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■相鉄・東急 新横浜線


最近はよく散歩をしています。先週の土曜日は新横浜まで歩いて、新横浜駅から隣の新綱島駅まで、開通したばかりの「相鉄・東急 新横浜線」に乗りました。

新綱島駅は、東横線の綱島駅とは綱島街道をはさんだ反対側に新しくできた駅です。尚、東横線と接続するのは、綱島の隣の日吉駅です。

新綱島駅の出口の横には、さっそくタワーマンションの建設がはじまっていました。こうやって開発から取り残された二束三文(?)の土地が、数十倍にもそれ以上にも化けるのです。そういった現代の錬金術を可能にするのが道路と鉄道です。

駅のすぐ近くに鶴見川が流れているので、土手の上の遊歩道を歩きました。対岸の大倉山(実際は大曽根)側には桜の木が植えられているので、その下では花見をする人たちが大勢いました。

中にはテントを張っている人たちもいました。最近は鶴見川の土手をよく歩いているのですが、平日でも大倉山や新横浜の土手下にテントを張っているのを見かけます。奥多摩ではコロナをきっかけに登山客がめっきり減ったそうですが、その代わりキャンプ場は盛況だそうです。今はタムパやコスパの時代にふさわしく、ハアハア息をきらして山に登るのではなく、山の下で遊ぶのがトレンドなのです。

土曜日の歩数は1万7千歩でした。さすがに1万歩を超えると膝に痛みが出て来ますが、ただ痛み止めの薬を飲んでサポーターをすればそれほどではありません。1万歩くらいだとほとんど痛みもありません。と言っても、こわばりのようなものはまだ残っています。

■環状2号線


今日は、環状2号線を歩いて鶴見にある県営三ツ池公園まで歩きました。

三ツ池公園は二度目で、前に行ったときもこのブログに書いた覚えがあるので調べたら、2008年の1月でした。昨日のことのように記憶は鮮明なのですが、15年前だったのです。

当時と同じコースを歩きましたが、まわりの風景もほとんど変わっていませんでした。三ツ池公園も、もちろん当時のままです。あらためて月日が経つのははやいなとしみじみ思いました。そう思う気持の中には、哀しみというかせつなさのようなものもありました。

■大分のから揚げ


途中に「大分からあげ」という登りを立てた弁当屋があったので、から揚げ弁当を買って、それを持って三ツ池公園に行きました。

三ツ池公園は広大な敷地の中に、名前のとおり三つの池があるのですが、他にレストハウスもあるし、テニスコートや野球のグランドやプールもあります。また、さまざまな名前が付けられた広場は7つもあります。

平日にもかかわらず花見客で賑わっており、駐車場の入口は車が列を作っていたほどです。レストハウスの近くには、数台のキッチンカーも出ていました。

池のまわりを歩いたあと高台に登り、一人で花見をしました。弁当の中に入っていたから揚げは、案の定、大分のものとは違っていましたが、でもそれはそれで美味しいから揚げでした。

私の田舎は平成の大合併で隣の市と合併したのですが、前に田舎に帰ったとき、用事があって隣町の市役所の本庁に行ったら、そこでたまたま幼馴染に会って一緒に昼食に行ったことがありました。幼馴染は、「××ちゃん(私の名前)はから揚げが好きだったよな。○○に行こうよ」と言われて、子どもの頃、私の田舎にも支店があったから揚げ専門店の本店に行ったのでした。

「大分からあげ」と言うと、東京では県北にある中津のから揚げが代名詞みたいに言われていますが、中津にから揚げがあるというのは東京に来て初めて知りました。地元では養鶏場直営で昔からある田舎の店の方が知られており、今は「大分からあげ」の店として大分駅にも出店するまでになっているのです。

久住くじゅうの山もそうですが、私たちの田舎は人が好いのか、それとも商売っ気がないのか、他の自治体に先に越されて(いいとこどりされて)後塵を拝するようなことが多いのです。久住連山だけでなく、祖母山も私たちの田舎(市)にありますが、祖母山なんてまったく関係ないよその山みたいなイメージさえあるのでした。

■上野千鶴子


高台の見晴らしのいい場所で弁当を食べていたら、無性に山に行きたくなりました。人のいない山に登って、山頂で一人の時間を過ごしたいなと思いました。山に行くと、やっぱり一人がいいなあと思うのでした。クマが怖いけど、私は、誰もいない山を一人で歩くのが好きです。ただ、足が痛いと充分楽しむことができず、特に下山がつらくて時間もかかるので、それで億劫になって遠ざかっているのでした。

山と言えば、『山と渓谷』の最新号を見ていたら、上野千鶴子が「山ガール今昔」という文章を書いていたのですが、彼女は京大のワンダーフォーゲル部の出身なのだそうです。当時、女子の部員は彼女だけだったとか。山岳部だと親が反対するので、親の目をごまかすためにワンダーフォーゲル部に入ったと書いていました。

私は、上野千鶴子の本はわりとよく読んでいますが、ただ首都高をBMWで走るのが趣味だと聞いて、”嫌味な人間”というイメージがありました。ところが、彼女がBMWで首都高を走っていたのは、ルーレット族のようなことをしていたからではなかったのです。八ヶ岳にある歴史家の色川大吉氏の元へ通うためだったのです。

色川大吉氏は、「五日市憲法草案」の発掘などで知られる民衆史の碩学で、私は若い頃、色川氏の講義を聴くために、氏が勤務していた東京経済大学にもぐりで通ったこともあるくらいです。色川氏が秩父事件の背景になった奥多摩や秩父の自由民権運動を研究するようになったのも、山が好きだったからではないのか。二人を結び付けたのも山だったのではないか、と勝手に想像したのでした。

日本を代表するフェミニストの”不倫の恋”、ゲスの極みのような週刊文春では「略奪愛」のように言われていますが、現金なもので、私はその記事を見て、逆に上野千鶴子に対する”嫌味な人間”のイメージがなくなったのでした。

尚、今夏、山と渓谷社から『八ヶ岳山麓より』というエッセイ集を刊行するそうで、何のことはない、上記の文章はそのプロモーションだったのです。

帰ってスマホのアプリを見たら、往復で13キロ、1万9千467歩でした。だったら少し遠回りして2万歩にすればよかったなと思いました。


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