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■インフレ率を超える賃上げ
岸田首相が4日に伊勢神宮を参拝した際の記者会見で、今年の春闘においてインフレ率を超える賃上げの実現を訴えたことで、「インフレ率を超える賃上げ」という言葉がまるで流行語のようにメディアに飛び交うようになりました。
日本経済新聞
首相、インフレ率超える賃上げ要請 6月に労働移動指針
「この30年間、企業収益が伸びても期待されたほどに賃金は伸びず、想定されたトリクルダウンは起きなかった」と話した。最低賃金の引き上げに加え、公的機関でインフレ率を上回る賃上げをめざすと表明した。
「リスキリング(学び直し)の支援や職務給の確立、成長分野への雇用の移動を三位一体で進め構造的な賃上げを実現する」と強調した。労働移動を円滑にするための指針を6月までに策定するとも明らかにした。
ときの総理大臣が、この30年間、企業収益が伸びても賃金が上がらなかったと明言しているのです。しかも、賃金が上がらないのに、大企業は大儲けして、史上空前の規模にまで内部留保が膨らんでいると、総理大臣自身が暗に認めているのです。
このような岸田首相の発言は、とりもなおさず日本の労働運動のテイタラクを示していると言えるでしょう。たとえば、欧米や中南米などでは、賃上げを要求して労働者が大規模なストライキをしたり、政府の政策に抗議して暴動まがいの過激なデモをするのはめずらしいことではありません。そんなニュースを観ると、日本は中国や北朝鮮と同じグループに入った方がいいんじゃないかと思うくらいです。
昔、大手企業で労働組合の役員をしていた友人がいたのですが、彼は、連合の大会に行ったら、会場に次々と黒塗りのハイヤーがやって来るのでびっくりしたと言っていました。ハイヤーに乗ってやって来るのは、各産別のナショナルセンターの幹部たちです。友人が役員をしていた組合も、何年か役員を務めると、そのあとは会社で出世コースが用意されるという典型的な御用組合で、彼自身も私とは正反対のきわめて保守的な考えの持ち主でしたが、そんな彼でも「あいつらはどうしうようもないよ」「労働運動を食いものにするダラ幹の典型だよ」と言っていました。
友人は連合の会長室にも行ったことがあるそうですが、「うちの会社の社長室より広くて立派でぶったまげたよ」と言っていました。「あいつらは学歴もない叩き上げの人間なので、会社で出世できない代わりに、組合をもうひとつの会社のようにして出世の真似事をしているんだよ」と吐き捨てるように言っていましたが、当たらずといえども遠からじという気がしました。そんな「出世の真似事」をしているダラ幹たちが、日本をストもデモもない国にしたのです。
彼らは岸田首相から、「あなたたちがだらしがないから、私たちがあなたたちに代わって経済界に賃上げをお願いしているのですよ」と言われているようなものです。連合なんてもはや存在価値がないと言っても言いすぎではないでしょう。
にもかかわらず、連合のサザエさんこと芳野友子会長は、まるで我が意を得たとばかりに、年頭の記者会見で次のように語ったそうです。
NHK
連合 芳野会長「実質賃上げ 経済回すことが今まで以上に重要」
ことしの春闘について、連合の芳野会長は、年頭の記者会見で「物価が上がる中で、実質賃金を上げて経済に回していくことが今まで以上に重要となるターニングポイントだ」と指摘し、賃上げの実現に全力を挙げると強調しました。
ことしの春闘で、連合は「ベースアップ」相当分と定期昇給分とを合わせて5%程度という、平成7年以来の水準となる賃上げを求めています。
そのうえで「賃上げは労働組合だけでは実現できず、使用者側の理解や協力のほか、賃上げしやすい環境づくりという点では政府の理解や協力も必要だ」と述べ、政府と経済界、労働界の代表による「政労使会議」の開催を呼びかけていく考えを示しました。
「恥知らず」「厚顔無恥」という言葉は、この人のためにあるのではないかと思ってしまいます。
■中小企業と賃上げ
同時に、岸田首相は、少子化問題についても、「異次元の対策に挑戦すると打ち出」し、「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)を決定する6月頃までに、子ども予算の倍増に向けた大枠を提示すると述べた」(上記日経の記事より)そうです。
それを受けて、松野官房長官も児童手当の「恒久的な財源」を検討すると表明し、また、東京都の小池都知事も、2023年度から所得制限を設けず、「18歳以下の都民に1人あたり月5000円程度の給付を始める方針を明らかにした」のでした。
しかし、これらはホントに困窮している人たちに向けた施策ではありません。私は、鄧小平の「先富論」の真似ではないのかと思ったほどです。もとより、児童手当の拡充や支援金の給付が、防衛費の増額と併せて、いづれ増税の口実に使われるのは火を見るようにあきらかです。賃上げや少子化と無縁な人たちにとっては、ただ負担が増すばかりなのです。
賃上げに対して、企業のトップも意欲を示し、「賃上げ機運が高まってきた」という記事がありましたが、それは経済3団体の新年祝賀会で取材した際の話で、いづれも名だたる大企業のトップの発言にすぎません。
中小企業庁によると、2016年の中小企業・小規模事業者は357.8万で企業全体の99.7%を占めています。また、中小企業で働いている労働者は約3,200万人で、これは全労働者の約70%になります。
ちなみに、中小企業基本法による「中小企業」の定義は、以下のとおりです。
「製造業その他」は、資本金の額又は出資の総額が3億円以下の会社又は常時使用する従業員の数が300人以下の会社及び個人。
「卸売業」は、資本金の額又は出資の総額が1億円以下の会社又は常時使用する従業員の数が100人以下の会社及び個人。
「小売業」は、資本金の額又は出資の総額が5千万円以下の会社又は常時使用する従業員の数が50人以下の会社及び個人。
「サービス業」は、資本金の額又は出資の総額が5千万円以下の会社又は常時使用する従業員の数が100人以下の会社及び個人。
これらの「中小企業」では、賃上げなどとても望めない企業も多いのです。まして、非正規雇用や個人事業者や年金暮らしなどの人たちは、賃上げとは無縁です。
高齢者の生活保護受給者の多くは、単身所帯、つまり、一人暮らしです。年金も二人分だと何とかやり繰りすることができるけど、一人分だと生活に困窮するケースが多いのです。
しかも、「インフレ率を超える賃上げ」という岸田首相の言葉にあるように、賃上げもインフレ、つまり、物価高が前提なのです。ありていに言えば、「商品の値段を上げてもいいので、その代わり賃上げもして下さいね」という話なのです。そして、そこには、国民に向けての「賃上げもするけど(児童手当も拡充するけど)税金も上げますよ」という話も含まれているのです。それを「経済の好循環」と呼んでいるのです。
岸田首相が麗々しくぶち上げた賃上げや「異次元の少子化対策」は、”下”の人々にさらに負担を強いる「弱者切り捨て」とも言えるものです。
しかも、メディアも野党も労働界も左派リベラルも、そういった上か下かの視点が皆無です。それは驚くべきことと言わねばなりません。
■上か下かの政治
一昨年の衆院選で岐阜5区で立憲民主党から出馬し、小選挙区では全国最年少候補として戦った今井瑠々氏が、今春の統一地方選では、自民党の推薦で県議選に立候補することを視野に立憲民主党に離党届を提出した、というニュースがありました。
それに伴い彼女の支援団体も解散した、という記事がハフポストに出ていました。
HUFFPOST
「今井さんごめんね。苦しい中支えきれなくて」今井瑠々氏の自民接近で支援団体が解散
支援団体「今井るるサポーターズ」は、声明の中で、「今井さんごめんね。苦しい中支えきれなくて」と苦渋の思いを吐露していたそうです。私が記事を読んでまず思ったのは、そんなおセンチな「苦渋」などより、支援者たちがみんなミドルクラスの恵まれた(ように見える)女性たちだということです。つまり、立憲民主党と自民党は、同じ階層の中で票の奪い合いをしているだけなのです。だったら、候補者が自民党に鞍替えしても何ら不思議はないでしょう。倫理的な問題に目を瞑れば政治的信条でのハードルはないに等しいのです。
何度もくり返し言いますが、今こそ求められているのは上か下かの政治です。右か左かではなく上か下かなのです。突飛な言い方に聞こえるかもしれませんが、”階級闘争”こそが現代におけるすぐれた政治的テーマなのです。
トランプを熱狂的に支持しているのは、ラストベルトに象徴されるような、「ホワイト・トラッシュ(白いクズ)」と呼ばれる没落した白人の労働者階級ですが、「分断」と言われているものの根底にあるのも、持つ者と持たざる者との「階級」の問題です。
”階級闘争”をアメリカやフランスやイタリアのように、ファシストに簒奪されないためにも、下層の人々に依拠した(どこかの能天気な政治学者が言う)「限界系」の闘う政治が待ち望まれるのです。