バッシングの先頭に立っているのは、ネトウヨの他に、橋下徹やほんこんやロザンの宇治原などのような安倍応援団のタレントや、西田昌司や細野豪志や和田政宗といったいわくありげな議員たちです。彼らの主張は、玉川氏を番組から降板させろという一点に尽きます。それは、言論の公平性云々というより、多分に政治的なスタンスによる“報復”の意味合いが強いように思います。彼らの中に、玉川=テレビ朝日=朝日新聞=パヨク=反日というお得意の妄想が伏在しているのは間違いないでしょう。
ちなみに、橋下徹とほんこんは、菅元首相の弔辞について、次のように発言していたそうです。
橋下徹・元大阪市長は「菅さんと安倍さんは明らかに友人、友情…失礼な言い方かもしれませんけど純粋な小学校、中学校、高校生の友情関係を強く感じましたので、それが強く表れた最後の言葉だったと思います」と声を震わせた。
ほんこんも「心温まる、感動的な弔辞。新聞の記事で全文を読ませていただいて、凄いなと思ったところで、涙してしまうというところでございました」と絶賛。
リテラ
菅義偉が国葬弔辞で美談に仕立てた「山縣有朋の歌」は使い回しだった! 当の安倍晋三がJR東海・葛西敬之会長の追悼で使ったネタを
西田昌司氏は、極右の議員として知られていますが、有田芳生氏とともに、ヘイトスピーチ対策法の成立に尽力した議員でもあり、私も当時、有田氏のツイッターに西田氏の名前がしばしば出ていたいたのを記憶しています。
ネットをググったら、こんな有田氏のツイートが出てきました。
西田さんが笑って言っていました。「有田にだまされていると抗議がくるんですよ。うるさいほど」。でも、ヘイトスピーチを許さないという西田さんの信念は変わりません。 https://t.co/4eEVlxRyhg
— 有田芳生 (@aritayoshifu) July 3, 2017
その西田議員が玉川バッシングの先頭に立っており、国会でも取り上げると息巻いているそうです。今の私には、だから言わんこっちゃない、という気持しかありません。
下記のブログの記事を読んでもらえばわかりますが、私は、ヘイトスピーチ対策法には「反対」でした。
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国家でも政治でも警察でも父親でも何でもいいのですが、権力を一義と考えるような考え方は、西田昌司議員には一貫しているのです。全体主義的な権力志向は、右にも左にも共通したものがあります。ヘイトスピーチ対策法に対しても、そういった懸念がありました。
菅氏の弔辞に関しては、弔辞に感動したとして、中には再登板の声まで出ているというのですから、口をあんぐりせざるを得ません。
一部のネトウヨや極右の安倍応援団の人間たちの感動話を、スポーツ新聞や週刊誌などのコタツ記事が取り上げて、それをYahoo!ニュースが拡散するという構図がここでも見られますが、その狙いについては私も前の記事で次のように書きました。
国葬が終わった途端、二階俊博元幹事長が言っていたように、「終わったら反対していた人たちも、必ずよかったと思うはず」という方向に持って行こうとするかのような報道が目立つようになりました。その最たるものが、菅元首相の弔辞に対する本末転倒した絶賛報道です。今、問われているのは、安倍元首相の政治家としてのあり様なのです。クサい思い出話や弔辞の中に散りばめられた安っぽい美辞麗句や修辞なんかどうだっていいのです。弔辞は、当然ながら安倍元首相を美化するために書かれたものです。この当たり前すぎるくらい当たり前の事実から目を背けるために、弔辞に対する絶賛報道が行われているとしか思えません。※1
国葬では、安倍元首相のピアノ演奏や金言集のような演説の動画が流されていましたが、あれだって編集した誰かがいるのです。仮にゴーストライター(スピーチライター?)がいても、ゴーストライターがいるなんて言うわけがありません。こんな「名文」を貶めるなんて許さないぞという恫喝は、同時に「名文」が持ち上げる安倍の悪口を言うことは許さないぞ、という恫喝に連動していることを忘れてはならないのです。その心根は、旧統一教会のミヤネ屋に対する恫喝まがいのスラップ訴訟にあるものと同じで、Yahoo!ニュースや東スポやSmartFLASHや現代ビジネスやディリー新潮などのような品性下劣なメディアは、ネトウヨと一緒になってその恫喝にひと役買っているのです。※2
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Yahoo!ニュースやスポーツ新聞や週刊誌などに対しては、どの口で言っているんだ、としか思えませんが、それよりもっと違和感を抱くのは、このようにいざとなればみんな右へ倣いして同調する彼らの翼賛的な姿勢に対してです。へそ曲がりの異論さえないのです。しかも、そういった空気を誘導しているのは、ネトウヨまがいのタレントや政治家です。言論を封殺するだけが目的のような連中に、何の留保もなく同調しているのです。言論がこういった下等物件( © 竹中労)たちに占有され弄ばれているのです。
もっとも、こういった言論がどうのというようなもの言いは、今の彼らには馬の耳に念仏かもしれません。東スポでは現在100名のリストラが行われているそうですが、他のスポーツ新聞や週刊誌なども似たようなものでしょう。貧すれば鈍すではないですが、青息吐息のスポーツ新聞や週刊誌は、今やテレビで誰がどう発言したとかいう1本千円もしないコタツ記事をアルバイトの素人ライターに発注して、それで日々のウェブを穴埋めしているのが現状です。そんなコタツ記事をYahoo!ニュースがピックアップして、バズらせてアクセスを稼ぎマネタイズしているのです。彼らにとって、ニュースの価値は、どれだけバズりアクセスを稼ぐかなのです。
もうひとつ、今回のバッシングがこれほど広がったのは、「電通」の名前を出したことも大きいでしょう。言うなれば虎の尾を踏んだようなものです。それで、電通から広告のおこぼれを頂戴している物乞いみたいなメディアが、いっせいにはせ参じてバッシングの隊列に加わったということもあるのではないか。
私も最初、国葬は電通案件ではないかと思っていましたが、しかし、今でも桜を見る会の業者がすべてを仕切ったというのは信じ難い気持があります。それに、玉川氏のバッシングに目を奪われたことで、国葬が一体いくらかかかったのか、という話もどこかに行ってしまったのでした。
そんな中、リテラは、菅元首相の弔辞が実は「使い回しだった」という記事を書いて、強烈なカウンターを放ちました。リテラが、週刊誌の得意技であるスカートめくりをやったのです。それも、よりによって「安倍晋三がJR東海・葛西敬之会長の追悼で使ったネタ」の「使い回しだった」と言うのですから驚きです。それが感動の中身だったのです。
本来ならこういう取材こそスポーツ新聞や週刊誌の仕事のはずですが、彼らは子どもでも書けるようなコタツ記事でバッシングの隊列に加わり、総務省のドンと電通に忠誠を誓うだけです。竹中労だったら、野良犬が餌をもらうために列を作ってどうするんだ、と言うでしょう。
私は、菅義偉氏が総理大臣になったとき、菅義偉氏は政治家ではなく政治屋だと書きましたが、ここでも政治屋・菅義偉の面目躍如たるものがあるような気がしてなりません。
リテラは次のように書いています。
(略)菅本人も調子に乗って、御用メディアであるABEMAの独占インタビューに応じ、以下のように追悼の辞の執筆エピソードを開陳する始末だった。
「提案があったので、『大変だ』と思って一生懸命資料集めから。一気にではなくまず全体像を入れていくというか、“何をして、何をして…”という構想からした。それと、私自身が今まで発言したものを集めていき、(完成形になったのは)意外に早かった」
リテラ
菅義偉が国葬弔辞で美談に仕立てた「山縣有朋の歌」は使い回しだった! 当の安倍晋三がJR東海・葛西敬之会長の追悼で使ったネタを
(略)菅前首相は弔辞でこう語っていた。
〈衆議院第一議員会館、千二百十二号室の、あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました。岡義武著『山県有朋』です。
ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。
そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。
しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。
総理、いま、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。
かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ〉
ようするに、菅氏は、安倍氏の死後、倒れる直前まで読んでいた本を発見。その読みかけの最後のページに、暗殺された伊藤博文を偲ぶ山縣有朋の歌が載っており、それがいみじくも、自分の思いを表していると語ったのだ。
(同)
しかし、岡義武が書いた『山縣有朋 明治日本の象徴』(岩波新書)は、安倍元首相が2014年12月27日に、ホテルオークラの日本料理店で会食した際、葛西敬之JR東海名誉会長(当時)から薦められた本だそうです。
それから8年も経っているのに、まだ「読みかけ」だったというのは、あまりにも不自然だ、とリテラは書いていました。
実際に、安倍元首相は、2015年1月12日のフェイスブックに「読みかけの『岡義武著・山縣有朋。明治日本の象徴』 を読了しました」と投稿しているそうです。さらに投稿の中で、「伊藤の死によって山縣は権力を一手に握りますが、伊藤暗殺に際し山縣は、『かたりあひて尽くしし人は先立ちぬ今より後の世をいかにせむ』と詠みその死を悼みました」と、わざわざ菅氏が弔辞で引用した歌まで紹介しているのだそうです。
ただ、マーカーペンがホントであれば、今年の5月25日に葛西敬之氏が亡くなり、6月15日に安倍元首相と同じ芝の増上寺で葬儀が執り行われ、その際、安倍元首相が弔辞を読んでいますので、そのために再び本を開いて準備をしていたということも考えられなくもありません。そこにたまたま菅元首相が訪ねて来たと。
安倍元首相は、葛西氏が亡くなった際も、フェイスブックに次のように投稿していたそうです。
一昨日故葛西敬之JR東海名誉会長の葬儀が執り行われました。
常に国家の行く末を案じておられた葛西さん。
国士という言葉が最も相応しい方でした。
失意の時も支えて頂きました。
葛西さんが最も評価する明治の元勲は山縣有朋。
好敵手伊藤博文の死に際して彼は次の歌を残しています。
「かたりあひて尽しゝ人は先だちぬ今より後の世をいかにせむ」
葛西さんのご高見に接することができないと思うと本当に寂しい思いです。
葛西名誉会長のご冥福を心からお祈りします。
もっとも、山縣有朋は、日本軍国主義の元祖みたいな人物で、治安警察法や教育勅語をつくらせた人物です。安倍や菅が、そんな人物の歌を美談仕立てで取り上げるというのは、彼らのアナクロな思想の一端が伺えるのです。
リテラは、記事の中で、菅氏が政治家ではなく政治屋である一面を次のように指摘していました。
そもそも、弔辞というのは故人を偲び、故人に捧げる言葉。メディアに出て、故人を偲ぶのならともかく、弔辞をこう考えてつくったとか、こういうギャンブルでこういう表現を盛り込んだとか、いちいち自慢話する人なんて、見たことがない(普通に考えて、一般人の葬式でもそんな弔辞自慢する人って、ほとんどいないだろう)。
(同)
こういうのを品性下劣と言うのではないでしょうか。
また、朝日新聞も、弔辞について、文庫の解説者の空井護・北海道大教授にインタビューしていましたが、その中で、空井教授は次のように言っていました。
朝日新聞デジタル
菅前首相が引用した「山県有朋」 文庫解説者「出来すぎた話ですね」
菅さんが同書を読んで、「これだ!」と思ったのなら自然です。しかし、安倍さんが生前読んだ「最後のページ」に、マーカーが引かれていたのを菅さんが見つけたなんて。そんな奇遇がこの世の中にはあるんですね。
玉川徹氏には、10日間の出勤停止処分が下されたようですが、今のテレビ朝日は「早河帝国」とヤユされるほど会長兼CEOの早河洋氏の「独裁体制」にあるので、早河氏の鶴の一声で玉川徹氏がこのまま(安倍応援団が望むように)フェードアウトする可能性もなきにしもあらずでしょう。
テレビ朝日は、早河氏の秘書だった女性が人事局長に大抜擢されたことなどもあって、昨年は、元編成部長や元人事局長などが早期退職するなど、大株主の朝日新聞も制御不能な状態になっている、と『ZAITEN』(10月号)は書いていました。
「誰が社長になっても同じ」
口に出さなくてもテレ朝社員の大多数がそう思っている。社長は“飾り”でしかなく、唯一無二の最高権力者はテレ朝及び持ち株会社の、テレビ朝日ホールディングス(HD)双方の代表取締役会長を務める早河洋(78)であることは新人社員でも知っている。
(『ZAITEN』10月号・「老衰する『テレビ朝日』の恍惚」)
旧統一教会の問題でも、フジサンケイグループともども、テレ朝の腰が引けた姿勢が指摘されましたが、それも自民党(安倍)と近い「専制君主」の意向がはたらいていたからだ、と言われていました。
菅義偉元首相は、長男の接待問題があったように、総務省に大きな力を持つ議員です。それを考えると、玉川氏の運命は決まったようなものと言えるのかもしれません。それを「ざまあ」と言わんばかりにネトウヨや安倍応援団と一緒になって叩いている、Yahoo!ニュースのようなネットメディアやスポーツ新聞や週刊誌は、あまりにもおぞましくあさましいとしか言いようがありません。