国会議事堂
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世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の被害者救済を目的とした「救済法」(法人等による寄付の不当な勧誘の防止等に関する法律)と改正消費者契約法が昨日(10日)、参院本会議で与党などの賛成多数で可決、成立しました。採決では、自民・公明の与党と、立憲民主・日本維新の会・国民民主が賛成し、共産とれいわ新選組は反対したそうです。

でも、前も書いたように、この法律が今国会で成立するのは、与野党の間では合意済みと言われていました。会期末ギリギリに成立したのも筋書きどおりなのかもしれません。

この法律に対しては、宗教二世や被害対策の弁護団などからは、「ザル法」「ほとんど役に立たない」という声がありました。また、野党も当初は同じようなことを言っていました。

実際に今回のような法律では、法の不遡及の原則により、「救済」の対象はあくまでこれから発生する「被害」に対してであって、過去の「被害」は対象外なのです。また、「被害」の認定にしても、法案では「配慮義務」という曖昧な文言が使われているだけです。「禁止」という明確な言葉はないのです。それでは「被害」の認定が難しい「ザル法」で、実効性に乏しいと言われても仕方ないでしょう。

ところが、国会の会期末が近づくと、立憲民主党など野党は、「充分ではないがないよりまし」「一定の抑止効果はある」などと言い出して、このチャンスを逃すと被害者救済は遠のくと言わんばかりの口調に変わったのでした。すると、救済を訴えてきた宗教二世からも、「ザル法」などという言葉は影をひそめ、法案の成立は「奇跡に近い」、尽力してくれた与野党に「感謝する」というような発言が飛び出したのです。私は、その発言にびっくりしました。と同時に、そう言わざるを得ない宗教二世たちの心情を考えると、何だかせつない気持にならざるを得ませんでした。

9日には、宗教二世と全国霊感商法対策弁護士連絡会の弁護士が、参院の消費者問題特別委員会に参考人招致され、意見陳述したのですが、そのときは、国会の会期は延長せず、翌日10日の参院本会議で採決し成立させることが既に決定していたのです。何のことはない、参考人招致は、形式的な儀式にすぎなかったのです。

国会での審議は僅か5日でした。立憲民主党は、みずからの主張と政府与党が提出した法案とは「大きな隔たりがある」と言いながら、会期延長を求めるわけではなく、会期末の成立に合意したのです。

「救済法」には2年後を目処に見直すという付帯事項が入っており、岸田首相も、賛成した野党も、盛んにそれを強調しています。何だか法律が「役に立たない」ことを暗に認めているんじゃないかと思ってしまいます。宗教二世は、「被害者を忘れずに議論を続けてほしい」と言っていましたが、そういった言葉も空しく響くばかりです。

宗教二世たちは、結局、与野党合作の猿芝居に振りまわされただけのような気がしてなりません。彼らの切実な訴えより”国対政治”が優先される、政治の冷酷さをあらためて考えざるを得ないのでした。

ジャーナリストの片岡亮氏は、『紙の爆弾』(1月号)の「旧統一教会と自民党 現在も続く癒着」という記事で、「救済法」の国会論議に関連して、自民党議員の若手秘書の次のような発言を紹介していました。

 自民党の若手秘書は「議員はみんな、公明党がいるから宗教法人法には手をつけられないと口を揃えている」と話す。
「それこそ自公政権自体が政教分離違反ですよね。本来、公明党は統一教会との違いをハッキリ示すべきなのに、ただ規制強化に反対しているのですから、これでは同じ穴のムジナ」
 旧統一教会の問題とは、言ってしまえば、社会的に問題のある団体があった場合、政治がどう対処するのか、ということだ。その方法には大別して「攻めと守りがある」と、同秘書は続ける。
「攻めとは悪質な宗教団体の取り締まりです。統一教会であれば解散で、宗教団体という認定を外すこと。法人格や税優遇を取り消せます。公的な認定がなくなれば、自然と信者の脱会も促せるでしょう。実際、それを提案して、脱会信者の専門サポート体制も作ろうとした人は自民党にもいましたが、大きな反発を受けています。一方、守りは被害者の保護。契約法改正や献金規制で、被害を食い止めること。ただ、あくまで被害があった場合の救済措置なので、被害自体をなくす作業ではありません。いま自民党は教団を繋がっている議員ばかりなので、攻めには反対が多く、守りだけで世間の批判を収めようという流れになっています」
(『紙の爆弾』1月号・片岡亮「旧統一教会と自民党 現在も続く癒着」)


記事のタイトルにあるように、自民党の政治家たちと旧統一教会との関係は今も続いている、と指摘する声も多くあります。政権の中枢に浸透するくらいのズブズブの関係だったのですから、そう簡単に手が切れるわけがないのです。今回の法案の与党側の調整役だったのは、旧統一教会の信者から「家族も同然」と言われ、信者の集まりで「一緒に日本を神様の国にしましょう」と挨拶したあの萩生田光一自民党政調会長でした。文字通り泥棒に縄をわせるようなもので、悪い冗談みたいな話です。

また、片岡氏は、同じ記事で、「ステルス信者」の問題も取り上げていました。「ステルス信者」というのは、言うなれば隠れキリスタンのようなもので、「信者であることを隠して信仰し、特定の政治家を応援」している信者たちのことです。と言うのも、旧統一教会には正式な入信制度がないそうで、そのため、他の教団と違って「組織が非常に曖昧」で、信者数も「不明瞭」なのだとか。報道されているように、関連団体が無数に存在するのもそれ故です。「ステルス信者」は、「彼らが隠密に政治や行政に取り入るための方法」なのですが、今回の騒動で、ステルス、つまり、信者であることを隠す行為がいっそう「加速」されるようになった、と片岡氏は書いていました。カルトは何でもありなので、今までも脱会運動を行っていたのが実は教団寄りの人物だったということもありましたが、今後偽装脱会も多くなるかもしれません。

今の流れから行けば、宗教法人法に基づいて解散命令の請求が行われるのは間違いないでしょう。それと今回の「救済法」の二点セットで、旧統一教会の問題の幕引きがはかられる可能性が大です。実際に、メディアの報道も目立って減っており、彼らの関心もこのニ点に絞られています。

ただ、教団の抵抗で最高裁まで審理が持ち込まれるのは間違いないので、最終的な決定が出るまでかなり時間がかかるでしょう。それまで、「他人ひとの噂も四十九日」のこの国の世論が関心を持ち続けることができるかですが、今のメディアの様子から見てもほとんど期待はできないでしょう。下手すれば、姿かたちを変えて、再び(三度)ゾンビのように復活する可能性だってあるかもしれません。

旧統一教会の問題は、「信教の自由」や「政教分離」のあり方などを根本から問い直すいい機会だったのですが、結局、それらの問題も脇に追いやられたまま、まるで臭いものに蓋をするようにピリオドが打たれようとしているのです。

泥棒に縄をわせるやり方もそうですが、”鶴タブー”をそのままにして旧統一教会の問題を論じること自体、ものごとの本質から目を背けたその場凌ぎの誤魔化しでしかないのです。


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