
■「非平等主義的潜在意識」
前の記事の続きになりますが、「失われる民主主義 破壊する資本主義」という副題が付いた、朝日新書の『2035年の世界地図』(朝日新聞出版)の中で、フランスの歴史学者のエマニュエル・トッドは、今の社会で起きているのは、「一種の超個人主義の出現と社会の細分化」だと言っていました。
識字率の向上と「教育の階層化」による「非平等主義的潜在意識」によって、共同体の感覚が破壊され、社会の分断が進むと言うのです。
かつてほとんどが読み書きできるが他のことは知らない。ごく少数のエリート層を除けば人々は平等でした。
しかし今では、おそらく国にもよりますが、おそらく30%の人びとが何らかの高等教育を受けています。これに対して、20~30%の人々は基本的な読み書きができる程度、つまり、初等教育のレベルで止まっています。
この教育の階層化は、不平等の感覚を伴います。社会構造の最上部と底辺では、人びとは同じではない、という感覚です。
(『2035年の世界地図』・エマニュエル・トッド「まもなく民主主義が寿命を迎える」)
※以下引用同じ
これが「非平等主義的潜在意識」だと言うのでした。
■日の丸半導体
米中対立によって、中国に依存したサプライチェーンから脱却するために、国際分業のシステムを見直す動きがありますが、ホントにそんなことができるのか疑問です。
日本でも「日の丸半導体」の復活をめざして、トヨタ・ソニー・NTTなど国内企業8社が出資した新会社が作られ、北海道千歳市での新工場建設が発表されましたが、軌道に乗せるためには課題も山積していると言われています。
2027年までに2ナノメートルの最先端の半導体の生産開始を目指しているそうですが、半導体生産から撤退して既に10年が経っているため、今の日本には技術者がほとんどいないと言うのです。
さらに、順調に稼働するためには、5兆円という途方もない資金が必要になり、政府からの700億円の補助金を合わせても、そんな資金がホントに用意できるのかという疑問もあるそうです。
また、工場を維持するためには、台湾などを向こうにまわして、世界的な半導体企業と受託生産の契約を取らなければならないのですが、今からそんなことが可能なのかという懸念もあるそうです。
■グローバル化がもたらした現実
エマニュエル・トッドは、「グローバル化がもらたした現実」について、次のように指摘していました。
(略)世界の労働者階級の多くは中国にいます。今、世界の労働者階級のおそらく25%は中国にいます。ブローバル化の中で国際分業が進み、世界の生産を担っているのは、中国の人々なのです。
もう一つの大きな部分はインドなどです。欧米や日本といった先進国の経済は、工業(に伴う生産活動)から脱却し、サービスや研究などに従事しています。この構造から抜け出せないでしょう。先進国の国民は労働者として生産の現場に戻れるでしょうか。
(略)
私たちは、「それはできますか?」と問われています。「サービス産業社会から工業社会に戻ることはできますか?」と。
第三次産業にふさわしい教育を受けた労働者を製造現場の労働者階級に変えることはできますか? 我々には分かりません。いや残念ながら知っています。これが不可能であることを。
つまり、時間を元に戻すことはできないということです。私たち個人のレベルで言えば、現代は「超個人主義の出現」と「社会の細分化」の時代であり、それは歴史の流れだということです。もっとも、核家族こそが原初的な家族構造であり、そうであるがゆえにアングロサクソンのようにもっとも先進的な社会を作ったというパラドックスを主張するエマニュエル・トッドに言わせれば、”先祖返り”ということになるのでしょう。
■国民国家の溶解
少子化も巷間言われているようなことが要因ではなく、歴史の産物と言っていいものです。第三次産業社会や「超個人主義」や国民国家の溶解は、「グローバル化がもたらした現実」で、少子化もそのひとつです。パンデミックやウクライナ戦争によって、たしかに国家が大きくせり出すようになり、国際会議に出席する各国の首脳たちも、スーツの襟にみずからの国の国旗のバッチを付けるような光景が多くなりましたが、それはマルクスの言う「二度目の喜劇」にすぎないのです。
劣化ウラン弾や戦闘機まで提供するという欧米の軍事支援に対抗して、ロシアがベラルーシに戦術核を配備することに合意したというニュースがありましたが、バイデン政権はまるでロシアが核を使用するまで追い込んでいこうとしているかのようです。
何度も言いますが、どっちが正しいかとかどっちが勝つかという話ではないのです。核戦争を阻止するためにも、恩讐を越えて和平の道を探るべきなのです(探らなければならないのです)。岸田首相の「必勝しゃもじ」のお土産は、アホの極みとしか言いようがありません。いくらバイデンのイエスマンでも、ここまで来ると神経を疑いたくなります。
それは、“台湾危機”も同じです。今のようにサプライチェーンから中国を排除する動きが進めば、中国はホントに半導体の一大生産地である台湾に侵攻するでしょう。バイデン政権は、ここでも中国を追い込もうとしているように思えてなりません。誰が戦争を欲しているのかを考える必要があるのです。
中国に関して、エマニュエル・トッドは、次のように言っていました。
(略)中国の文化と革命の伝統として、平等主義の要素があります。もう一方で、高等教育を受けた人々が増えています。中産階級と呼ばれる層です。この階層の比率が共産主義崩壊直前のソ連と同じ水準に達しようとしているのです。
ゼロコロナ政策に抗議する学生たちの白紙運動を思い浮かべると、中国も国民国家の溶解とは無縁ではないことがわかります。中国もまた、2050年頃から少子高齢化に転じると予測されているのです。
工業社会に戻ることができないように、伝統的な家族像を基礎単位とした社会に戻すことなどできないのです。社会のあり様が変われば、人々の生き方や人生のあり様が変わるのは当然です。そして、国民国家の溶解が進めば、資本主義や民主主義が変容を迫られるのも当然です。もとより、今の資本主義や民主主義も、パンデミックやウクライナ戦争によって、とっくに有効期限が切れていたことがあきらかになったのでした。
■これからの社会
一方で、どんな新しい時代が訪れるのかはまだ不透明です。『2035年の世界地図』もタイトルが示すとおり、この「全世界を襲った地殻変動」のあとにどんな未来があるのかを論じた本ですが、(逆読みが可能な)エマニュエル・トッド以外は、「新しい啓蒙」(マルクス・ガブリエル)とか「命の経済」(ジャック・アタリ)とか「資本主義を信じる」(ブランコ・ミラノビッチ)とか、まるでお題目を唱えるような観念的な(希望的観測の)言葉を並べるだけで愕然としました。国家主義や全体主義という「二度目の喜劇」の先を描く言葉を彼らは持ってないのです。
エマニュエル・トッドは、ヨーロッパで伸長している極右政党について、彼らは労働者階級や低学歴者を代表(代弁)しているのであり、「強い排外的傾向を持っているからと言って、民主主義の担い手として失格にできません」と言っていましたが、これからの社会を考える上ではそういった視点が大事ではないかと思いました。右か左かではなく上か下かなのです。