
国葬では、菅元首相の弔辞が参列者の涙を誘ったそうで、菅元首相は文才があると書いているメディアもありましたが、その前に、国葬と言っても、実際はイベント会社がとりしきる内閣のイベント(国が主催する「お別れの会」)であった、ということを忘れてはならないでしょう。小泉政権のシングルイシューの”郵政選挙”で知られるところとなりましたが、もはや政治と広告代理店は切っても切れない関係にあるのです。
また、ネットを見ていたら、「小林よしのり氏、安倍元首相国葬で2万人超訪問の一般献花に私見『統一教会の動員で十分集まる』」(日刊スポーツ)というニュースの見出しがありました。
それで、小林よしのり氏のブログを見たら、次のように書いていました。
YOSHINORI KOBAYASHI BLOG
献花2万人超は統一協会の動員で十分
秘書みなぼんが昨夜、こうメールしてきた。
「一般の献花に行列ができたことを、Hanada、WiLLはじめネトウヨは『これが日本人の本当の民意だ!』『国葬に半数以上が反対とか偏向報道だったんだ!』とか騒いでいて滑稽ですw こんな平日に献花で並ぶとか、統一協会の信者もかなり動員されてますよね」
確かに献花がたった2万人超なら、統一協会の動員で十分集まる。
統一協会の権力浸食問題は、そういう邪推や偏見を生んでも仕方がないということなんだ。
わしも統一協会が献花に来ないはずないと思っているがな。(略)
平日の昼間なのに、2万5889人(政府発表)の人たちが献花に訪れ、3時間も4時間も並んでいたのです。しかも、インタビューによれば、遠くからわざわざ訪れた人たちも結構いるのです。山梨から献花に訪れたと答えていた親子連れがいましたが、子どもは学校を休んで来たんだろうか、と思いました。
旧統一教会にとって、安倍(岸)一族は、教団の財政を支える「資金源」を与えてくれた大恩人です。それこそ足を向けて寝られないような存在です。
8月16日にソウルで開かれた、故文鮮明教祖の没後10年を記念するイベントでも、安倍晋三元首相を追悼する催しが行われ、スクリーンに大きく映し出された安倍元首相の写真に向かって参加者が献花をしていました。昨日の国葬でも、多くの信者たちが行列に並んでいたとしても不思議ではないでしょう。
テレビ東京の「世界ナゼそこに?日本人」で取り上げられた中に、合同結婚式でアフリカなどの奥地に嫁いだ日本人花嫁が多く含まれていたという話がありましたが、昨日の国葬でも、もしかしたら、献花の花束を持って並んでいた信者をインタビューして、「賛否両論あります」なんて言っていたのかもしれません。
国葬が終わった途端、二階俊博元幹事長が言っていたように、「終わったら反対していた人たちも、必ずよかったと思うはず」という方向に持って行こうとするかのような報道が目立つようになりました。その最たるものが、菅元首相の弔辞に対する本末転倒した絶賛報道です。今、問われているのは、安倍元首相の政治家としてのあり様なのです。クサい思い出話や弔辞の中に散りばめられた安っぽい美辞麗句や修辞なんかどうだっていいのです。弔辞は、当然ながら安倍元首相を美化するために書かれたものです。この当たり前すぎるくらい当たり前の事実から目を背けるために、弔辞に対する絶賛報道が行われているとしか思えません。
国葬では、安倍元首相のピアノ演奏や金言集のような演説の動画が流されていましたが、あれだって編集した誰かがいるのです。仮にゴーストライター(スピーチライター?)がいても、ゴーストライターがいるなんて言うわけがありません。こんな「名文」を貶めるなんて許さないぞという恫喝は、同時に「名文」が持ち上げる安倍の悪口を言うことは許さないぞ、という恫喝に連動していることを忘れてはならないのです。その心根は、旧統一教会のミヤネ屋に対する恫喝まがいのスラップ訴訟にあるものと同じで、Yahoo!ニュースや東スポやSmartFLASHや現代ビジネスやディリー新潮などのような品性下劣なメディアは、ネトウヨと一緒になってその恫喝にひと役買っているのです。
ここに至っても、文化庁の担当者は、「解散命令を請求するのは難しい」と言ってくれるし、そうやって安倍を庇うことで自分たちも庇ってくれるのですから、教団にとって日本はどこまでもアホでチョロい存在に見えるでしょう。
一方、上映を国葬当日にぶつけた『REVOLUTION +1』は、狙い通りかどうかわかりませんが、大きな話題になっています。ただ、2日間限定で上映されたのはあくまで編集前のラッシュなので、当然毀誉褒貶があります。だからこそ、否が応でも、劇場用に編集された本編に対する期待が高まってくるのでした。
そんな中、やはり上映会の会場に来ていた切通理作氏が、みずからのユーチューブチャンネルで、町山智浩氏と『REVOLUTION +1』について語っていたのを興味を持って観ました。
YouTube
切通理作のやはり言うしかない
切通理作/足立正生作品『REVOLUTION +1』を語る【特別ゲスト】町山智浩
動画では、いろんな角度から『REVOLUTION +1』が論じられていました。これだけ論じられるというのは、国葬にぶつけたという話題だけにとどまらず、足立正生監督の新作が出たこと自体が既に「事件」だったということなのでしょう。
編集前ということもあるのでしょうが、『REVOLUTION +1』が今までのシュールレアリスムの手法を使った足立作品に比べれば、非常にわかりやすかった、「敷居を低くしていた」と切通氏は言っていました。松田政男の「風景論」が生まれる端緒になった「略称・連続射殺魔」などに比べると、作品の前提になっている事件に予備知識がなくても理解できる作品になっているので、その分、カタルシスを得て「すぐ忘れる」懸念がある、というのはそのとおりかもしれません。家に帰ってもずっと考えなければ理解できないような作品こそ、いつまで心に残るのです。それがどう編集されどんな作品として完成されるのか、そういった楽しみもあるように思います。
私は町山智浩氏の話の中で、興味を持った箇所が2つありました。ひとつは、映画で主人公の父親が大学時代、学生運動家と麻雀仲間だったという設定になっているそうですが、それは監督のノスタルジーではなく、実話に基づいたものだと言うのです。
山上容疑者の父親は、1972年のテルアビブ空港乱射事件で自爆した赤軍派の活動家と京都大学の同級生で、顔見知りだったという話があるそうです。
もうひとつ、いちばん興味を持ったのは、山上容疑者が2019年に公開された映画「ジョーカー」を大変評価しており、Twitterで何度も「ジョーカー」について投稿しているという話です。
読売新聞の記事によれば、山上容疑者の「ジョーカー」に関する、ツイッターへの投稿は14回にも及んでいたそうです。
私は、「ジョーカー」を観たとき、真っ先に思い浮かべたのは永山則夫でした。(永山則夫は母親を殺してはいませんが)特に主人公のアーサーの母殺しは、永山と近いものがあるような気がしました。
アメリカで「ジョーカー」が公開される際、犯罪を誘発するのではないかと言われ、公開に難色を示す声もあったそうですが、結局、アメリカでは何も起きなかった。しかし、日本で起きた。町山氏は、そう言っていましたが、山上容疑者は、アーサーの絶望や、そこから来る哀しみや怒りに共感したのかもしれません。特に、母親殺しや同僚殺しに、自分を重ね合わせていたのかもしれません。それは衝撃的ですが、しかし、納得できる気もします。
名門の政治家の家に生まれたというだけで、周りからチヤホヤされ、小学校からエスカレート式で大学まで進み、漢字もろくに読めないのに総理大臣にまでなった安倍晋三に対して、頭脳明晰だったにも関わらず父親の自殺や母親の入信などがあって貧困の家庭に育ち、大学進学も叶わず、様々な資格を取得しても人間関係が原因で仕事が続かず、不遇の人生を歩むことになった山上容疑者は、黒澤明監督の「天国と地獄」を思わせるような対称的な存在です。
しかし、町山氏が言うように、それはたまたまにすぎないのです。「親ガチャ」にすぎないのです。安倍晋三と山上徹也が入れ替わることだってあり得たのです。
山上容疑者は、そんな自分の人生を、自己責任のひと言で一蹴するような社会の不条理に対して引き金を引いたのではないか、と想像することもできるように思います。