
ネットの時代になり、ニュースにおいても、人々の関心はまるでタイムラインを見るように次々と移っていくのでした。
旧統一教会の問題も既に過去の問題になったかのようで、旧統一教会と自民党との関係も、何ら解明されないまま忘れ去られようとしています。
それは、ジャニー喜多川氏の問題も然りです。たしかにジャニー氏亡きあと退所者が出ていますが、しかし、まわりが思うほど(期待するほど)ジャニーズ事務所の屋台骨がぐらつくことはないのではないかと思います。
総務省事務次官を務め、退官後電通の副社長に天下りした櫻井翔の父親の力添えもあったのか、今では国のイベントにタレントを派遣するなど、政府や電通や博報堂の後ろ盾を得るまでになっているのです。櫻井翔に至っては、日本テレビのニュース番組のキャスターまで務めているのですから、悪い冗談どころか夏の夜の怪談みたいな話です。
■『噂の真相』の記事
メディアの中でジャニーズ事務所の問題を取り上げたのは、『週刊文春』と『噂の真相』と言われていました。それで、手元にある『噂の真相』でどんなジャニーズ関連の記事があったか調べたら、次のようなタイトルの記事が出てきました。
ジャニーズ事務所の全日空ホテル乱交パーティが発覚!
(2000年1月号)
『週刊文春』で危機のジャニーズ事務所の新女帝の後継問題
(2000年3月号)
スクープ! 遂にジャニー喜多川がホモセクハラで極秘証人出廷
(2002年2月号)
元マネージャーが語ったジャニーズ事務所の内部告発!
(2003年3月号)
ジャニーズ事務所と女性週刊誌の力関係の舞台裏
(2003年6月号)
セクハラと脱税で揺れる「ジャニーズ帝国」の舞台裏
(2003年9月号)
ほかには、今の時代では考えらえないことですが、「芸能界ホモ相姦図最新情報」とか「有名人ゲイ情報」とかいうのもありました。ただ、読むとかなり眉唾な話が多く、いい加減な記事だったことがわかります。おすぎとピーコが裏でこんな話をよくしていたそうですが、記事の対談や座談会に出ているのは、『噂の真相』の編集部から近い新宿2丁目のゲイバーのママなどでした。どんな連中なんだと思いました。
2004年1月1日発行の『別冊・噂の真相 日本のタブー』の中に、ジャニーズ事務所の圧力を具体的に書いた、次のような記事がありました。
「2000年に、『週刊女性』が少年隊の錦織一清の借金トラブルを報じたんです。すでに他社も報じていた話だし、確実なウラも取れていた。ところが、これに激怒したジャニーズ事務所が同じ主婦と生活社のアイドル雑誌『JUNON』に、『以後、取材に協力しない』と圧力をかけてきたんです。すぐに謝罪したんですが、結局ジャニーズとは決裂してしまい、それ以降、『JUNON』も『週刊女性』も急激に部数を低下させるハメになってしまった」(主婦と生活関係者)
しかもこの時、ジャニーズ事務所は主婦と生活社に委託してきたジャニーズタレントのカレンダーの発売権まで引き上げている。
実はジャニーズ事務所は、芸能系の雑誌を持たない出版社にも、こうしたカレンダーやタレント本を発売させることで、巧妙にルートを作り上げているのだ。あの新潮社ですら、あるタレント本のために、『フォーカス』の記事に影響があったほどなのだ。
もちろん、最近になって、ようやくこの構造に風穴を開ける動きも出てきている。
ジャニーズの影響を受けない数少ない大手出版社のひとつ、文藝春秋の『週刊文春』が、ジャニーズ事務所のトップ・ジャニー喜多川のホモセクシャル行為を告発した一件だ。
これまで、北公次の告発本や本誌の報道をことごとく黙殺してきたジャニーズ事務所も、さすがに文春の影響力を無視できなかったのか、記事を名誉棄損で提訴したのだが、判決はジャニー喜多川のホモセクハラ行為が「事実だった」とするものであった。
だが、それでも尚、芸能マスコミの多くはジャニーズタブーの呪縛から逃れられないでいるのだから情けない。
事実、テレビはこの判決には一切触れず、かろうじて報じたスポーツ紙の記事も、ジャニーズ事務所のネームバリューを考えれば驚くほど小さなスペースでしかなかった。
ジャニーズタレントたちは、今日も何ごとも無かったかのようにテレビや雑誌に登場し、相変わらず事務所に莫大な稼ぎをもたらしているのである。
(同上・「ジャニーズやバーニングが圧殺する有名芸能人のスキャンダル・タブー」)
そして今に至るという感じですが、しかし、記事を読むと、今より当時の方がまだタブーが緩かったことがわかります。誰がそうしたのか、ジャニーズ事務所は今の方がはるかに強硬だし傲慢になっているのです。
■宮台真司氏の言説
宮台真司氏は、下記の動画で、ジャニー喜多川氏の性加害(疑惑)について、少年たちの主観は(第三者である私たちとは)違うところにあるのではないか、と言っていました。
Arc Times
<ジャニー喜多川氏の性暴力問題> 加入儀礼がまだ残る日本 告発せずに我慢しがちな芸能界や職人の世界
宮台氏は、ジャニー喜多川氏の行為は、ジャニーズに入るための「加入儀礼」だった、と言います。だから、少年たちの中で被害を訴える者は圧倒的に少数で、彼らには傍で見るほど被害者意識はなかったのではないか、と言うのです。もちろん、日本には伝統的にお稚児さん=ゲイ文化があり、ホモセクシャルな”秘儀”も特段めずらしいことではないのかもしれません。
「加入儀礼」は、その集団の一員になり、一人前の大人になるために、理不尽なことも不条理なことも我慢して受け入れなければならないということです。そして、「加入儀礼」は、みんなそうやった大人になってきたのだからお前も我慢しろ、という日本的共通感覚に支えられていると言います。それを丸山眞男は「抑圧の移譲」と言ったのだと。だから、ジャニーズの問題も言われるほど大きな問題になってない。日本の社会ではよくあることで、世間はそれほど関心はない。宮台氏は、そう言うのでした。
たしかに、少年たちは、アイドルになってキャーキャー言われたい、お金を手に入れていい生活をしたい、そう思って、みずからジャニーズの門を叩いたのです。何も道を歩いているときに、突然、変な爺さんに襲われたわけではないのです。だから、セクハラされるのは最初から承知の上だったんじゃないか、自業自得じゃないか、という見方があるのも事実でしょう。あるいは、宮台氏が言うように、社会に出ればもっと嫌なことや辛いことがあるのだから、それくらいのことで被害者ズラするのは我慢が足りない、というような批判もあるかもしれません。それに、退所して事務所の縛りから解き放されたタレントたちを見ると、アイドルと言うにはちょっとやさぐれたような若者が多いのも事実です(だから、被害を訴えるのはカマトトではないかという声があります)。
でも、だからと言って、ジャニー喜多川氏の性加害が免罪されることにはならないのです。性加害(性被害)には、必ずそこに支配⇔服従という権力関係が生まれるので(それを前提とするので)、問題の本質は宮台氏が言うような部分に留まらず、もっと先にあると考えるべきでしょう。むしろ、少年たちに被害者意識がないことが問題なのです。それは少年だけではありません。少女に対する性加害も同じです。
子どもの頃に性被害を受けたことによるトラウマの問題は深刻で、被害者意識がないということも、むしろその深刻さを表しているように思います。ジャニー喜多川氏の問題が大きく取り上げられたことで、彼らの中にフラッシュバックが起きることは充分考えられるように思います。退所や休業も、その脈絡で考える必要があるでしょう。
■自死した某男優と義父
1980年代、31歳の某男優が新宿のホテルから飛び降り自殺するという事件がありました。その際、義父でもあった所属事務所の社長に宛てて、「おやじ涅槃で待つ」という遺書を残していたとして話題になりました。
実はその男優は私と同じ地元の出身でした。私自身は面識はありませんが、当時はまだ私も地元の会社に勤めていましたので、彼と中学の同級生だった職場の同僚やその友人たちから彼に関する話を聞いたことがあります。彼は中学3年のときに突然「姿が消えた」そうですが、それまではバスケットボール部に所属し人一倍目立つ存在だったそうです。他校でも「O中学のジョージという生徒がすごくカッコいい」と評判になるほどの長身で美形の持ち主だったとか。でも、中学の同級生たちも、彼の素性はまったく知らなくて、「謎の人間だった」と言っていました。
そして、高校に進んだあと、学校の帰りに書店で『平凡』か『明星』だかを観てたら、そこにあのジョージが出ていたのでびっくりしたそうです。その際、彼のプロフィールを見たら、自分たちが通っている高校を中退したことになっていたので、狐に摘ままれたような気持になったと言っていました。
どういった経緯で芸能界に入ったのかわかりませんが、私は、テレビで養子縁組した義父の社長を見たとき、「ああ、そうだったのか」と思いました。そこには、ジャニー喜多川氏と同じような(宮台真司氏が言う)「加入儀礼」があったような気がしたのでした。彼の同級生たちもそう思ったそうです。実際に、ホモセクシャルの世界において養子縁組はよくある話なのです。
今にして思えば、彼の場合も、BBCの記者が言う「グルーミング」や「トラウマボンド」で説明が付くように思えてなりません。自殺に至ったのも、「トラウマボンド」によるものではないかと思うのです。トラウマを抱えながら、それがいつの間にか反転して「おやじ涅槃で待つ」というような一体化した関係を憧憬するようになる。それを心理学では「内在化」と言うのだそうですが、トラウマが人間心理の奥深くに入り込み、ある種の自己防衛のために、被害者が加害者に対して倒錯した愛情のようなものを抱くようになると言われます。
(ジャニー喜多川氏が逝去した際の)「ジャニーさんの子供になれて誇りに思う」「ジャニーさんとの絆は永遠に切れない」「ジャニーさんはこれらもいつも寄り添ってくれている」「僕の人生は、あなたから与えられた愛情のなかにある」などという、ジャニー喜多川氏が文字通り寝食を共にし、手塩にかけて育てたメンバーたちの言葉。メディアは、それを美談として報じてきたのでした。
ジャニーズのメンバーも、ひと昔前までは櫻井翔のようなおぼっちゃまは例外で、どちらかと言えば独り親の家庭やアンダークラスの家庭の出身者が多かったような気がします。そんな芸能人としての古典的なパターンもまた、「グルーミング」を受け入れる素地になっていたように思えてなりません。
ジャニー喜多川氏は、言うなれば、少年たちのハングリー精神や上昇志向を利用して、彼らの身体を欲望のはけ口にしたのでした。はっきり言えば、そうやって少年愛のハーレムを作ったのです。それを可能にしたのは、犯罪とのグレゾーンに築かれた支配⇔服従の権力関係です。私たちは、ジャニー喜多川氏の問題について、まずそこに焦点を当てて考えるべきではないかと思います。