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同じような話のくり返しですが、政府が「反撃能力」(敵基地攻撃能力)の保有を明記し、2024年度から5年間で防衛費を16兆円(1.5倍)増額して43兆円にする方針などを示した新しい安全保障関連3文書を閣議決定しました。それによって、日本の防衛政策は「歴史的な大転換」が行われたと言われています。
それを受けて週末(17・18日)、各メディアによって世論調査が行われ、その結果が報じられています。
毎日新聞の世論調査では、防衛費増額について、賛成が48%、反対が41%、わからないが10%だったそうです。
また、財源の増税については、賛成が23%、反対が69%。国債の発行については、賛成が33%、反対が52%でした。「社会保障費などほかの政策経費を削る」ことについては、賛成が20%で、反対が73%でした。
Yahoo!ニュース
毎日新聞
岸田内閣支持率25% 政権発足以降で最低 毎日新聞世論調査
一方、朝日新聞の世論調査でも、防衛費増額について、賛成が46%、反対が48%と「賛否が分かれた」そうです。「敵基地攻撃能力」の保有については、賛成56%、反対38%でした。
財源の1兆円増税については、賛成29%、反対66%で、国債の発行についても、賛成27%、反対67%でした。
朝日新聞デジタル
内閣支持率が過去最低31%、防衛費拡大は賛否割れる 朝日世論調査
これを見て、為政者たちは「じゃあどうすればいんだ?」と思ったことでしょう。防衛費増額については賛否が分かれたものの、「敵基地攻撃能力」の保有は賛成が多く、費用については増税も国債もどれも反対が大幅に上回っているのです。
ということは、防衛費増額(防衛力の拡大)に賛成しながら、増税も国債の発行も反対という回答も多くあるわけで、そういった矛盾した回答には口をあんぐりせざるを得ません。
日本は軍拡競争というルビコンの橋を渡る「防衛政策の歴史的大転換」に踏み切ったのです。安保3文書で示された2027年までの「中期防衛力整備計画」は、ホンの始まりにすぎません。常識的に考えても、装備を増やせばその維持管理費も増えるので、さらに新しい武器を揃えるとなると、その分予算を積み増ししなければなりません。1%の増税で済むはずがないのです。もちろん、毎年3兆円、私たちに向けられた予算が削られて防衛費に転用することも決まったのですが、それも増えることになるでしょう。これは、あくまで軍拡の入口にすぎないのです。
この世論調査の回答からも、自分たちは関係ない、汚れ仕事は自衛隊に任せておけばいいという、国民の本音が垣間見えるような気がします。為政者ならずとも「勝手なもんだ」と言いたくなります。そんな勝手が通用するはずがないのです。
先の戦争では、国民は、東條英機の自宅に「早く戦争をやれ!」「戦争が恐いのか」「卑怯者!」「非国民め!」というような手紙を段ボール箱に何箱も書いて送り、戦争を熱望したのです。そのため、東條英機らは清水の舞台から飛び降りるつもりで開戦を決断したのです。ところが、敗戦になった途端、国民は、自分たちは「軍部に騙された」「被害者だ」と言い始めて、一夜にして民主主義者や社会主義者に変身したのです。
私は、その話を想起せざるを得ません。
だったら、徴兵制と大増税で、傍観者ではなく当事者であることを嫌というほど思い知ればいいのだと思います。「敵基地攻撃能力」(先制攻撃)の保有によって、中国や北朝鮮からの挑発も今後さらに激しくなってくるでしょう。一触即発までエスカレートするかもしれません。そうなれば、当然徴兵制復活の声も出て来るに違いありません。「中国が」「ロシアが」「韓国が」と言っている若者たちも、徴兵されて「愛国」がなんたるかを身を持って体験すればいいのだと思います。
一方で、徴兵制について、次のような捉え方もあります。たまたま出たばかりの笠井潔と絓(すが)秀実の対談集(聞き手・外山恒一)『対論 1968』(集英社新書)を読んでいたら、連合赤軍の同志殺しについて、笠井潔が次のように語っているのが目に止まりました。
笠井 (略)赤軍派の前乃園紀男(花園紀男)の言葉があるよね。「狭いけど千尋の谷があって、普通の脚力があれば、思い切って跳べば跳べる程度の距離なんだから、跳べばよかったのに、いざ千尋の谷を目の前にすると体が竦んで、とりあえず跳ぶ訓練をしようと言い出し、総括の連続で自滅していった」、つまり「そもそも”訓練”なんか必要なかった。単に”跳んで”いれば連合赤軍みたいなことは起きなかった」といった趣旨の。まったくの正論ですが、その上で”投石”と”銃撃戦”の間に”千尋の谷”が存在した理由を考えなければいけない。ベトナム戦争の戦時中だったアメリカはもちろん、イタリアやドイツにも当時は徴兵制があったし、学生の多くは徴兵制は免除されたにしても、同年代に軍隊経験のある友達はいくらでもいた。
絓 徴兵制の有無は大きいですよ。
若者が軍隊経験を持つ=暴力を身に付けることによって、その暴力が政治の手段に転化し得る可能性があるということです。徴兵制は、”政治暴力”とそれをコントロールする術を学ぶ絶好の機会にもなるのです。もちろん、「千尋の谷」を跳ぶ必要もなくなります。
徴兵制というのは、日常や政治に暴力を呼び込むということであり、国家権力にとっても両刃の剣でもあるのです。最近では、安倍晋三元首相銃撃事件が好例です。山上容疑者が自衛隊で暴力の訓練を受けてなければ、少なくとも銃殺するという発想を持つことはなかったでしょう。
とまれ、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と思っているなら、みんなで戦争への道に突き進めばいいのです。加速主義というのは、平たく言えば、そういう話でしょう。このどうしようもない国民の意識は、加速主義による「創造的破壊」によってしか直しようがないのではないかと思います。
現在、世界を覆っている未曽有の資源インフレに示されているように、資本主義が臨界点に達しようとしているのはたしかで、政治と経済が共振して資本主義の危機がより深化しているのは否定しようがない気がします。
アメリカが唯一の超大国の座から転落して世界は間違いなく多極化する、と前からしつこいほど言ってきましたが、アメリカの凋落と国内の分断、ロシアや中国の台頭など、ますますそれがはっきりしてきたのです。ロシアがあれほどの蛮行を行っても、西側のメディアが報じるほどロシアは世界で孤立しているわけではないのです。
ウクライナが可哀そうと言っても、従来のようにアメリカが直接軍事介入を行うことはできないのです。ウクライナがNATO加盟国ではないからとか、核戦争を回避するためだとか言われていますが、しかし、ベトナム戦争のときでもソ連は核を持っていました。でも、アメリカは直接軍事介入したのです(できたのです)。
戦後、アメリカは戦争して一度も勝ったことがないと言われていますが、たしかに考えてみればそうです。それでいい加減トラウマができて、国内世論も軍事介入することに反対の声が大きくなったということもあるかもしれません。しかし、それ以上に、アメリカがもはや他国に軍事介入するほどの力がなくなったということの方が大きいのではないか。言うなれば、毛沢東が言った「アメリカ帝国主義は張り子の虎である」ことが現実になった、と言っていいかもしれません。今回の日本の「防衛政策の歴史的大転換」もその脈絡で見るべきでしょう。