明日(11月20日)開催されるFIFAワールドカップカタール大会の開会式のイベントに出演するために、BTSのジョングクが韓国を旅立った、というニュースがありました。彼は、大会の公式サウンドトラックも担当しているそうです。
カタール大会については、前の記事でも書きましたが、関連施設の建設に従事した出稼ぎ労働者が過酷な労働で6500人も亡くなったという話や、カタール政府のLGBTの迫害や女性に対する抑圧などに抗議して、ロッド・スチュワートやデュア・リパが出演を辞退しています。また、選手の間でもさまざまな抗議の動きがあります。そんな中、ジョングクはイベントで(まるでぬけがけのように)パフォーマンスを披露するのです。
折しも、今日の朝日新聞に、「BTSから考える『男らしさ』の新時代」という、元TBSアナウンサーの小島慶子のインタビュー記事が掲載されていました。聞き手は伊藤恵里奈という女性記者です。
朝日新聞デジタル(11月19日)
ジェンダーを考える 第6回
BTSから考える「男らしさ」の新時代 過ちを認め、学び、変化する
その中に次のような箇所がありました。
しかし、カタールはイスラム国家であるため、女性の権利は著しく制限され抑圧されています。もちろん、前の記事で書いたように、LGBTへの弾圧も日常的に行われています。カタールの法律では、同性愛の最高刑は死刑と規定されており、実際に死刑になった例もあると言われています。
BTSのどこが「女性蔑視」の誤りを認め、フェミニズムを「本気で学んだ」と言えるのでしょうか。歌詞についての”学び直し”も、所詮はビジネス上の損得勘定によるものにすぎなかったのではないか。まして、韓国は、日本以上に家父長制的な男尊女卑の考えが残る社会です。BTSもそんな風土で育った若者たちです。だから、何の疑いもなくあんな歌詞を書いたのでしょう。
その上、カタールは、出稼ぎ労働者に対する「カファラシステム」という事実上のドレイ制度さえ存在する国です。出稼ぎ労働者の多くはBTSと同じアジアから来た人たちです。BTSは、国連などでは立派な発言をしていますが、目の前の人権侵害に対しては一片のナイーブな感性さえ持ち合わせてないのか、と言いたくなります。
私は、『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』(朝日新聞出版)の中で、著者の朴裕河が、ベトナム戦争に参戦した韓国軍の兵士たちが「過去に日本やアメリカがしてきたことをベトナムでした」と書いていたのを思い出しました。念の為に言えば、それは、現地の女性に対する性暴力のことです。
経済的に発展して先進国の仲間入りをした今の韓国人たちは、発展途上のアジアの国の人々に対して、かつて日本人が自分たちを視ていたのと同じような目で視ているのではないか。そう思えてなりません。
朝日の記事で、小島慶子が開陳した“BTS論”は、どう見ても“買い被り”です。BTSは、ロッド・スチュワートやデュア・リパのような自分の言葉を持ってないのです。ただ持っているふりをしているだけです。「Love Myself」キャンペーンや国連でのスピーチも、世界進出のためのポーズだとしか思えません。それが、世界の市場を相手にする(せざるを得ない)K-POPと、「パラダイス鎖国」で完結するJ-POPの大きな違いなのです。
たしかに、世界的なイベントに呼ばれるだけでも凄いとは思いますが、それで無定見にホイホイ出かけていく姿を見て、(言い方は悪いですが)化けの皮がはがれたという気がしないでもありません。もしかしたら、(契約上)仕方なくジョングクひとりだけ行った、などと言ってまたぞろ詭弁を弄して言い訳するのかもしれませんが、私たちはもういい加減眉に唾して聞いた方がいいでしょう。
カタール大会については、前の記事でも書きましたが、関連施設の建設に従事した出稼ぎ労働者が過酷な労働で6500人も亡くなったという話や、カタール政府のLGBTの迫害や女性に対する抑圧などに抗議して、ロッド・スチュワートやデュア・リパが出演を辞退しています。また、選手の間でもさまざまな抗議の動きがあります。そんな中、ジョングクはイベントで(まるでぬけがけのように)パフォーマンスを披露するのです。
折しも、今日の朝日新聞に、「BTSから考える『男らしさ』の新時代」という、元TBSアナウンサーの小島慶子のインタビュー記事が掲載されていました。聞き手は伊藤恵里奈という女性記者です。
朝日新聞デジタル(11月19日)
ジェンダーを考える 第6回
BTSから考える「男らしさ」の新時代 過ちを認め、学び、変化する
その中に次のような箇所がありました。
――BTSのデビューは13年。15年から16年ごろ、歌詞が「女性差別だ」と批判を受けました。例えば女性の外見を批評して「女は最高のギフト」としたほか、「食事を目で食べるっていうのか? 女みたいに」と女性を見下す表現がありました。
当時、韓国ではフェミニズム運動の高まりを受けて、BTSだけでなく色々なK-POPアイドルの歌詞や言動が批判されました。
BTSは時間はかかったものの、「女性蔑視の表現だった」と認めて、公式に謝罪しました。
――かつては、彼らも誤っていた、ということですね。
そうです。その後は、ジェンダー問題の専門家の意見を交えながら、無意識のうちに内面化されてきた女性差別的な視点が出ないように、本気で学んだのです。
しかし、カタールはイスラム国家であるため、女性の権利は著しく制限され抑圧されています。もちろん、前の記事で書いたように、LGBTへの弾圧も日常的に行われています。カタールの法律では、同性愛の最高刑は死刑と規定されており、実際に死刑になった例もあると言われています。
BTSのどこが「女性蔑視」の誤りを認め、フェミニズムを「本気で学んだ」と言えるのでしょうか。歌詞についての”学び直し”も、所詮はビジネス上の損得勘定によるものにすぎなかったのではないか。まして、韓国は、日本以上に家父長制的な男尊女卑の考えが残る社会です。BTSもそんな風土で育った若者たちです。だから、何の疑いもなくあんな歌詞を書いたのでしょう。
その上、カタールは、出稼ぎ労働者に対する「カファラシステム」という事実上のドレイ制度さえ存在する国です。出稼ぎ労働者の多くはBTSと同じアジアから来た人たちです。BTSは、国連などでは立派な発言をしていますが、目の前の人権侵害に対しては一片のナイーブな感性さえ持ち合わせてないのか、と言いたくなります。
私は、『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』(朝日新聞出版)の中で、著者の朴裕河が、ベトナム戦争に参戦した韓国軍の兵士たちが「過去に日本やアメリカがしてきたことをベトナムでした」と書いていたのを思い出しました。念の為に言えば、それは、現地の女性に対する性暴力のことです。
経済的に発展して先進国の仲間入りをした今の韓国人たちは、発展途上のアジアの国の人々に対して、かつて日本人が自分たちを視ていたのと同じような目で視ているのではないか。そう思えてなりません。
朝日の記事で、小島慶子が開陳した“BTS論”は、どう見ても“買い被り”です。BTSは、ロッド・スチュワートやデュア・リパのような自分の言葉を持ってないのです。ただ持っているふりをしているだけです。「Love Myself」キャンペーンや国連でのスピーチも、世界進出のためのポーズだとしか思えません。それが、世界の市場を相手にする(せざるを得ない)K-POPと、「パラダイス鎖国」で完結するJ-POPの大きな違いなのです。
たしかに、世界的なイベントに呼ばれるだけでも凄いとは思いますが、それで無定見にホイホイ出かけていく姿を見て、(言い方は悪いですが)化けの皮がはがれたという気がしないでもありません。もしかしたら、(契約上)仕方なくジョングクひとりだけ行った、などと言ってまたぞろ詭弁を弄して言い訳するのかもしれませんが、私たちはもういい加減眉に唾して聞いた方がいいでしょう。