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■東野篤子教授の言説
今月の24日がウクライナ侵攻1年にあたるため、メディアでもウクライナ関連の報道が多くなっています。バイデンがキーウを電撃訪問したのも、まさか1周年を記念したわけではないでしょうが、”支援疲れ”が言われる中、あらためて支援への強い意志を内外にアピールする狙いがあったのでしょう。バイデンのウクライナに対する入れ込みようは尋常ではないのです。
朝日新聞も「ウクライナ侵攻1年特集」と題してさまざまな記事を上げていますが、19日にアップされた下記の東野篤子・筑波大教授のインタビュー記事には、強い違和感を抱かざるを得ませんでした。と言うか、おぞましささえ覚えました。
朝日新聞デジタル
「徹底抗戦」が必要なわけ 21世紀の侵攻、許してはいけない一線
東野教授は、この戦争の落としどころを問うのは「ウクライナに酷だ」として、次のように述べていました。
「戦えば戦うほど犠牲が出てかわいそうだ」という指摘も間違いではありませんが、それは目先の犠牲を甘受してでもウクライナの独立と領土、主権を守りたいというウクライナの世論を見誤っていると思います。
ウクライナ人の多くが言うような、「ロシア軍を完全に追い出して」戦争が終わることは、はっきりいって非現実的だと思っています。どこかで諦めないといけない。一方で、これだけの犠牲を払わされたうえ、とても不本意な終わり方をしてしまったときに、今と比べものにならないくらいの復讐心が生まれてしまうでしょう。
それが避けられないからこそ、ウクライナが完全に納得するまで戦う以外の道はないことを、侵攻開始から1年が経ったいま、改めて感じています。
また、ウクライナの「降伏」が「21世紀に起きた軍事侵攻の帰結であってはいけない」、そうなれば「武力による現状変更のハードルは世界各所で下がることでしょう」と言います。「軍事侵攻で得をする国が出てくれば、中小諸国が『緩衝地域』扱いされ、大国の横暴に従属せざるを得ないような国際秩序を黙認」することになると言うのです。
つまり、ウクライナ国民が撃ちてし止まんと叫んでいるので、悪しき国際秩序を阻止するために犠牲になっても構わない。気が済むまで戦えばいい、と言っているようなものです。
大国の横暴をあげるなら、まずアメリカにそれを言うべきでしょう。アメリカが「世界の警察官」として、今までどれだけの国に侵攻し大量虐殺を行ってきたか。今回もアメリカは、ウクライナをけしかけて戦争をエスカレートさせているのです。それが、アメリカの対ロシア戦略なのです。
ウクライナ国民が徹底抗戦を支持しているというのも、昔の日本のことを考えればわかることです。憲法が停止され、国家総動員体制にある今のウクライナで戦争反対を主張すれば、拘束されるか、へたすればスパイとみなされて銃殺されるでしょう。戦時下の特殊事情をまったく考慮せず、あたかも国民が徹底抗戦を望んでいるかのように言挙げするのは、悪質なデマゴーグとしか言いようがありません。
埴谷雄高は、「国家の幅は生活の幅より狭い」と言ったのですが、私たちにとっていちばん大事なのは自分の生活です。国家から見れば、人民は自分勝手なものなのです。でも、それは当たり前なのです。
「愛国」主義は、自分の生活より国家を優先することを強いる思想です。それは独裁国家と地続きのものです。東野教授が言うような国家のために犠牲になることを是とする考えは、文字通り戦前回帰の独裁思想にも連なるものと言えるでしょう。
■ウクライナ民族主義の蛮行
一方、今回の戦争には、地政学上の問題だけでなく、ウクライナという国のあり様も関係しており、そういった側面からも見る必要があります。ウクライナはネオナチが跋扈する(というか、支配した)国で、ウクライナ民族主義=西欧化を旗印に、アゾフ連隊のようなネオナチの民兵を使って、国内の人口の3分の1を占めるロシア語話者を弾圧、民族浄化を行ってきたのです。同時に、アゾフ連隊は左翼運動家やLGBTや少数民族のロマなどにも攻撃を加えたのです。ウクライナには、ヨーロッパ随一と言われるほど統一教会が進出していますが、国際勝共連合がアゾフ連隊を支援していたという話もあります。そういったウクライナ民族主義の蛮行は欧米でも非難の声が多かったのですが、戦争がはじまると「可哀そうなウクライナ」の大合唱の中にかき消されてしまったのでした。
大事なのは、どうすれば戦争をやめさせることができるか、どうすれば和平のテーブルに付かせることができるかを考えることでしょう。でも、東野教授は最初から思考停止しているのです。それは知識の放棄と言わねばなりません。思考停止したあとに残るのは、「勝ったか負けたか」「敵か味方か」の戦時の言葉だけです。
■民衆連帯の視点
私たちにとっても、この戦争は他人事ではありません。ウクライナ侵攻により、エネルギー価格、特に天然ガスの価格が上昇し、それが電気料金の値上げになり、さらには小売価格に跳ね返り、今のような物価高を招いているのです。小麦などの食料価格の上昇も同じです。資源大国のロシアに経済制裁を科した影響が、私たちの生活を直撃しているのです。だからこそ、自分たちの生活のためにも戦争反対の声をあげるべきなのです。
何度も言うように、私たちに求められているのは、ウクライナ・ロシアを問わず「戦争は嫌だ」「平和な日常がほしい」という民衆の素朴実感的な声に連帯することです。国家の論理ではなく、市井の生活者の論理に寄り添って戦争を考えることなのです。その輪を広げていくことなのです。
しかし、侵攻から1年を迎えて開催が予定されている日本の反戦集会の多くでスローガンに掲げられているのは、国家の論理・戦時の言葉ばかりです。平和を希求する民衆連帯の視点がまったく欠落しているのです。ミュンヘン安保会議に合わせてヨーロッパ各地で開かれた反戦集会では、明確に「ウクライナへの武器供与反対」を訴えています。しかし、日本の反戦集会ではそういった声はごく少数です。
バイデンがキーウを電撃訪問して、更なる支援を表明したことで戦争の悲劇はいっそう増すでしょう。ミュンヘン安保会議に出席したウクライナのクレバ外相が、戦闘機だけでなく、非人道兵器として国際条約で禁止されているクラスター弾やバタフライ地雷の供与をNATOに要求したという報道がありましたが、ゼレンスキーが志向しているのは手段を選ばない徹底抗戦=玉砕戦です。東野教授の主張も、そんなゼレンスキーの徹底抗戦路線をなぞっているだけです。
ロシアからドイツに天然ガスを送っていた海底パイプラインのノルドストリームが、昨年9月爆発された事件について、ピューリッツァー賞受賞記者でもあるアメリカの調査報道記者のシーモア・ハーシュ氏は、バイデン大統領の命令を受けたCIAの工作でアメリカ海軍が破壊したことを暴露したのですが、誰が戦争を欲しているのか、誰が戦争をエスカレートさせているのかを端的に示す記事と言えるでしょう。
アジアにおいても、ノルドストリーム爆破と同じような謀略によって、戦争の火ぶたが切って落とされる危険性がないとは言えないでしょう。
北朝鮮のICBMにしても、メディアは北朝鮮が軍事挑発を行っていると盛んに書いていますが、どう見ても軍事挑発を行っているのは米韓の方です。米韓が軍事演習を行って挑発し、それに北朝鮮が対抗してICBMを撃っているというのが公平な見方でしょう。
ICBMが日本のEEZ(排他的経済水域)の内や外に落下したとして大々的に報道され、まるでEEZが”領海”であるかのような言い方をしていますが、EEZは国際条約で認められた「管轄権」が及ぶ海域ではあるものの、ただ線引きにおいて周辺国の主張が重なる部分が多く、確定しているわけではありません。日本のEEZは中国や韓国や台湾のEEZと重複しており、内や外という言い方もあくまで国内向けで、対外的にはあまり説得力はないのです。
このようなプロパガンダが盛んになるというのは、アジアにおいても戦争を欲している国(アメリカ)の影が色濃くなっているからでしょう。対米従属「愛国」主義の国は、(与党も野党も右も左も)それに引き摺られて”新たな戦前の時代”を招来しようとしているのです。