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(2022年11月)


毎年同じことを書いていますが、年の瀬が押し迫るとどうしてこんなにしんみりした気持になるんだろうと思います。

飛び込みで電車が停まったというニュースも多くなるし、メディアも今年亡くなった人の特集を行なったりするので、否が応でも死について考えざるを得ません。

このブログでも、「訃報・死」というカテゴリーで亡くなった人について記事を書いていますが、今年取り上げたのは(敬称略)、津原康水(作家)、佐野眞一(ノンフィクションライター)、森崎和江(作家・評論家)、山下惣一(農民作家)、鈴木志郎康(詩人)、ジャンリュック・ゴダール(映画監督)、上島竜平(お笑い芸人)、S(高校時代の同級生)、西村賢太(作家)でした。

他にも、記事では触れなかったけど、『噂の真相』に「無資本主義商品論」というコラムを長いこと連載していた小田嶋隆(コラムニスト)も65歳の若さで亡くなりました。

『突破者』の宮崎学(ノンフィクションライター)も76歳で亡くなりました。驚いたのは、Wikipediaに「老衰のため、群馬県の高齢者施設で死去」と書いていたことです。76歳で「老衰」なんてあるのかと思いました。

石原慎太郎やアントニオ猪木やオリビア・ニュートン・ジョンや仲本工事などおなじみの名前も鬼籍に入りました。

昨日は、タレントの高見知佳が急死したというニュースもありました。4年前に離婚したのをきっかけに、高齢の母親の介護をするために、一人息子を連れてそれまで住んでいた沖縄から愛媛に帰郷。今年7月の参院選には立憲民主党から立候補(落選)したばかりです。

ニュースによれば、参院選後、身体のだるさを訴えていたそうです。そして、11月に病院で診察を受けると子宮癌であることが判明、癌は既に他の箇所に転移しており、僅か1ヶ月で亡くなったのでした。最後は周りの人たちに「ありがとう」という言葉を残して旅立って行ったそうです。人の死はあっけないものだ、とあらためて思い知らされます。

石牟礼道子と詩人の伊藤比呂美の対談集『死を想う』(2007年刊・平凡社新書)の中で、石牟礼道子(2018年没)は、1歳年下の弟が29歳のときに「汽車に轢かれて死んだ」ときの心境を語っていました。彼女は、「これで弟も楽になったな」「不幸な一生だったな」と思ったそうです。弟は既に結婚して3歳くらいの娘もいたそうですが、死は「人間の運命」だと思ったのだと。

たしかに、人生を考えるとき、冷たいようですが、諦念も大事な気がします。よくメンタルを病んだ人間に対して、「がんばれ」と言うと益々追い込まれていくので、「がんばれ」という言葉は禁句だと言われますが、「がんばれ」というのは、ワールドカップの代表や災害の被害者などに向けて「感動した」「元気を貰った」「勇気を貰った」などと言う言葉と同じで、ただ思考停止した、それでいて傲慢な常套句にすぎないのです。むしろ、諦念のあり様を考えた方が、人生にとってはよほど意義があるでしょう。

『死を想う』では、伊藤比呂美も次のような話をしていました。

伊藤 私の父や母が今死にかけてますでしょう。「死にかけている」と言っても、まだまだ「あと十年生きる」と言ってますけれど、年取っていますよね。感じるのは、父も母も、どこにも行く場所がなくて老いていってるなということ。拠り所がないと言いますか。父はいろんな経験のある、とっても面白い人だったんです。私は娘として、本当に父が好きだった。でも、ここに来て、何もかも投げ出しちゃったというか、何もすることがなくて。一日家の中で、何をしているんでしょう。時代小説を読んでいるくらいなんですよ。で、「つまらない、つまらない」といつも言うんです。寄りかかるものが何もない。母は母で病院でそんな感じでしょう。本も読めない、テレビも見たくない、なんにもしないで、ただ中空にぽかんと漂っている、ぽかんと。
(略)
 老いてみたらなんにもない。あの、あまりの何もなさに、見てて恐ろしくなるくらい。


伊藤比呂美は、「ここにもし信仰みたいなものがあれば、ずいぶん楽なんだろうなと思う」と言っていましたが、「生老病死の苦」に翻弄され、アイデンティティを失くした人間の最期の拠り所が、「信仰」だというのはよくわかります。

平成元年に父親が亡くなったとき、母親は地元の県立病院に寝泊まりして、入院している父親を介護していました。当時はそういったことが可能でした。また、我が家では父親の病気以外にも難題が持ち上がっており、母親はそれを一人で背負って苦悩していました。

正月に帰省した私は、実家に帰っても誰もいないので、県立病院にずっと詰めて、夜は近くのビジネスホテルに泊まっていました。

正月が明けて、東京に戻るとき、病院の廊下の椅子に母親と二人で座って話をしていたら、母親が突然泣き出して今の苦悩を切々と訴えはじめたのでした。

上野千鶴子が言う「母に期待されながら期待に添うことのできないふがいない息子」の典型のような私は、半ば戸惑いながら、母親の話を聞いていました。

そして、母親の話が途切れたとき、私は、「何か宗教でも信仰した方がいいんじゃね。そうしたらいくらか楽になるかもな」と言ったのでした。すると、母親は「エッ」というように急に真顔になり、涙で濡れた両目を見開いて私の方をまじまじと見たのでした。まさか私の口からそんな言葉が出るとは思ってもみなかったのでしょう。でも、目の前で泣き崩れている母親に声をかけるとしたら、もうそんな言葉しかないのです。

それも30年近く前の話です。母親も既にこの世にいません。いよいよ今度は私が「生老病死の苦」を背負う番なのです。
2022.12.23 Fri l 訃報・死 l top ▲