今日(26日)、新宿のロフトプラスワンで行われた「REVOLUTION+1」の上映会の後のトークパート(トークショー)が、vimeo.comでライブ配信されていましたので、それを観ました。

vimeo
【REVOLUTION+1】トークパート
https://vimeo.com/753485644/09313605ac

トークパートは明日も行われるようですが、今日出ていたのは、足立正生監督と宮台真司、それにヒップホップミュージシャンのダースレイダーで、司会は井上淳一氏が務めていました。

その前に、トークでもちょっと触れられていましたので、歌手の世良公則のことについて、私も書いておきます。実は、私も昨日の記事で書いていたのですが、あまり個人攻撃するのも気が引けたので削除したのでした。

それは、世良公則の次のようなツィートに対してです。


ネトウヨならまだしも、表現を生業とする人間として、「この異常な状態を許す」「それが今の日本」「国・メディアは全力でこれに警鐘を鳴らすべき」という発言には唖然とするしかありません。まして、彼は映画を観てないのです。作品を観てないにもかかわらず、国家なりメディアなりが「警鐘を鳴らすべき」、つまり、(解釈の仕方によっては)表現を規制すべきとも取れるようなことを言っているのです。

政治的立場がどうであれ、表現行為は最大限自由であるべきだというのは、表現を生業とする者にとって共通事項でしょう(そのはずです)。自由な表現にもっとも敏感であるべき表現者として、この発言はあり得ないと思いました。

また、彼は、今日は次のようなツイートをしていました。


投稿の時間を見ると、立て続けに届いていますので、たしかにしつこい感じはありますが、SNSでみずからの考えを発信していると、この程度の誹謗は想定内と言ってもいいようなレベルのものです。もしかしたら、酔っぱらっていたのかもしれません。

「内容から危険な人物と判断」「事務所から警察に報告する案件であるとの連絡を受けました」というのは、いくらなんでもオーバーではないかと思いました。何だか一人相撲を取っているような感じがしないでもありません。

閑話休題それはさておき、トークでは、宮台真司が、まずホッブスの『リバイアサン』を引き合いに出して、自力救済の話をしていました。統治権力が信頼できなくなり、社会や政治の底がぬけた状態になったら、人々は(国家以前のように)自力救済するしかない。しかも、コミュニティ(共同体)も機能しなかったら、もはや自力救済はみずからの暴力に頼るしかなくなる、というようなことを言っていました。

ホッブスが言うように、自然状態では、お互いがみずからの生き死を賭けて暴力を振るい合うような「万人の万人に対する闘争」になります。それで、「万人の万人に対する闘争」を避けるために、それぞれがみずからの権利を委託して仲介する装置として「国家」が登場したのです。その国家が与えられた役割をはたさなくなったら(つまり、底がぬけた状態になったら)、もとの「万人の万人に対する闘争」の状態に戻るしかないでしょう。

底がぬけた状態になればなるほど、国家はみずからの責任を回避するために、自己責任だと言うようになります。そんな寄る辺なき生の中で自力救済を求めようとすれば、「ローンウルフ型テロ」や「拡大自殺」に走る人間が出て来るのは当然でしょう。

会場に来ていた東京新聞の望月衣塑子記者が、撮影現場を取材した際に、足立監督が語っていたという話を披露していたのが印象に残りました。

山上徹也容疑者は、父親の自殺、母親の入信、兄の病気と自殺、貧困による大学進学断念という不本意な人生を歩む中でも、酒にも女にもギャンブルにも逃げることなく、愚直にまっすぐに生きて来た。そんな人間の気持を映画で描いてあげたいと思った、と足立監督は言っていたそうです。私はそれを聞いて、監督が日本赤軍に合流するためにパレスチナに旅立ったときの気持が、何となくわかったような気がしました。もっとも、パレスチナに行ったもうひとつの目的は、「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」の続編を撮るということもあったようです(ただ撮影したフィルムは空爆で焼失したと言っていました)。

会場には、望月衣塑子記者以外にも、映画監督の森達也氏、漫画家の石坂啓氏、ドイツ語翻訳家の池田香代子氏、脚本家の荒井晴彦氏、映画監督の金子修介氏、評論家の切通理作氏などが来て、それぞれ映画の感想を述べていました。若松孝二監督や松田政男氏らも生きていたら、間違いなく会場に来ていたでしょう。

世良公則ではないですが、未だに「元日本赤軍のテロリスト」みたいなイメージが先行していますが、足立正生監督が前衛的なシュールレアリスムの作り手として知られた伝説の映画監督であり、多くの人たちが彼の新作を待ちわびていたことが、よくわかる光景だと思いました。

ついでに言えば、「やや日刊カルト新聞」の藤倉善郎氏が、カルト新聞とは別に、ライターの村田らむ氏との雑談をYouTubeに上げているのですが、昨日上げたYouTubeの中で、先行上映会で「REVOLUTION+1」を観た感想を述べていました。しかし、それはひどいものでした。

「REVOLUTION+1」のトークでも、荒井晴彦氏が辛辣な感想を述べていましたので、否定的な感想がひどいというのではありません。二人して映画を嘲笑するような、そんな小ばかにした態度があまりにもひどいのです。批判するならもっと真面目に批判しろと言いたいのです。それに、村田らむ氏は、世良公則と同じように映画を観ていないのです。ただ余談と偏見でものを言っているだけです。

YouTube
フジクラム
藤倉が安倍銃撃事件を題材にしたフィクション「REVOLUTION+1」を観ました

しかも、村田らむ氏は、足立正生監督について、次のようなツイートをしていました。


私は映画を観てないのですが、映画の中で、優しくされたアパートの隣人の女性とセックスしようとするが、寸前で主人公がハッとして拒否するというシーンがあるみたいです。それに関して、監督が村田らむ氏が書いているような説明をしたのかもしれません。村田らむ氏も映画を観てませんので、それを藤倉氏から聞いて、ツイートしたのでしょう。これじゃ#MeToo運動の名を借りた個人攻撃じゃないか、と思いました。

私は知らなかったのですが、ウキペディアによれば、村田らむ氏が出した『こじき大百科―にっぽん全国ホームレス大調査』や『ホームレス大図鑑』という本は、路上生活者を差別しているという抗議を受けていづれも絶版になっているようです(そのあと『紙の爆弾』の鹿砦社から同じようなホームレスの本を出していたのには驚きました)。唐突に4年以上前に書いた#MeTooの記事を出して批判するというのも、そのときの「左翼」に対する個人的な感情みたいなものもあるのかもしれない、と思いました。

上の動画を観てもらえばわかりますが、嘲笑しているのはどっちだというような話なのです。二人して「左翼だから」というような言葉を連発して、面白おかしく話のネタにしていましたが、何でも笑いにすればいいってものではないでしょう。

前に藤倉氏が菅野完氏と一緒に、渋谷の松濤の世界平和統一家庭連合の本部にイベントの招待状だかを持って行くという動画を観たことがありますが、その如何にもYouTubeの視聴者向けに行われたような悪ふざけに、私は、違和感と危うさを覚えたことがありました。「やや日刊カルト新聞」にはもともと遊びの要素みたいなものがありますが、鈴木エイト氏がマスコミの寵児になり注目を浴びたことで、勘違いが度を越してエスカレートしているのではないか、と思ったりしました。

藤倉善郎氏は、日本脱カルト協会がカルト化していると批判していましたが、自分たちも軽佻浮薄の中に自閉してカルト化しているのではないか、と心配になりました。
2022.09.27 Tue l 社会・メディア l top ▲