
『週刊エコノミスト』の今週号の「金融危機に学ぶ」という小特集の中で、水野和夫氏は「資本主義は終焉を迎えた」と題して、次のように書いていました。尚、文中の「97年」というのは、四大証券」の一角を占めていた山一証券が自主再建を断念して廃業を決めた「1997年11月」を指しています。これは、「97年11月」を日本経済がバブル崩壊に至るメルクマークとして、5人の識者が当時の思いを綴る企画の中の文章です。
  97年は長期金利が初めて2%を割り込んだ節目でもある。翌98年以降も1%台が常態化、政府の景気対策で一時的に景気が上向いても2%を超えることはなくなり、今やゼロ%に至った。これは日本が十分に豊かになり、投資先がなくなったことを意味する。すなわち、投資して資本を増やし続けるという資本主義の終焉だ。この25年間で私たちはこのことを理解する必要があった。
ところが、政府は成長至上主義を捨てられず、需要不足だからと日銀は延々と異次元緩和を続けている。需要不足ではなく、供給が過剰なのだ。その結果、格差拡大や社会の分断をより深刻化してしまった。カネ・モノの豊かさを求める強欲な資本主義を早く終わらせ、心豊かに暮らせる持続可能な社会への転換が急務だ。
(『週刊エコノミスト』10月11日号・水野和夫「資本主義は終焉を迎えた」)
昨日(10月3日)からはじまった臨時国会の所信表明演説で、岸田首相は、「経済の再生が最優先課題」だとして、いちばん最初に、インバウンド観光の復活による「訪日外国人旅行消費額の年間5兆円超の達成という目標を掲げた」(朝日の記事より)そうです。
経済を再生するのにそれしかないのか、と突っ込みたくなるような何とも心許ない話です。文字通り、観光しかウリがなくなった日本の落日を象徴するような演説だったと言えるでしょう。
私は、2014年の4月に、このブログで下記のような記事を書きました。
これを読むと、8年前に書いたものとは思えないほど、背景にある状況が今とほとんど変わってないことに自分でも驚きます(違うのはアメリカ大統領の名前くらいです)。文中の「ウクライナ問題」というのは、2014年にウクライナで発生したウクライナ民族主義によるマイダン革命に対抗して、ロシアがクリミア半島(クリミア自治共和国)とウクライナ本土のドンバス地方(ドネツィク州とルハーンシク州)を実効支配したことを指しています。以下、再録します。
▽再録始まり ------
水野和夫氏は、新著『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)のなかで、グローバリゼーションについて、つぎのように書いていました。
そもそも、グローバリゼーションとは「中心」と「周辺」の組み替え作業なのであって、ヒト・モノ・カネが国境を自由に越え世界全体を繁栄に導くなどといった表層的な言説に惑わされてはいけないのです。二〇世紀までの「中心」は「北」(先進国)であり、「周辺」は「南」(途上国)でしたが、二一世紀に入って、「中心」はウォール街となり、「周辺」は自国民、具体的にはサブプライム層になるという組み替えがおこなわれました。
グローバリゼーションとは、資本が国家より優位に立つということです。その結果、国内的には、労働分配率の引き下げや労働法制の改悪によって、非正規雇用という「周辺」を作り、中産階級の没落を招き、1%の勝ち組と99%の負け組の格差社会を現出させるのです。当然、そこでは中産階級に支えられていた民主主義も機能しなくなります。今の右傾化やヘイト・スピーチの日常化も、そういった脈絡でとらえるべきでしょう。水野氏が言うように、「資本のための資本主義が民主主義を破壊する」のです。
一方で、「電子・金融空間」には140兆ドルの余剰マネーがあり、レバレッジを含めればこの数倍、数十倍のマネーが日々世界中を徘徊しているそうです。そして、量的緩和で膨らむ一方の余剰マネーは、世界の至るところでバブルを生じさせ、「経済の危機」を招いているのです。最近で言えば、ギリシャに端を発したヨーロッパの経済危機などもその好例でしょう。それに対して、実物経済の規模は、2013年で74.2兆ドル(IMF推定)だそうです。1%の勝ち組と99%の負け組は、このように生まれべくして生まれているのです。アメリカの若者が格差是正や貧困の撲滅を求めてウォール街を占拠したのは、ゆえなきことではないのです。
もちろん、従来の「成長」と違って、新興国の「成長」は、中国の13.6億人やインドの12.1億人の国民全員が豊かになれるわけではありません。なぜなら、従来の「成長」は、世界の2割弱の先進国の人間たちが、地球の資源を独占的に安く手に入れることを前提に成り立っていたからです。今後中国やインドにおいても、経済成長の過程で、絶望的なほどの格差社会がもたらされるのは目に見えています。
水野氏は、グローバリゼーションの時代は、「資本が主人で、国家が使用人のような関係」だと書いていましたが、今回のオバマ訪日と一連のTPP交渉も、所詮は使用人による”下働き”と言っていいのかもしれません。ちなみに、今問題になっている解雇規制の緩和や労働時間の規制撤廃=残業代の廃止なども、ご主人サマの意を汲んだ”下働き”と言えるでしょう。
史上稀に見る低金利政策からいっこうに抜けだせる方途が見出せない今の状況と、国民国家の枷から解き放され、欲望のままに世界を食いつぶそうとしているグローバル企業の横暴は、水野和夫氏が言うように、「成長」=「周辺」の拡大を前提にした資本主義が行き詰まりつつことを意味しているのかもしれません。少なくとも従来の秩序が崩壊しつつあることは間違いないでしょう。それは経済だけでなく、政治においても同様です。ウクライナ問題が端的にそのことを示めしていますが、アメリカが超大国の座から転落し、世界が多極化しつつあることは、もはや誰の目にもあきらかなのです。日米同盟は、そんな荒天の海に漂う小船みたいなものでしょう。
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日米同盟と使用人の下働き
△再録終わり ------
この8年間で資本主義の危機はいっそう深化しています。日本だけがマイナス金利政策から抜け出せないことを見てもわかるとおり、とりわけ日本の危機が際立っています。岸田首相の中身のない所信表明がその危機の深刻さを何より表していると言えるでしょう。
でも、その危機は、アメリカの危機=政治的経済的な凋落に連動したものである、ということを忘れてはなりません。20数年ぶりの円安がそれを象徴していますが、日米同盟はもはや難破船のようになっているのです。
今問題となっている物価高を見ても、その深刻さは度を越しています。今年の8月までに値上げの対象となったのは、再値上げなどを含めて累計18,532品目に上り、値上げ率は平均で14%だったそうです。
さらに、ピークとなったこの10月に値上げになったのは、食品や飲料だけでも6,500品目を超えているそうです。もちろん、食品や飲料以外にも、電気料金やガス料金、電車やバスの交通費、あるいは外食費や日常雑貨や各保険料など値上げが相次いでいます。また、同時に、食品を中心に内容量を減らす「ステレス値上げ」も横行しています。
収入が増えず購買力が低下しているのに、物価だけが上がっていくというのは、文字通りスタグフレーションの到来を実感させられますが、しかし、この国の総理大臣は、経済再生は外国人観光客の懐が頼りだと、浅草のお土産屋の主人と同じようなことしか言えないのです。
『週刊東洋経済』の今週号の「少数異見」というコラムで、8月にチュニジアで開かれたアフリカ開発会議(TICAD)が「盛り上がりを欠いたまま閉幕した」ことが取り上げられていました。
TICADは、日本と50カ国以上のアフリカ諸国の首脳が3年に一度集まる会議で、1993年からはじまり今回が8回目だったそうです。
1993年は日本がイケイケドンドンの時代で、経済力で途上国への影響力を持ちたいという大国意識の下、政府開発援助(ODA)の予算を年々積み重ねていた時代だったのです。
でも、それも今は昔です。「もはや大国ではない」という中見出しで、コラムは次のように書いていました。
  しかし、今や日本はミドルパワーだ。世界第2位の経済・技術大国ではなく、「アジアを代表する大国」ですらない。中韓はもちろんASEANのいくつかの国は同格かそれ以上の力をつけた。米中対立は激化し、ロシアは牙をむき始めた。日本が謳歌してきた米国一極による世界秩序の安定は揺らぎ、強い円も失いつつある。日本の対外政策の前提となったファンダメンタルズはもはや存在しない。
(『週刊東洋経済』10月8日号・「少数異見」)
そんな日本は「ただ縮むだけで未来がない」と言うのです。