世界2023年3月号


ひろゆきというイデオローグ(1)からつづく

■「ひろゆき論」


社会学者の伊藤昌亮氏(成蹊大学教授)は、『世界』(岩波書店)の今月号(2023年3月号)に掲載された「ひろゆき論」で、ひろゆき(西村博之)の著書『ひろゆき流 ずるい問題解決技術』(プレゼント社)から、次のような文章を取り上げていました。

 昨今の若者は「いい大学を出たり、いい企業に入ったりして、働くのが当たり前」だという「成功パターン」から外れると、「もう社会の落伍者になってしまうから死ぬしかない」などと思い込みがちだが、しかしこうした「ダメな人」は「太古からずっといた」のだから、気に病む必要はない。むしろ「ダメをダメとして直視した」うえで、「チャンスをつかむ人」になるべきだと言う(略)。


そして、ひろゆきは、「ダメな人」でも「プログラマー」や「クリエイター」になれば、(会社員にならなくても)一人で稼ぐことができると言うのです。しかし、それは今から17年前の2006年に、梅田望夫氏が『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる』で言っていたこととまったく同じです。何だか一周遅れのトップランナーのように思えなくもありません。

昨年の10月に急逝した津原泰水も、『ヒッキーヒッキーシェイク』(ハヤカワ文庫)で、ITスキルを武器にしたヒッキー=ひきこもりたちの”反乱”を描いていますが、現実はそんな甘いものではありません(『ヒッキーヒッキーシェイク』のオチもそう仄めかされています)。

ネットの時代と言っても、私たちはあくまで課金されるユーザーにすぎないのです。言われるほど簡単に”あっち側”で稼ぐことができるわけではありません。ネットにおいては、金を掘る人間より金を掘る道具を売る人間の方が儲かるという箴言は否定すべくもない真理で、ひろゆきや梅田望夫氏のようなもの言いは、とっくにメッキが剥げていると言っていいでしょう。

フリーと言っても、昔の土木作業員の”一人親方”と同じで、大半は非正規雇用の臨時社員や契約社員で糊口を凌ぐしかないのです。ユーチューバーで一獲千金というのも、単なる幻想でしかありません。

もとより、ひろゆきの「チャンスを掴む」という言い方に、前述した「ずるい」「抜け道」「ラクしてうまくいく」というキーワードを当てはめれば、当然のように「楽してお金を稼ぐ」という考えに行き着かざるを得ません。極論かも知れませんが、それは、闇バイトで応募する昨今の振り込め詐欺や強盗事件の“軽さ”にも通じる考えです。そういった考えは、ひろゆきだけでなく、ホリエモン(堀江貴文)などにも共通しており、彼らの言説は、新手の“貧困ビジネス”の側面もあるような気がしてなりません。

■「戦後日本型循環モデル」


とは言え、「ダメな」彼らに、日本社会が陥った今の深刻な状況が映し出されていることもまた、事実です。

私は、『サイゾー』(2023年2・3月合併号)の「マル激トーク・オン・デマンド」にゲストで出ていた教育社会学者の本田由紀氏(東京大学大学院教授)の、次のような発言を思い出さざるを得ませんでした。

ちなみに、『サイゾー』の記事は、ネットニュース『ビデオニュース・ドットコム』の中の「マル激トーク・オン・デマンド」を加筆・再構成し改題して掲載したものです。

ビデオニュース・ドットコム
マル激トーク・オン・デマンド(第1136回)
まずは今の日本がどんな国になっているかを知るところから始めよう

本田氏は、1960年代から70年、80年代の高度経済成長期と安定成長期には、「教育」「仕事」「家族」の3つの領域の間に、「戦後日本型循環モデル」が成り立っていたと言います。

本田 (略)「教育」終えたら、高度経済成長期には新卒一括採用という世界に例がないような仕組みで順々に仕事に就くことができていました。「仕事」に就けば長期安定雇用と年功賃金が得られて、「日本型雇用慣行」などと言われていましたが、70、80、90年代はそれなりに経済が成長していたので解雇する必要もなく、企業は順々に賃金を上げることができていた。それに基づいて結婚して子どもを作ることができました。父親は上がっていく賃金を家族の主な支え手である女性たちに持って帰る。「家族」を支える女性たちはそれを消費行動に使い、家庭生活を豊かに便利にするとともに、次世代である子どもに教育の費用と意欲を強力に後ろから注ぎ込む存在でした。こういった関係性がぐるぐると成り立っていたということです。
(『サイゾー』2023年2・3月合併号・「国際比較から見る日本の“やばい”現状とその解」)


それは家族が崩壊する過程でもあったのですが、バブル崩壊でその「戦後日本型循環モデル」さえも成り立たなくなったのだと言います。

本田 (略)「仕事」は父が頑張る。「教育」は子が頑張る。「家庭」は母が頑張るといったように、それぞれの住んでいる世界が違うのです。たまに家に帰っても親密な関係性や会話が成り立ちづらいという状態が、機能としての家族の裏側にありました。
 一見すごく効率的で良いモデルのように見えるかもしれませんが、こういう一方向の循環が自己運動を始めてしまった。例えば「教育」においてはいかにも良い高校や大学、企業に入るかが自己目的化してしまい、学ぶ意味は置き去りに。「仕事」の世界でも、夫は自分が働き続けなければ妻も子どもも飢えるいう状態に置かれ、働く意味などを問うている暇はなくなりました。「家族」は先ほど見たように、父・母・子どもがそれぞれバラバラで、循環構造のひとつの歯車として埋め込まれてしまいました。
 つまり学ぶ意味も、働く意味も、人を愛する意味もすべてが失われたまま循環構造が回っていたのが、60,70,80年代の日本社会の形だったということです。変だなと思いながら、皆これ以上の生き方をイメージできず、この中でどう成功するかに駆り立てられていたというのが、バブル崩壊前の日本の形でした。しかしバブル崩壊によってこの問題含みのモデルさえ成り立たなくなり、今日に至っています。
(同上)


この本田氏の発言は、上記の「『いい大学を出たり、いい企業に入ったりして、働くのが当たり前』だという『成功パターン』から外れると、『もう社会の落伍者になってしまうから死ぬしかない』などと思い込みがちだ」というひろゆきの話とつながっているような気がしてなりません。

「学ぶ意味」も「働く意味」も「人を愛する意味」も持たないまま、「成功パターン」からも外れた人間たちが、「金が全て」という”唯物功利の惨毒”(©竹中労)の身も蓋もない価値観にすがったとしても不思議ではないでしょう。それも、楽して生きたい、楽してお金を稼ぎたいという安直に逃げたものにすぎません。

だからと言って、振り込め詐欺や強盗に走る人間はごく一部で、多くの人間は、親に寄生したり、ブラック企業の非正規の仕事に甘んじながら、負の感情をネットで吐き散らして憂さを晴らすだけです。彼らのITスキルはその程度のものなのです。誰でも、「プログラマー」や「クリエイター」になれるわけではないのです。

■非情な社会


『世界』の同じ号では、岸田政権が打ち出した「異次元の少子化対策」に関連して、「保育の貧困」という特集が組まれていましたが、保育だけでなく、、、、、もっと深刻な貧困の問題があるはずですが、左派リベラルや野党の優先順位でも上にあがって来ることはありません。何故なら、全ては「中間層を底上げする」選挙向けのアピールにすぎないからです。

総務省統計局の「2022年労働力調査」によれば、2021年の非正規雇用者数は2千101万人です。その中で、自分の都合や家計の補助や学費等のためにパートやアルバイトをしている人を除いた、「非正規雇用の仕事しかなかった」という人は210万人です。

また、内閣府の「生活状況に関する調査」によれば、2018年(平成30年)現在、満40歳~満64歳までの人口の1.45%を占める61.3万人がひきこもり状態にあるそうです。しかも、半数以上が7年以上ひきこもっているのだとか。一方、2015年(平成27年)の調査で、満15歳~満39歳の人口の1.57%に当たる54.1万人がひきこもり状態にあるという統計もあります。

厚労省が発表した「生活保護の現状」によれば、2021年(令和3年)8月現在、生活保護受給者は203万800人(164万648世帯)で、全人口に占める割合(保護率)は1.63%です。世帯別では、高齢者世帯が90万8千960世帯、傷病・障害者世帯が40万3千966世帯、母子世帯が7万1千322世帯、その他が24万8千313世帯です。

生活保護の受給資格(おおまかに言えば世帯年収が156万円以下)がありながら、実際に制度を利用している人の割合を示す捕捉率は、日本は先進国の中では著しく低く2割程度だと言われています。と言うことは、(逆算すると)およそ1千万人の人が年収156万円(月収13万円)以下で生活していることになります。

国の経済が衰退するというのは、言うなれば空気が薄くなるということで、空気が薄くなれば、体力のない人たちから倒れていくのは当然です。衰退する経済を反転させる施策も必要ですが、同時に、体力がなく息も絶え絶えの人たちに手を差し伸べるのも政治の大事な役割でしょう。しかし、もはやこの国にはそんな政治は存在しないかのようです。

ひろゆきが成田悠輔と同じような”イタい人間”であるのはたしかですが、イデオローグとしてのひろゆきもまた、政治が十全に機能しない非情な社会が生んだ“鬼っ子”のように思えてなりません。
2023.02.27 Mon l 社会・メディア l top ▲