買ったような人物が、コメンテーターとして再び日本に舞い戻り、「論破王」などと言われて若者の支持を集め、さらには社会問題についても、お茶の間に向けてコメントするようになっているのです。
2ちゃんねるを「捨てた」という彼の発言を見てもわかるように、ひろゆきが言っていることはウソが多いのです。だからこそ、「論破王」になれるとも言えるのです。
”賠償金踏み倒し”もさることながら、そんな人物に、常識論や良識論を語らせているメディアの”罪”も考えないわけにはいきません。
それは、みずからのコメントに対する批判・誹謗に対して、こともあろうにスラップ訴訟をほのめかすようなお笑い芸人を、ニュース・情報番組のキャスターに起用しているメディアも同様です。件のお笑い芸人が、自分たちにとって、獅子身中の虫であることがどうしてわからないのか、と思います。
コメンテーターひろゆきの存在は、このようにみずから緩慢なる自殺を選んでいるメディアの末路を映し出していると言えるでしょう。