
昨夜も山に行こうと準備万端整え、目覚ましをセットして寝ようと思ったその矢先、スマホの着信が鳴りました。
九州の高校時代の同級生からでした。そして、“男の長電話”で延々2時間近く昔話をするはめになり、電話を切って時計を見たら午前2時近くになっていました。
山に行くには遅くとも午前4時過ぎに起きる必要があります。これから寝たのでは起きられないでしょうし、もともと寝つけが悪い人間なので、寝るチャンスを逃すとすぐには眠れないのです。それに、眠らなければと思うとよけい眠れなくなるという面倒臭い癖も人一倍あります。
で、結局、また山行きはあきらめて、今、このブログを書いている次第です。
■寺山修司
昨日も散歩に行って1万歩以上歩きました。最近は散歩に行くのが唯一の楽しみのようになりました。
いつものように鶴見川の土手を歩きました。日曜日で天気もよかったので、土手の上は散歩やジョギングする人たちの姿が多くありました。
新横浜の日産スタジアムの近くまで歩いて、そこから引き返しました。山に行く予定だったので軽めにして、歩いた距離は7キロくらいでした。
途中、川の近くまで下りて、コンクリートの護岸の上でコンビニで買って来たおにぎりを食べて、しばらくまったりとしました。近くではテントを張って昼寝している人もいました。
また、叢の上に座って川を眺めている女性もいました。「山に行く人」というのは、その服装や雰囲気で何となくわかるのですが、私もその女性を見たとき、「山に行く人」ではないかと思いました。帰るとき、足元を見たら、案の定、トレッキングシューズを履いていました。足慣らしを兼ねて散歩していたのでしょう。
川にはいろんな水鳥が生息していることを知りました。水面をスイスイ泳いでいる鳥もいれば、一か所に留まってときどき水の中に半身を潜らせている鳥もいるし、川岸で羽根を休めている鳥もいました。そんな光景を眺めていたら、「ああ、春だったんだな」とどこかで聞いたことがあるような台詞が浮かびました。
年を取ると、春という季節が遠く感じるようになります。春のイメージで抱くような出会いや別れとは無縁になるからでしょう。あのわくわく心踊らせながら、それでいてどことなくせつなくもの哀しい春が持つイメージから、いつの間にか疎外されている自分を感じるようになりました。
昔、大田区の大森の町工場で、旋盤工として働きながらルポルタージュを書いていた小関智弘氏の本が好きでよく読んでいたのですが、その中で『春は鉄までが匂った』(ちくま文庫)というタイトルの本がありました。なんてロマンティックな響きなんだろう、タイトル自体がまるでひとつの歌のようだと思いました。でも、そういった感覚も遠いものになってしまいました。
自分の青春を考えるとき、寺山修司の歌を抜きにすることはできません。あの頃は何かにつけ寺山修司の歌集を開いていました。その歌集がどこかに行って見つけることができなかったのですが、当時好きだったのは次のような歌です。
吸いさしの煙草で北を指すときの北暗ければ望郷ならず
マッチ擦るつかのまの海に霧深し 身捨つるほどの祖国はありや
きみのいる刑務所の塀に自転車を横向きにしてすこし憩えり
アカハタ売るわれを夏蝶越えゆけり 母は故郷の田を打ちていむ
私も二十歳のとき、寺山修司と同じように長い入院生活を送ったのですが、(これも既出ですが)そのときに寺山修司を真似て次のような歌を詠みました。
裏山で縊死せし女のベットには白きマリア像転がりてをり
帰るべき家持たぬ孤老の足音今宵も聞こへり 盂蘭盆さみし
小さき花愛でてかなしき名も知らねば 君の肩に降る六月の雨
熱ありて咳やまぬなり大暑の日 友の手紙封切らぬまま
でも、もうこういった拙い感受性とも無縁になりました。いくら川面を眺めても言葉は浮かんできません。それどころか、最近は日常で使う言葉さえ忘れるくらいです。
■『人生の視える場所』
また、若い頃、岡井隆の『人生の視える場所』(思潮社)という歌集も好きでした。『人生の視える場所』は、先日、たまたま本棚の上から落ちてきたので、今、手元にあるのですが、その中で私が〇印をつけているのは、次のような歌です。尚、奥付を見ると、「1982年8月1日初版」となっていました。
頭を下げてパンを提げて来しわれさきへや尖るこころをもてあましをり
つきあたりてけがれては抜けてゆく迷宮のごと一日は在りぬ
独り寝るさむき五月の夜の闇に枝寄せてゐる風音きこゆ
先程、色あせた『人生の視える場所』をめくっていたら、次のような歌が目に止まりました。
晩年をつね昏めたるわれを思ふしかもしづかに生きのびて来ぬ
もちろん、若い頃の「人生の視える場所」と今の「人生の視える場所」はまったく違うものです。
昨夜の電話の相手の同級生も東京の大学に通っていたのですが、休みで帰省した折に、私が入院していた病院に見舞いに来たときの話になりました。
ベットの横で話をしていたら、掃除のおばさんがたまたま病室にやって来たのですが、同級生はおばさんの顔を見るなり、立ち上がって「あっ、こんにちわ」と挨拶したのでした。おばさんも「○○君!」とびっくりした様子でした。そのおばさんは、小学校のときの担任の先生の奥さんだったそうです。先生が若くして亡くなり寡婦となったので、生活のために掃除婦をしているんだろうと言っていました。「ちょっとショックだけどな」と言っていましたが、同級生はそのときの話を未だにするのでした。
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