
別に最近YouTubeの鮫島浩氏のチャンネルを観ているからではないのですが、朝日新聞のテイタラクをしみじみ感じることが多くなりました。
YouTube
SAMEJIMA TIMES
今更の感がありますが、やはり、貧すれば鈍すという言葉を思い出さざるを得ないのです。
昨日(11月20日)の朝日には、旧統一教会の問題に関連して、被害者救済を柱とした新法の概要が明らかになり、それに対して、野党や被害者救済に取り組んでいた弁護士や元信者らが「実効性が低い」と反発している、という記事が出ていました。
しかし、鮫島氏のYouTubeによれば、新法は今国会で成立することが水面下で野党(立憲と維新)と合意ができているというのです。寺田総務相の辞任は想定外だったけど、それも野党に手柄を与えるプレゼントになるのだと。
たしかに、ひと月で3人の大臣が辞任したのは“異常”ですが、そうまでして野党(立民)に花を持たせるのは、その背後に大きな合意があるからだと言うのです。それは、鮫島氏の言葉を借りれば「増税大連立」です。
鮫島氏は、財務省の仲介で自民党の宏池会と立憲民主党が“野ブタ”こと野田佳彦元首相を首班に、消費税増税を視野に「大連立」を組む話が進んでいると言うのですが、ホントでしょうか。
立憲民主党が民主党政権時代の三党合意に縛られているのはたしかでしょう。野田政権で副総理を務めた岡田克也氏と財務相を務めた安住淳氏が執行部に復帰したり、前代表の枝野幸男氏が、2021年10月の衆院選の(野党連立の)公約で掲げた「時限的な5%への消費税減税」を「間違いだった」「二度と減税は言わない」と発言するなど、立憲民主党が財政再建を一義とする“増税政党”としての本音を露わにしつつあるのは事実です。さらに、政府の税務調査会が、増税のアドバルーンを上げたりと、既に消費税増税の地ならしがはじまっているような気がしてなりません。
野田首班による「大連立」というのは俄かに信じられませんが、その背後に、自民党内の宏池会と清話会の対立も絡んでいるというのはわかるような気がします。閣僚の辞任ドミノの“異常事態”は、「支持率の低下」「野党の追及」だけでなく、むしろ、自民党内の権力闘争という視点から見た方がリアルな気がします。
でも、メディアには、そういった報道は一切ありません。財務省の思惑や党内の権力闘争など、はなから存在しないかのようで、“与野党対立”という定番の記事で埋められているだけです。それは朝日も例外なくではなく、この前まで同じ会社の記者だった鮫島氏とは際立った対象を見せているのでした。
それは、しつこいようですが、ワールドカップカタール大会の報道も同じです。カタールの人権問題に対してヨーロッパの選手団の間でさまざまな抗議の動きがありますが、そういった報道は申し訳程度にあるだけで、紙面の多くは「ニッポンがんばれ!」の翼賛記事で覆われているのでした。
大会関連の工事に従事した出稼ぎ労働者6500人が亡くなっていたとスクープしたのはイギリスのガーディアン紙で、それにカタール開催に批判的だったヨーロッパのサッカー界は即反応し、各メディアも追加取材に走ったのですが、それに比べると、日本のクオリティペーパーを自負する朝日の反応の鈍さは一目瞭然です。開会式の翼賛記事も「痛い」感じすらありました。
今の朝日新聞は、外にあっては権力のパシリを務め、内にあっては出世のために同僚の梯子を外すことしか考えてないような、下衆なサラリーマン根性が蔓延するようになっていると言われます。そんな公務員のような事なかれ主義を処世訓とする、風見鶏のような人間たちが経営陣を占めるようになった朝日新聞は、”朝日らしさ”をなくし、ジャーナリズムとして末路を歩みはじめているような気がしてなりません。それでは、ニューヨークタイムズのような紙からデジタルへの転換もうまくいかないでしょう。
ビデオニュースドットコムの神保哲生氏は、鮫島浩氏をゲストに迎えた下記の番組の「概要」で、朝日新聞について、次のように書いていました。
ビデオニュースドットコム
マル激トーク・オン・ディマンド (第1117回)
なぜ朝日新聞はこうまで叩かれるのか
ゲスト:鮫島浩氏
鮫島氏の話を聞く限り、今や朝日新聞という組織はとてもではないが、リベラル言論の雄を引き受けられるだけの矜持は持ち合わせていないように見える。しかし、問題は朝日がいい加減なことをやれば、これまでリベラル派からやり込められ、リベラルに対して怨念を抱く保守派は嵩に懸かって攻勢に出る。そして、朝日がむしろ社内的な理由から記事の訂正や撤回に追い込まれることにより、リベラルな主張や考え方自体が間違っていたかのようにされてしまう。日本では今もって朝日新聞は、少なくとも一部の人たちにとってはリベラル言論の象徴的な存在なのだ。それは逆の見方をすれば、朝日はもはや組織内ではリベラルメディアの体をなしていないにもかかわらず、表面的にはリベラルの旗を上げ続けることによって、日本のリベラリズムの弱体化を招いているということにもなる。
(略)
今となっては、朝日はリベラルだから叩かれるのではなく、実際にはリベラルとは真逆なことを数多くやっていながら、表面的にリベラルを気取るから叩かれるというのが、事の真相と言えるかもしれない。だとすれば、今朝日がすべきことは、言行を一致させるか、リベラルの旗を降ろすかの二択しかない。
たしかにその通りなのです。正直言って、20代の頃からの読者である私の中にも、朝日に対して「リベラル言論の象徴的な存在」のような幻想が未だ残っています。しかし、ほとほと嫌気がさしているのも事実です。
朝日の発行部数は、最盛期の半分まで落ちているそうですが、朝日を「リベラル言論の象徴的な存在」のように思っているコアな読者が離れたら、それこそ瓦解はいっきに進むでしょう。あとは不動産管理会社として細々と生きていくしかないのです。
(別にこれは朝日に限りませんが)朝日新聞は、政局でもワールドカップでも、そしてウクライナ侵攻でも、米中対立でも、伝えるべきことは何も伝えてないのではないか。ジャーナリズムの本分を忘れているのではないか。最近は特にその傾向がひどくなっているように思えてなりません。文字通り、堕ちるところまで堕ちたという気がしてならないのです。