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■愛犬の死
知り合いから新年の挨拶の電話がかかってきたのですが、その中で昨年、可愛がっていた犬が亡くなり、未だショックが収まらず気持が沈んだままだ、と言っていました。喪中のハガキを出そうかと思ったそうです。「おい、おい」と思いました。
12歳だったそうですが、糖尿病で薬を飲んでいたのだとか。私の家でも犬を二代に渡って飼っていましたが、最初の犬の餌は、ご飯にイリコを入れて味噌汁をぶっかけたいわゆる(言い方が変ですが)“猫飯”でした。今は「餌」なんて言い方も反発を招くそうですが、そんな時代でしたので、犬が(血糖値を下げる?)糖尿病の薬を飲むという話に驚きました。聞けば、人間と同じ薬だそうです。同じ哺乳類とは言え、犬のような体重の軽い個体に、人間用の薬を処方してホントに大丈夫なのかと思いました。
愛犬はいつも玄関に座って帰りを待っていたそうで、「忠犬ハチ公みたいな感じだった」と言っていました。でも、そうすれば頭を撫でられて餌を貰えることを学習したからでしょう。犬がそうしたのではなく、飼い主がそうしむけただけです。
実家で飼っていた最初の犬は、近くの山で拾って来た野犬の子どもでした。小学生のとき作文にも書いて、結構評判になり賞を貰いました。さすがに最近は見なくなりましたが、しばらくは夢にも出て来ました。
次の犬は、他所から貰ってきた柴犬で、そのときは既にペットフードに代わっていました。世話していた母親は、半生の餌しか食べないと言っていました。
亡くなったのは、私が二度目の上京をしたあとで、早朝4時くらいに突然、母親から「今××(犬の名前)が死んだんだよ」と半泣きの声で電話がかかってきたのを覚えています。
最初の犬の死骸は、(はっきりした記憶はないのですが)おそらく裏の柿の木の下に埋めたのではないかと思います。次の犬はペット専用の火葬屋に頼んで火葬して、その骨をやはり柿の木の下に埋めたみたいです。でも、そこは既に人手に渡り今は駐車場になっています。
犬が家族の一員で、いつまでも思い出の中に残るというのはよくわかります。私は子どもの頃、犬に追いかけられ木に登って難を逃れたトラウマがあるので、他人の犬は噛みつかれるようで怖いのですが、しかし、自分の家の犬は可愛いと思ったし、よく可愛がっていました。
■ウエストランドの井口
知り合いは、愛犬が亡くなって以来、YouTubeで犬の動画を観て心を癒しているそうです。
と、私は、YouTubeと聞いて、まるで心の糸が切れたように、突然、ウエストランドの井口みたいな口調で、まくし立てはじめたのでした。
「あんなのはヤラセみたいなもんだろ」と私。
「エエッ、そんなことはないよ」
「だってよ、猫を拾って来て『こんなに変わった』『今や家族の一員』『いつまでも一緒』なんてタイトルでYouTubeに上げると、すぐ百万回再生するんだぜ。コメント欄も『ありがとうございます』『ネコちゃんも好い人に巡り会えて幸せですね』なんてコメントで溢れる。こんな美味しいコンテンツはないだろ」
「そんな‥‥」
「登山系ユーチューバーなんか見て見ろよ。あんなにお金をかけて、スキルもないのに無理して山に登っても、よくて数万しか行かない。ほとんどは数千、数百のクラスだ。それが猫を拾ってくれば百万も夢じゃない」
「たしかに猫を保護したという動画がやたら多いけど‥‥」
「猫だけじゃない保護犬の動画も多い」
「今やYouTubeは趣味じゃない。Googleから広告料の配当を得るためにやっている。お金のためだよ」
「‥‥」
「素人は盗品やニセモノをメルカリで平気で売る。お金のためなら何でもするのが素人だ」
「炎上系は論外としても、たとえば、外国人が日本の食べ物や景色に感動した、『恋した』『涙した』という一連の動画がある。あれもテレビの『ニッポン行きたい人応援団』のような『ニッポン、凄い!』の延長上にあるもので、単細胞な日本人を相手にするのにこれほど手っ取り早く美味しいコンテンツはない。したたかな外国人にいいように利用されているだけだよ。犬・猫もそれと似たようなもんだろ」
そこまで話したら、「忙しいから」と電話を切られてしまいました。