作家の津原泰水氏が、10月2日に亡くなったというニュースがあり、びっくりしました。

つい先日もTwitterを見たばかりでした。津原氏はわりとマメに更新する人でしたが、8月22日の引用リツイートで止まったままになっていましたので気にはなっていました。でも、まさか闘病中だとは思ってもみませんでした。

享年58歳。若すぎる死と言わねばなりません。

私は、津原泰水氏にとっては古くからの読者ではありません。津原氏を知ったのは、2018年に早稲田大学文学学術院で起きた渡部直己のセクハラ問題のときでした。

津原氏が精力的に渡部直己を批判するツイートをあげているので、この人は何だろう、と思ったのがはじまりでした。

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また、その後、『ヒッキーヒッキーシェイク』の文庫化をめぐって幻冬舎の見城徹氏と激しい応酬があり、それも興味を持って見ていました。編集者の間では、津原氏は「ちょっと面倒くさい人」と言われていたそうですが、しかし、見城氏との激しい応酬の中で、見城徹氏の傲岸不遜な実像や幻冬舎の名物編集者の出版をエサにしたセクハラなどを浮かび上がらせた、その喧嘩上手は見事だなと思いました。もとより、作家にとって「ちょっと面倒くさい人」なんてむしろ誉め言葉です。

女優の加賀まりこが、川端康成に誘われて食事に行った際、座布団に横座りしてスカートが少しめくれたら、川端康成から「もうちょっとスカートを持ち上げて」と言われたという話をしていましたが、そういった話は枚挙に暇がありません。ノーベル賞作家で、授賞式のときに羽織袴で「美しい日本の私」と言ったとして、文壇の大家みたいな神格化したイメージがありますが、実際はロリコンの(少女が好きな)爺さんだと言う人が多いのです。今は(小市民こそリアルだとでも言いたげに)優等生のサラリーマンみたいな作家が多いのですが、もともと作家(文士)なんてそんなものです。

ただ(余談ですが)、川端康成に関しては、北条民雄を世に出したという一点において、私は個人的に尊敬しています。北条民雄が23歳で亡くなったときも、連絡を受けた川端康成は、葬儀費用を持って多摩の全生園を訪れ(お金は病院が受け取らなかった)、霊安室で北条民雄の亡骸に面会しています。また、療養所で北條と親しかった患者たちから北條の話を聞いているのでした。それは、1937年(昭和12年)12月のことで、またハンセン病(当時はらい病と言われていた)に対する差別と偏見が社会をおおっている時代でした。

小林秀雄は、北條民雄の「いのちの初夜」について、「文学そのものの姿を見た」と評したのですが、文学には、人権云々以前に、こういった人間に対する温かいまなざしがあります。それが文学の魅力なのです。

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北條民雄
いのちの初夜

津原泰水氏の名前を知ってから、『ブラバン』(新潮文庫)や『11 eleven』(河出文庫)や『ヒッキーヒッキーシェイク』(ハヤカワ文庫)などを読みましたが、私は若い頃、戦前の『新青年』から生まれた夢野久作や小栗虫太郎や久生十蘭や牧逸馬(林不忘、谷譲次)などの異端の作家たちの小説を片端から読んでいた時期がありましたので、津原泰水氏の作品の色調トーンもどこかなつかしさのようなものを覚えました。もっと現代における幻想小説を書いて貰いたかったと思います。いくらネットの時代になっても、人が生きて生活するその根底にあるものは変わらない(変わりようがない)のですから、幻想小説が成り立つ余地は充分あるように思うのです。

『ヒッキーヒッキーシェイク』は、ひきこもりという現代的なテーマを扱ったエンターテインメント小説ですが、少し“暗さ”が足りない気がして、その点に物足りなさを感じました。

津原氏のように、58歳という年齢であっても、ある日、病気を告知され、あれよあれよという間に人生の終わりを迎えることは誰にだってあり得ます。昨日まであんなに怒りや嘆きや、あるいは喜びや希望を語っていたのに、いつの間にかそういった観念も霧消し人生を閉じてしまう。人間は何と儚い存在なのか、とあらためて思わざるを得ません。

そして、世の中は、何事もなかったかのように、いつもの朝が来てまたいつもの一日がはじまるのです。私たちの死は、ほとんど人の目に止まることもなく、タイムラインのように日常の中を流れていくだけです。

安倍元首相の国葬の費用について、政府は十数億円と言ってますが、その中には全国から動員される警察の派遣費用などは入ってないそうで、実際にかかった費用は数十億円になるのではないかと言われています。そんな莫大な国費を使って行われた国葬を目の当たりにして以来、私は、このブログで何度も書いていますが、郊外の「福祉」専門のような病院で、人知れず亡くなっていく身寄りのない人たちのことを考えることが多くなりました。

もう帰ることはないと見込まれたのか、彼ら(彼女ら)の多くは既にアパートも解約され、全財産は、ベットの下にある生活用品が詰め込まれた数個の段ボール箱だけというケースも多いのです。そうやって死を迎えるのです。

火葬されると全財産が入った段ボール箱も焼却処分されます。身寄りがないので、1枚の写真さえ残りません。でも、彼らにだって両親がいたはずです。家族で笑いに包まれた夕餉の食卓を囲んだ思い出もあるでしょう。若い頃は、夢と希望に胸をふくらませて元気に仕事に励んだに違いありません。

東京都においては、葬祭扶助は21万円です。葬祭扶助の場合、火葬のみです。火葬料金も通常の半分で済みますので、一般葬より金額は小さいもののビジネスとしても悪くないのです。しかし、葬祭扶助を多く請け負っているのは、民間の葬儀会社ではありません。福祉事務所から直接委託される「福祉」専門のような葬儀業者(団体)があり、そこが圧倒的なシェアを占めているそうです。その業者(団体)の現場以外の要職は、トップをはじめ天下りの元公務員で占められているおり、葬祭扶助などの「福祉」関係だけで年間7億円の”売上げ”があるのだとか。

生活保護受給者と言っても、病気になる前から受給していたとは限らないのです。中には、病気をして手持ちのお金がなくなり、医療費の支払いに窮して、病院のケースワーカーを通して申請するケースもあるのです。

しかし、生活保護受給者に突き付けられるのは、「自己責任」の冷たいひと言です。数十億円の公金を使い国をあげて手厚く葬られる政治家がいる一方で、税金の無駄使いのように誹謗され、まるで世捨て人のように事務的に処理され火葬場に送られる人たち。柳美里の『JR上野駅公園口』ではないですが、この天と地の違いは何なのかと思ってしまいます。

そう考えると、北條民雄がそうであったように、作家は死んでもなお作品が残り、読み継がれていくので、まだ幸せだと言えるのかもしれません。少なくとも救われるものはあるでしょう。


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