
スペインが、決勝トーナメントの初戦で、PK戦の末モロッコに敗れましたが、モロッコ戦のスペインは日本戦のときと同じでした。スペインは決勝トーナメントを見据えて日本戦で手をぬいた、というような話がありましたが、それは誇大妄想だったのです。そもそもスペインには、そんな“強者の余裕”などはなからなかったのです。あれがスペインの今の力だったのです。
日本のメディアでは、「日本サッカーの歴史が変わった」などと「勝てば官軍」のバカ騒ぎが続いていますが、そんな中で、まるで自画自賛の浮かれた空気に冷水を浴びせるように、セルジオ越後氏が下記のような感想を述べていました。
日刊スポーツ
【セルジオ越後】早い段階からブラボーブラボー…弱いチームが快進撃続けた時の典型的なパターン
もうブラボーって言えなくなったな。早い段階から日本はブラボー、ブラボーと騒ぎすぎた。喜ぶのはいいことだが、日本国内も現地カタールでも、すべてを得たような騒ぎだった。弱いチームが快進撃を続けた時の典型的なパターン。結局、世界の中で日本の立ち位置はまだ低いということだね。決勝トーナメントに入ってからが本当の勝負なのに、その前に満足したのかな。クリスマスの前に騒ぎすぎて、いざクリスマスの時は酔っぱらいすぎて疲れてしまったって感じだな。
攻め手がなく、みんな守り疲れて、スイッチを入れるタイミングでは足が動かなかった。ロングボールを前線に蹴り込んで、何とかしてくれ、と言われても何とかならない。
カウンターに頼るのが弱いチームの常套戦術であるのは、「ニワカ」の私でも知っています。私もたまたま観ていて、思わず膝を叩いたのですが、内田篤人も、クロアチア戦のあとの「報道ステーション」で、選手の声として、次のように伝えていました。
「このスタイルがこの先の日本の方向性を決めるスタイルなのかな。僕たちがやりたいサッカーって何なのかな。これは強いチームに対してしっかり守ってカウンター。それは日本のやりたいことなのかなっていう声も選手の中では聞こえてきました」(ディリースポーツの記事より)
ホントに日本のサッカーは進歩したのか。11月9日の国内組の出発の際は、数十人が見送っただけだったのに、今日は約650人のファンと約190人の報道陣が、成田空港の到着ロビーに出迎えたそうです。こんな安直な手のひら返しの現実を前にして、「日本サッカーの歴史が変わった」と言われても鼻白むしかありません。
終わりよければ全てよしで、森保監督の続投も取り沙汰されていますが、何だかサッカーまでが野球や相撲と同じパラダイス鎖国のスポーツになりつつあるような気がしてなりません。日本では、テストマッチや選手の起用などにスポンサーが関与することが前から指摘され、問題視されていました。日本のサッカーが世界のレベルに近づくためには、まず日本サッカー協会が前時代的な”ボス支配”から脱皮することが必要なのです。そういった改革を求める声も、いつの間にかどこかに飛んで行った感じです。
「勇気をもらった」「元気をもらった」「感動をありがとう」などという、お馴染みの情緒的な言葉によって思考停止に陥り全てをチャラにする没論理的な精算主義は、日本人お得意の精神的な習性とも言えるものですが、あにはからんや、森保監督の「和」を尊ぶ対話路線が「歴史を変えた」みたいな話が出て、この4年間の検証はそれで済まされるような空気さえあります。そうやって全員野球ならぬ”全員サッカー”の日本的美徳が言挙げされ、結局また元の木阿弥になってしまうのかもしれません。
ワールドカップなんて、国内リーグの「おまけ」「お祭り」みたいなものと言う人もいるくらいで、たしかに海外の強豪国のサッカーは個々の選手のパフォーマンスの競演みたいな感じがあります。一方、日本は「和」を重んじる”全員サッカー”で、選手の個性があまり表に出て来ません。「オレが」「オレが」というのは嫌われ、「出る杭は打たれる」のが日本の精神的風土ですが、しかし、(遊びでも実際にサッカーをするとわかりますが)サッカーというのは「オレが」「オレが」のスポーツなのです。そういった精神性もサッカー選手にとって大事な要素であるのはたしかでしょう。たまたまかもしれませんが、今大会で唯一個性が出ていたのは三苫薫くらいです。だから、彼は高い評価を得たのでしょう。
いつまで「日本人の魂」や「日本人の誇り」でサッカーを語るつもりなのか、と言いたくなります。スポーツライターの杉山茂樹氏いわく、「海外にも、適任者はたくさんいるが、こう言っては何だが、そのキャリアを捨て日本代表監督になろうとする人物はけっして多くない」(Web Sportiva)そうなので、外国人監督を招聘するのも大変なのかもしれませんが、子飼いの日本人監督だったら誰がなっても同じだと思います。彼らのサッカーは、丸山眞男が言う「番頭政治」みたいなものです。日本の選手たちがせっかくこれだけ海外のクラブでプレーして、世界レベルのサッカーで揉まれて、それなりのパーフォーマンスを身に付けているにもかかわらず、内田篤人が言うように、自己を犠牲にした守りに徹した上に、ロングボールでカウンターではあまりに芸がなさすぎる、と「ニワカ」は思うのでした。