
■「ニューヨークタイムズ」の疑問
林香里氏(東京大学大学院教授)は、朝日の論壇時評で、アメリカで陰謀論の巣窟になっている掲示板の4chanを運営するひろゆき(西村博之)が、日本ではコメンテーターとしてメディアに重用され、「セレブ的扱い」を受けていることに「ニューヨークタイムズ」紙が疑問を呈していると書いていました。成田悠輔もそうですが、彼らに対する批判を過剰なコンプラによる逆風みたいな捉え方しかできない日本のメディアの感覚は異常と言ってもいいのです。
朝日新聞デジタル
(論壇時評)ネットと言論 現実世界へと滲みだす混沌 東京大学大学院教授・林香里
林氏が書いているように、ひろゆきは「カリスマ的有名人として男子高校生の間では『総理大臣になってほしい有名人』第1位」ですが、今やその人気は高校生にとどまらないのです。『女性自身』が、セルフアンケートツール・QiQUMOとTwitterで実施した「好きな“ネットご意見番”についてのアンケート」でも、ひろゆきは堂々の一位に選ばれているのです。それもこれもメディアが作った虚像です。
女性自身
好きな「ネットご意見番」ランキング 3位古市憲寿、2位中田敦彦を抑えた1位は?
■独特の優越感
林氏も記事で触れていましたが、社会学者の伊藤昌亮氏(成蹊大学教授)は、『世界』(岩波書店)の今月号(2023年3月号)に掲載された「ひろゆき論」で、今の相対主義が跋扈する世相の中で、ひろゆきとその信者たちが依拠する“価値”の在処を次のように指摘しているのでした。
(略)ひろゆきの振る舞い方は、弱者の見方をして権威に反発することで喝采を得ようとするという点で、多分にポピュリズム的な性格を持つものだ。しかもリベラル派のメディアや知識人など、とりわけ知的権威と見なされている立場に強く反発するという点で、ポピュリズムに特有の、反知性主義的な傾向を持つものであると言えるだろう。
(略)
しかしその信者には、彼はむしろ知的な人物として捉えられているのではないだろうか。というのも彼の知性主義は、知性に対して反知性をぶつけようとするものではなく、従来の知性に対して新種の知性、すなわちプログラミング思考をぶつけようとするものだからだ。
そこでは歴史性や文脈性を重んじようとする従来の人文知に対して、いわば安手の情報知がぶつけられる。ネットでのコミュニケーションを介した情報収集能力、情報処理能力、情報操作能力ばかりが重視され、情報の扱いに長(た)けた者であることが強調される。
そうして彼は自らを、いわば「情報強者」として誇示する一方で、旧来の権威を「情報弱者」、いわゆる「情弱」に類する存在のように位置付ける。その結果、斜め下から権威に切り込むような挑戦者としての姿勢とともに、斜め上からそれを見下すような、独特の優越感に満ちた態度が示され、それが彼の信者をさらに熱狂させることになる。
リベラル派が言う「弱者」は、「高齢者、障害者、失業者、女性、LGBTQ、外国人、戦争被害者」などで、ひろゆきが言う「弱者」である「コミュ障」「ひきこもり」「うつ病の人」などは含まれていないのです。彼らはリベラル派からは救済されない。リベラル派は「特定の『弱者の論理』を押し付けてくるという意味で、むしろ『強者の論理』なのではないかと、彼らの目には映っているのではないだろうか」と、伊藤氏は書いていました。
■「ライフハックの流儀」
ひろゆきの方法論にあるのは、「プログラミング思考」に基づいた「ライフハックの流儀」だと言います。
彼はその提言の中で、「ずるい」「抜け道」「ラクしてうまくいく」などという言い方をしばしば用いる(略)。そうした言い方は、その不真面目な印象ゆえに物議をかもすことが多いが、しかしこの点もやはり単なる逆張りではなく、まして彼の倫理観の欠如を示すものでもなく、むしろ「裏ワザ」「ショートカット」などの言い方に通じるものであり、ライフハックの流儀に沿ったものだと見ることができるだろう。
しかも、そういった「ライフハックの流儀」を個人の生き方や考え方だけでなく、社会批判にも適用するのがひろゆきの特徴であり、それが彼が熱狂的な信者を抱えるゆえんであると言うのです。
それは、ちょっとしたコツやテクニックさえあれば、人生のどこかに存在するショートカットキーを見つけることができるとか、高度にデジタル化した社会なのに、いつまでもアナログな発想からぬけきれない日本社会は「オワコン」だとかいった主張です。もちろん、その主張には、だからオレたち(ひろゆきが言う「弱者」)は浮かばれないんだ、という含意があるのは言うまでもありません。
私はつい数年前まで2ちゃんねるが5ちゃんねるに変わったことすら知らなかったような「情弱」な人間ですが、遅ればせながら5ちゃんねるに興味を持ち、5ちゃんねるのスレに常駐するネット民たちをウオッチしたことがありました。
ユーチューバーについてのスレでしたが、当然ながらお約束のように、そこでは信者とアンチのバトルが飽くことなく繰り広げられていました。
「羨ましんだろう」「悔しいんだろう」「嫌なら観るな」というのが彼らの常套句ですが、信者・アンチを問わず彼らの論拠になっているのがひろゆきが提唱する「ライフハックの流儀」です。まるで「お前の母さんでべそ」と同じように、どっちが「情弱」なのか、罵り合っているだけです。そこにあるのは、ネットの夜郎自大な身も蓋もない言葉が行き着いた、どんづまりの世界のようにしか思えませんでした。承認欲求とは自己合理化の謂いにほかならず、彼らが二言目に口にする自己責任論も、ブーメランのようにみずからに返ってくる自己矛盾でしかないのです。(つづく)
※ひろゆきというイデオローグ(2)へつづく