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昨日(18日)、YouTubeに関して、「ディリー新潮」に興味深い記事が出ていました。
Yahoo!ニュース
ディリー新潮
人気ユーチューバーの広告収入が激減 専門家は「今年は例外なく全員が“解雇”状態に」
ディリー新潮の記事は、巷の一部でささやかれていたYouTubeの“苦境”(というか、まだ”路線変更”のレベルですが)をあきらかにしたものと言えるでしょう。
■レッドオーシャン
YouTubeの“苦境”を端的に表しているのが、ユーチューバーたちです。再生回数が落ちたことによって、Googleからの広告料の配当が減少し、中には「ユーチューバー・オワコン説」さえ出ているのでした。
YouTubeが“苦境”に陥った要因は、相次ぐライバルの出現です。
記事では、ITジャーナリストの井上トシユキ氏の次のような指摘を伝えていました。
「『1日に何時間、ネットの動画を視聴しているのか』について、複数の調査結果が発表されています。それによると、世界平均は1日に1時間から3時間だそうです。2005年に誕生したYouTubeは、長年この時間を独占してきました。ところが近年、強力なライバルが登場し、視聴時間を巡って激しい争奪戦が繰り広げられるようになりました」
「『1日に最大3時間』という視聴時間を巡って、YouTube、TikTok、Netflix、Amazon Prime Video、Huluといった企業が激しく争っています。これまでYouTubeはブルーオーシャン(競争のない未開拓市場)のメリットを存分に享受してきました。ところが突然、レッドオーシャン(競争の激しい市場)に叩き込まれてしまったのです」
その結果、YouTubeは広告収益の鈍化に見舞われたのでした。動画の質の低下に合わせて、大手企業の広告の撤退が相次ぎ、「怪しげな美容商品や陰謀史観を主張する書籍、借金を合法的に踏み倒す方法──などなど、眉をひそめたくなるような広告が目立つ」ようになったのでした。それで、益々炎上系や陰謀史観やヘイトな動画ばかりが目立つようになるという悪循環に陥っているのです。
ただ、もともとYouTubeはそういった怪しげな動画投稿サイトでした。それをGoogleが買収して、現在のようなシステムに作り替えたにすぎないのです。違法動画や炎上系や陰謀史観やヘイト動画は、YouTubeのお家芸のようなものです。
YouTubeは、「“打倒TikTok”、“打倒Netflix、Amazon Prime”が急務」となっており、ユーチューバーに対して、「『ライバルの3社から視聴者を取り戻すような動画を作ってくれれば改めて厚遇するし、そうでなければ辞めてもらう』というメッセージを発した」(井上氏)のだと言います。
とりわけ、YouTubeが主敵としているのはTikTokです。そして、その切り札としているのがYouTubeショートだとか。しかし、TikTokやYouTubeショートも、既に炎上系やいじめの動画が目立つようになっています。
■ユーチューバーをとりまく環境の変化
記事は、最後に次のような言葉で結んでいました。
「今年、YouTubeは荒療治を断行するようです。荒療治なので、ユーチューバーにきめ細やかなケアを行う余裕はありません。トップクラスのユーチューバーといえども、一度は“解雇”の状態にする。その上で『自分たちは新しいルールを提示する。それに則って動画を配信するかどうか決めろ』と要求してくると考えられます」(同・井上氏)
もともと「ユーチューバーでは食えない」という傾向が指摘されてきたが、2023年は一層、厳しい年になりそうだ。
ユーチューバーにとっていちばんいい時代は2017年頃だったそうですが、たしかに登山ユーチューバーが登場したのも、2017年から2018年頃でした。まるで雨後の筍のように、いろんなジャンルでユーチューバーが出て来たのでした。
あれから僅か5年。ユーチューバーをとりまく環境は大きく変わろうとしているのです。それは、YouTubeがレッドオーシャンに「叩きこまれた」だけではありません。芸能人が次々と参入してきたことも、ユーチューバーにとって”大きな脅威”となっています。視聴時間をめぐって、さらにYouTubeの中での奪い合いも熾烈になってきたのです。
もとより、ネットというのはそういうものでしょう。TikTokの”我が世の春”も、いつまで続くかわかりません。
しかし、多くのユーチューバーは、放置されて水膨れした登録者数や、「信者」とヤユされる常連視聴者のお追従コメントに勘違いして、例えは古いですが、現実から目をそむけ「サンクコストの呪縛」に囚われたままのような気がします。それはTwitterのユーザーなども同じです。オレにはこれだけ登録者=シンパがいるなんて、トンマな幻想に浸っているのかもしれません。
これも何度も言っていますが、Twitterの「言論の自由」にしろ、YouTubeの「広告収入」にしろ、単に一私企業に担保されたものにすぎないのです。そんなものに「公共性」を求めるのはお門違いで、企業の都合でいくらでも変わるのは当然なのです。