日本がスペインを破って決勝トーナメントに進出を決めたことで、日本中が地鳴りが起こるような大騒ぎになっています。メディアの「勝てば官軍」はエスカレートするばかりです。

まるで真珠湾攻撃のあとの大日本帝国のように、国中が戦勝ムードに浮かれているのを見ると、天邪鬼の私は、気色の悪さを覚えてなりません。

私はただの「ニワカ」ですが、もちろん、みながみなサッカーに関心があるわけではないでしょう。サッカーで騒いでいるのは一部と言っていいかもしれません。でも、メディアの手にかかれば、まるで国中が歓喜に沸いているような話になるのです。

また、Jリーグのクラブチームの熱烈なサポーターの中には、代表戦にはまったく興味がないという人間もいるのです。それは、日本だけではなくヨーロッパなども同じで、サポーターの間ではそういったことは半ば常識でさえあるそうです。私の知り合いで、スペインリーグの熱烈なファンがいて、年に何度か現地に応援に行っていましたが、彼も代表戦にはまったく興味がないと言っていました。

だから、彼らは、代表戦のときだけサッカーファンになって騒ぐ人間のことを「ニワカ」と呼んでバカにするのですが、たしかに日頃からスタジアムに足を運んで、地元のチームを応援している人間からすれば、代表戦のときだけユニフォームを着てお祭り騒ぎをしている「ニワカ」たちをバカにしたくなる気持はわからないでもありません。

ところが、そんな代表戦を醒めた目で見ていたサッカー通のサポーターでも、スペインに勝った途端、「こんな日が来るとは思わなかった」「隔世の感がある」なんてツイートするあり様なのでした。これではどっちが「ニワカ」かわからなくなってしまいます。

今回のワールドカップで印象的なのは、ヨーロッパや南米のチームが相対的に力が落ちてきた(ように見える)ということです。

日本戦でも、前半のスペインは、まるで日本をおちょくっているかのような、緊張感のないパス回しに終始していました。巧みなパス回しは「ティキ・タカ」と言われスペインサッカーの特徴だそうですが、その先にあるはずの波状攻撃がほとんどありませんでした。パス回しを披露する曲芸大会ではないのですから、今になればあれは何だったんだと思ってしまいます。後半に立て続けに日本に点を入れられてからのあたふたぶりやおざなりなパスミスも、今までのスペインには見られなかったことです。

スペインは、日本が0対1で負けたコスタリカには7対0で圧勝しているのです。サッカーはそんなものと言えばそうかもしれませんが、日本戦ではコスタリカ戦で見せたような迫力に欠けていたのはたしかでしょう。

メディアが言うように、日本の力がホントにスペインやドイツを打ち負かすほど上がってきたのか。でも、ワールドカップの前までは、日本のサッカーはまったく進化してない、そのためワールドカップも関心が薄い、と散々言われていたのです。それが、今度は手の平を返したようなことを言っているのです。

それに、今のバカ騒ぎを見ていると、コロナ禍もあって、どこのクラブも経営が悪化していることが嘘のようです。今年の3月にはお茶ノ水の本郷通りから入ったところにある日本サッカー協会の自社ビル(JFAビル)が、JFAの財政悪化で三井不動産に売却されることが発表され衝撃を与えました。私は、JFAが渋谷の道玄坂の野村ビルにあった頃から知っていますが(その横にいつも路上駐車していたので)、今調べたらお茶の水に自社ビルを建てて移転したのは1993年だそうです。あれから僅か30年で再び賃貸生活に戻るのです。「ニワカ」たちは、日本のサッカーが置かれている厳しい現実に目を向けることも忘れてはならないでしょう。

交通整理の警察官みたいなメッシに頼るだけのアルゼンチンがサウジに負けたのは、小柳ルミ子と違って私は別に驚きませんでしたが、ポルトガルも韓国に負けたし、ブラジルもカメルーンに、ベルギーもモロッコに、フランスもチュニジアに負けました。ドイツに至っては前回大会に続いてグループリーグ敗退なのです。

決勝トーナメントに進出した16ヶ国のうち、ヨーロッパは半分の8ヶ国を占めて一応面目を保ちましたが、南米はブラジルとアルゼンチンの2ヶ国だけでした。たしかに、サッカーも、ヨーロッパや南米が特出した時代は終わり、世界が拮抗しつつあるのかもしれません。

森保監督は、決勝トーナメント第一戦のクロアチア戦への意気込みを問われて、「日本人の魂を持って、日本人の誇りを持って、日本のために戦うということは絶対的に胸に刻んでいかないといけない」と、まるで戦争中の校長先生の訓辞のようなことを言っていましたが、それを聞いて、私は、この監督の底の浅さを見た気がしました。登山もそうですが、スポーツは戦争とは違うのです。森保監督は、スポーツを戦争と重ねるような貧しい言葉しか持ってないのでないか。

日本の代表メンバー27人のうち国内組は7人にすぎず、あとは海外のクラブに所属しています。多くの選手は、普段は海外でプレーしており、代表戦のときだけジャパンブルーのユニフォームを着て、肩を組んで君が代を歌っているにすぎないのです。

サッカーは偶然の要素が大きいスポーツですが、そうそう偶然が続くとは思えないので、日本のサッカーのレベルが上がったのかもしれませんが、そうだとしても、「日本人の魂」や「日本人の誇り」は関係ないでしょう。日本代表のレベルが上がったのなら、多くの選手が海外のクラブに所属して、世界レベルのサッカーを経験したからです。強調すべき(問われるべき)は、「日本人の魂」や「日本人の誇り」ではなく、海外で培われた(はずの)ひとりひとりの選手のパフォーマンスでしょう。

それにしても、メディアの「勝てば官軍」には、恥ずかしささえ覚えるほどです。ヨーロッパでは、カタール大会に批判的な声が多く、それに抗議するためにパブリックビューイングをとりやめたり、スポーツバーなども応援イベントを中止したりして、今までの大会のような熱気は見られないと言われています。中にはいっさい報道しないという新聞もあるくらいです。ところが、日本のメディアの手にかかれば、それは負けて意気消沈してお通夜のように静まりかえっている、という話になるのです。戦争中の大本営発表か、と言いたくなりました。

ワールドカップの関連施設の建設に従事した同じアジアからの出稼ぎ労働者6500人が、過酷な労働で亡くなった問題などどこ吹く風のようなはしゃぎようです。ブラジルの応援団の男性が、虹が描かれたブラジルの州旗を持ってスタジアムの近くを歩いていたら、カタールの警察に取り囲まれて旗を取り上げられたという出来事もあったそうですが、そんな国でワールドカップが開催されているのです。カタールは、同性愛者は逮捕され、拷問を受けたり死刑にされたりする国なのです。

日本はそういった問題にあまりにも鈍感なのですが、もっとも、日本でも外国人技能実習制度が人権侵害の疑いがあるとして、国連の人種差別撤廃委員会から是正の勧告がなされていますし、レインボーカラーに対しても、LGBTに反対する杉田水脈のような日本会議や旧統一教会系の右派議員から反日の象徴みたいに呪詛されており、カタールと似た部分がないとは言えないのです。

JFA(日本サッカー協会)の田嶋幸三会長は、大会前に、カタールの人権侵害に抗議の声が上がっていることについて、「今この段階でサッカー以外のことでいろいろ話題にするのは好ましくないと思う」「あくまでサッカーに集中すること、差別や人権の問題は当然のごとく協会としていい方向に持っていきたいと思っているが、協会としては今はサッカーに集中するときだと思っている。ほかのチームもそうであってほしい」とコメントしたそうですが、それこそスポーツウォッシング(スポーツでごまかす行為)の見本のようなコメントと言っていいでしょう。ヨーロッパのサッカー協会に比べて、田嶋幸三会長の認識はきわめてお粗末で下等と言わねばなりません。それがまた、日本のメディアの臆面のない「勝てば官軍」を生んでいるのだと思います。

もっとも、前も書きましたが、「勝てば官軍」=ぬけがけ・・・・の思想においては韓国も同じです。ここでも、日本と韓国は同じ穴のムジナと言っていいほどよく似ているのでした。
2022.12.03 Sat l 芸能・スポーツ l top ▲