
(public domain)
■“未確認飛行物体”
タモリではないですが、既に”新たな戦前の時代”が始まっているような気がしてなりません。
たとえば、“未確認飛行物体”などと、まるでUFO襲来のようにメディアが大々的に報じている中国の気球も然りで、どうして急にアメリカが気球の問題を取り上げるようになったのか、唐突な感は否めません。今まで気球は飛んでなかったのか。何故、F22のような最新鋭の戦闘機が出撃して空対空ミサイルで撃墜するという手荒い方法を取ったのか。首をかしげざるを得ないことばかりです。
しかも、アメリカが騒ぎはじめたら、さっそく日本も属国根性丸出しで同調して、過去に気球が飛んできたことをあきらかにした上で、今度飛んで来たら自衛隊機で撃墜できるようにルール(?)を変更するなどと言い出しているのでした。過去に飛んできたときは、政府はほとんど無反応だったのです。当時の河野太郎防衛相も記者会見で、「安全保障に問題はありません」とにべもなく答えているのです。それが今になって「防衛の穴だ」などと言って騒いでいるのでした。
アメリカは、空から情報を収集する偵察用の気球だと言っていますが、撃墜した話ばかりで、アメリカの軍事施設を偵察していたという具体的な証拠は何ら示されていません。それどころか、オースティン国防長官は、今月の10日に撃墜した3つの気球は中国のものではなかったと語り、何やら話が怪しくなっているのでした。
昨日のワイドショーで、女性のコメンテーターが、「人工衛星を使って情報収集するのが当たり前のこの時代に、どうしてこんな手間のかかる古い方法で情報収集しようと考えたのですかね。中国の意図がわかりません」と言っていましたが、それは冷静になれば誰もが抱き得る素朴な疑問でしょう。今どきこんなミエミエの偵察活動なんてホントにあるのかという話でしょう。
一部でナチスの宣伝相・ヨーゼフ・ゲッベルスにひっかけて、「ゲッベルス」と呼ばれているおなじみの防衛研究所の研究員は、西側諸国との軍事対立を想定して、「アメリカの弱点を探るために」試験的に飛ばしている可能性がある、としたり顔で解説していました。
中国政府は、民間の気象観測用の気球だと言っていますが、中国政府の話も眉唾で、ホントは空から自国の国民を監視するために飛ばした気球ではないかという話があります。それがたまたま季節風に乗って流れたのではないかと言うのです。
とどのつまり、時間が経てば何事もなかったかのように沈静化し、メディアも国民もみんな忘れてしまう、その程度のプロパガンダにすぎないように思います。
■中露が主導する経済圏
考えてみれば、今のように米中対立が先鋭化したのはここ数年です。とりわけ2021年8月のアフガンからの撤退をきっかけに、いっそう激しくなった気がします。
アフガンでは20年間で戦費1100兆円を費やし、米兵7000人が犠牲になったのですが、それでも勝利することはできず、みじめな撤退を余儀なくされたのでした。アメリカは、戦後、「世界の警察官」を自認し、世界各地で戦争を仕掛けて自国の若者を戦場に送りましたが、一度も勝利したことがないのです。文字通り連戦連敗して、とうとう唯一の超大国の座から転落せざるを得なくなったのでした。
それをきっかけに、新興国を中心にドル離れが進んでいます。アメリカのドル経済圏に対抗する中国とロシアが連携した新たな経済圏が、BRICSを中心に広がりはじめているのです。
それを裏付けたのが今回のウクライナ侵攻に対する経済制裁です。前も引用しましたが、ジャーナリストの田中良紹氏は、次のように書いています。
(略)ロシアに対する経済制裁に参加した国は、国連加盟国一九三ヵ国の四分の一に満たない四七ヵ国と台湾だけだ。アフリカや中東は一ヵ国もない。米国が主導した国連の人権理事会からロシアを追放する採決結果を見ても、賛成した国は九三ヶ国と半数に満たなかった。
米国に従う国はG7を中心とする先進諸国で、BRICS(ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ)を中心とする新興諸国はバイデンの方針に賛同していない。このようにウクライナ戦争は世界が先進国と新興国の二つに分断されている現実を浮木彫りにした。ロシアを弱体化させようとしたことが米国の影響力の衰えを印象づけることにもなったのである。
(『紙の爆弾』2022年7月号・「ウクライナ戦争勃発の真相」)
突如浮上した米中対立には、こういった背景があるのではないか。今回の気球も、その脈絡から考えるべきかもしれません。
私たちは、いわゆる”西側”の報道ばかり目にしているので、ロシアや中国がアメリカの強硬策に守勢一方で妥協を強いられているようなイメージを抱きがちですが(そういったイメージを植え付けられていますが)、ロシアや中国は、以前と比べると一歩もひかずに堂々と対峙しているように見えます。それどころか、むしろ逆に、アメリカに力がなくなったことを見透かして、新興国を中心に自分たちが主導する経済圏を広げているのでした。
■中国脅威論
一方、日本は、米中対立によって、敵基地先制攻撃という防衛政策の大転換を強いられ、巡航ミサイルの「トマホーク」の購入を決定した(させられた)のでした。
当初は2026年度から購入する予定でしたが、昨日(14日)、浜田靖一防衛相が、2023年度に前倒しして一括購入することをあきらかにしてびっくりしました。報道によれば、最大で500発を2113億円で購入するそうです。前倒しするというのは、その分別に買い物をするということでしょう。アメリカからそうけしかけられたのでしょう。
しかも、日本が購入する「トマホーク」は旧式の在庫品で、実戦ではあまり役に立たないという話があります。「世界の警察官」ではなくなったアメリカの防衛産業は、兵器を自国で消費することができなくなったので、その分他国(同盟国)に売らなければなりません。とりわけ防衛産業(産軍複合体)と結びつきが強い民主党政権は、営業に精を出さなければならないのです。そのため、ロシアのウクライナ侵攻だけでなく、東アジアでも「今にも戦争」のキャンペーンをはじめた。それが、今の”台湾有事”なのです。
日本にとって中国は最大の貿易相手国です。しかも、勢いがあるのはアメリカより中国です。アメリカの尻馬に乗って最大の貿易相手国を失うようなことがあれば、日本経済に対する影響は計り知れないものになるでしょう。そうでなくても先進国で最悪と言われるほどの格差社会を招来するなど、経済的な凋落が著しい中で、ニッチもサッチも行かない状態までエスカレートすると、先進国から転落するのは火を見るよりあきらかです。日頃の生活実感から、それがいちばんわかっているのは私たちのはずなのです。この物価高と重税を考えると、軍事より民生と考えるのが普通でしょう。
でも、今は、そんなことを言うと「中国共産党の手先」「売国奴」のレッテルを貼られかねません。いつの間にか、与党も野党も右も左も、中国脅威論一色に塗られ、異論や反論は許さないような空気に覆われているのでした。「人工衛星でスパイ活動する時代に気球で偵察するの?」という素朴な疑問も、一瞬に打ち消されるような時代になっているのでした。右も左もみんなご主人様=アメリカの足下にかしづき、我先に靴を舐めているのです。
■”新たな戦前の時代“の影
共産党の除名騒ぎも、共産党はご都合主義的な二枚舌をやめて、自衛隊合憲や日米安保容認に歩調を合わせろという、翼賛的な野党共闘派からのメッセージと読めなくもないのです。そこにもまた、”新たな戦前の時代”の影がチラついているような気がしてなりません。
これも既出ですが、先日亡くなった鈴木邦男氏は、かつて月刊誌『創』に連載していたコラム「言論の覚悟」の中で、次のように書いていました。
(略)それにしても中国、韓国、北朝鮮などへのロ汚い罵倒は異常だ。尖閣諸島をめぐっては、「近づく船は撃沈しろ」と叫ぶ文化人もいる。「戦争も辞さずの覚悟でやれ!」と言う人もいる。テレビの政治討論会では、そんな強硬な事を言う人が勝つ。「今、中国と戦っても自衛隊は勝てる」などとロ走る人もいた。
(略)70年前の日米開戦の前も、そう思い、無責任な本がやたらと出版された。いや、あの時は、「戦争をやれ!」と政府や軍部に実際に圧力をかけたのだ。
東条英機のお孫さんの由布子さんに何度か会ったことがある。戦争前、一般国民からもの凄い数の手紙が来たという。段ボール何箱にもなった。その内容は、ほとんどが攻撃・脅迫だったという。「早く戦争をやれ!」「戦争が恐いのか」「卑怯者!」「非国民め!」というものばかりだったという。
国民が煽ったのだ。新聞・出版社も煽った。
(『創』2014年9・10月合併号・「真の愛国心とは何か」)
また、(引用が長くなりますが)続けてこうも書いていました。
(略)強硬で、排外主義的なことを言うと、それで「愛国者」だと思われる。それが、なさけない。嫌中本、嫌韓本を読んで「胸がスッとする」という人がいる。それが愛国心だと誤解する人がいる。それは間違っている。それは排外主義であって愛国心ではない。(略)
今から考えて、「あゝあの人は愛国者だった」と言われる人達は、決して自分で「愛国者だ」などと豪語しなかった。三島由紀夫などは自決の2年前に、「愛国心という言葉は嫌いだ」と言っていた。官製の臭いがするし、自分一人だけが飛び上がって、上から日本を見てるような思い上がりがあるという。当時は、その文章を読んで分からなかった。「困るよな三島さんも。左翼に迎合するようなことを書いちゃ」と思っていた、僕らが愚かだった。今なら分かる。全くその通りだと思う。もしかしたら、46年後の今の僕らに向かって言ったのかもしれない。
また、三島は別の所で、「愛国心は見返りを求めるから不純だ」と書いていた。この国が好きだというのなら、一方的に思うだけでいい。「恋」でいいのだと。「愛」となると、自分は愛するのだから自分も愛してくれ、自分は「愛国者」として認められたい、という打算が働き、見返りを求めるという。これも46年後の日本の現状を見通して言ってる言葉じゃないか。そう思う。
(同上)
”極右の女神”ではないですが、「愛国ビジネス」さえあるのです。もちろん、それは”右”だけの話ではありません。”左”やリベラルも似たか寄ったかです。
立憲民主党などは、上記の河野太郎防衛相(当時)の安全保障上問題ないという発言を国会で取り上げて、認識が甘かったのではないかと批判しているのでした。政府与党は危機感が足りないとハッパをかけているのです。それは、「早く戦争をやれ!」と手紙を送りつけてきた戦前の国民と同じです。
再び煽る人間と煽られる人間の競演がはじまっているのです。国体を守るために本土決戦を回避して、”昨日の敵”に先を競ってすり寄って行ったそのツケが、このような愚かな光景を亡霊のように甦らせていると言えるでしょう。
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