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(2018年大船山)

先日、ユーチューブを観ていたら、ある女性ユーチューバーが祖母山や傾山に登っている動画がアップされていました。

彼女は、大分県と宮崎県にまたがる祖母山・傾山・大崩山が、ユネスコエコパーク(生物圏保存地域)に指定されているので、そのPR活動のために動画を依頼されて訪れたようです。

ちなみに、ユネスコエコパークとは、次のようなものです。

ユネスコエコパーク(生物圏保存地域)は、生物多様性の保護を目的に、ユネスコ人間と生物圏(MAB)計画(1971年に開始した、自然及び天然資源の持続可能な利用と保護に関する科学的研究を行う政府間共同事業)の一環として1976年に開始されました。
ユネスコエコパークは、豊かな生態系を有し、地域の自然資源を活用した持続可能な経済活動を進めるモデル地域です。(認定地域数:134か国738地域。うち国内は10地域。)※2022年6月現在
世界自然遺産が、顕著な普遍的価値を有する自然を厳格に保護することを主目的とするのに対し、ユネスコエコパークは自然保護と地域の人々の生活(人間の干渉を含む生態系の保全と経済社会活動)とが両立した持続的な発展を目指しています。

文部科学省
生物圏保存地域(ユネスコエコパーク)


国内で指定されているのは、以下の10ヶ所です。

白山
大台ヶ原・大峯山・大杉谷
志賀高原
屋久島・口永良部島
綾(宮崎県綾町)
只見
南アルプス
祖母・傾・大崩
みなかみ(群馬県みなかみ町)
甲武信

私は、祖母・傾山が大崩山とともに、ユネスコエコパークに指定されていることはまったく知りませんでした。

前に何度も書きましたが、私はくじゅう(久住)連山の麓にある温泉町で生まれました。祖母・傾山の登山口は、山をはさんだ南側の町にあります。山をはさんで北側にあるのが湯布院です。

北側の湯布院には久留米と大分を結ぶ久大線が走っており、南側には熊本と大分を結ぶ豊肥線が走っています。しかし、真ん中にある私の町には鉄道が走っていません。そのため、私の田舎は由布院とは対極にあるようなひなびた温泉地でした。

最寄り駅は、西側の山をひとつ越えた隣町にあるのですが、隣町とは平成の大合併によって同じ市になったのでした。ただ、大昔は同じ郡だったので、言うなれば離婚した夫婦が復縁したようなものです。その最寄り駅から祖母・傾山の登山口に行く登山バスが運行されているのですが、それを知ったのも最近でした。ユネスコエコパークに指定されたのは2017年だそうなので、指定を受けて運行されるようになったのかもしれません。

ただ、私たちの田舎の山はあくまで久住連山(大船山)で、私たちの田舎から祖母・傾山に登る人はほとんどいませんでした。そもそも昔は登山口に行く交通手段もなかったのです。

これも何度も書いていますが、私は若い頃勤めていた会社の関係で、山を越えた南側の町(現在は合併して市)の営業所に5年間勤務していたことがあるのですが、祖母・傾山に登るならそっちの方が全然近いのです。大分県側の登山口も南側の町にあります。山開きのときもその町の人たちは祖母山に登っていました。ただ、祖母山の山頂が私たちの市に帰属しているので、そういった関係から私たちの市の最寄り駅からバスが運行されることになったのだと思います。

つまり、私たちの市には、九州の屋根を呼ばれる久住連山と祖母山があるのです。傾山は私が営業所に勤務していた南側の市に帰属しています。祖母山と傾山の大分県側の登山口も、その市にあります。

祖母山には、営業所に勤務していたとき、よく行っていた喫茶店で知り合った地元の登山グループと一緒に登ったことがあります。私たちは、「祖母・傾山」というように一括りした言い方をしていましたが、ただ、大半の人たちは祖母山に登っていました。動画を観ると、たしかに傾山は距離も長いし登山道も難度が高いみたいなので、大分県側では敬遠されていたのかもしれません。宮崎側へ行けば山行時間の短いお手軽なコースがあるそうです。

昔、傾山で野営していた女性ハイカーが、九州では絶滅したはずの”熊”を見たと言って話題になったことがありましたが、そのときも大分側で遭遇したと言われていました。”熊”はともかく、あんなに距離が長いと野営したくなる気持もわかるような気がします。

祖母山や傾山の登山口がある町も、私は仕事で担当していた地区だったのでよく知っています。ただ、動画に出ていた神原登山口が立派に整備されていたのにはびっくりしました。昔はあんなトイレも駐車場もありませんでした。山を越えた宮崎県側には、地元の教師たちによってヒ素による公害が告発された土呂久鉱山があり、私も車で峠越えを試みたことがありましたが、道が荒れていて途中で断念したことを覚えています。

傾山に登っている途中に出てきた指導標(道案内)に「上畑」という地名がありましたが、そういった地名を見ただけでなつかしい気持になるのでした。

また、ユーチューバーが休憩中に食べていた地元のお菓子も、先日、田舎の友人が上京した際にお土産に貰ったばかりだったので、わけもなく嬉しくなりました。小さい頃からよく食べていたお菓子で、父親の葬儀で帰省した際、香典返しにそのお菓子を東京の会社に送ったこともありました。

これも何度も書いていますが、私は実家にいたのは中学までで、高校は親元を離れて街の学校に行きました。それで、休みで帰省して再び列車で下宿先に向かう際、そのお菓子を買うために店に行ったら、店のおばさんから「どこの高校?」と訊かれたのです。それで、「○○の××高校です」と答えたら、「エー、そんな遠くの学校に行っているんだ?」とびっくりされたことがありました。何故かそのときのことを今でも覚えていて、先日、友人にその話をしたら、「ああ、△△のおばちゃんか。もうとっくに死んだよ」と言っていました。

ユーチューバーは、登山の前日と翌日に最寄り駅がある町に宿泊したようで、町の観光名所やうら寂れた通りの様子が動画で紹介されていました。旅の宿でもそうで、まったくの山間僻地より中途半端な田舎町の方が妙に旅愁をそそられるところがあります。山間の小さな城下町だったので、地元の人間にはよけい栄枯盛衰のわびしさが偲ばれるのでした。

合併した現在でも人口2万人足らずですが、城下町だったので文化資本は豊かで、昔は著名な日本画家や軍人や学者や作家などを輩出し、私が若い頃勤めていた会社もそうでしたが、町の出身者で東京の上場企業の社長になった人も何人かいます。しかし、今はその面影をさがすことはできません。

年を取ると、あれほど嫌っていた故郷なのに、やたら昔のことが思い出され、望郷の念を抱くようになるものです。しかし、坂口安吾が、「ふるさとに寄する賛歌」で「夢の総量は空気であった」と書いていたように、いつの間にか自分がふるさとから疎外され「エトランゼ」になっていたことを思い知らされるのでした。それはむごいほど哀しくせつない気持です。

脚色されたテレビの番組と違って個人の動画なので、動画から伝わる素朴でゆったりした空気感のようなものが、私の心情によけい染み入るところがありました。ユーチューブでそんな気持になったのも初めてでした。


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