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■維新の伸長
今回の統一地方選と衆参の補選では、とにかく投票率の低さが目立ちました。
NHKの報道によれば、(23日投票が行われた後半の)55の町村長選の平均投票率は60.8%、280市議選は44.26%、250の町村議選は55.49%で、過去最低だったそうです。
一方、東京都の区長選は45.78%、区議選は44.51%で、それぞれ前回より1.57ポイントと1.88ポイント増えていますが、依然50%を切っています。
また、衆参の補欠選挙は、補欠選挙という性格もあるのだと思いますが、いづれも通常の選挙より大幅に減っています。和歌山1区は44.11%(前回総選挙より11.05ポイントマイナス)、山口2区は42.41%(同9.2ポイントマイナス)、山口4区34.71%(同13.93ポイントマイナス)、参院大分区は42.88%(22年より10.50ポイントマイナス)でした。
ただ、この投票率の低さは、棄権率の高さと言い換えることもできるのです。私は、むしろ前向きに解釈してもいいのではないかと思います。つまり、棄権率の高さに示されているのは、既成政党に対する拒否反応ではないかと考えるのでした。
衆参の補欠選挙では、自民党は4勝1敗、立憲民主党は全敗、日本維新の会が和歌山1区で初めて議席を獲得して1勝でした。
日本維新の会は、今回の統一地方選挙で599人が当選し、非改選の現職175人を合わせると、首長や地方議員が774人になったそうです。維新は、「統一地方選挙で600議席」の目標を掲げていましたが、その目標を大幅にクリアしたのです。
維新が伸長したのは、自民党を食ったというより、立民の票を食った、立民の受け皿になったという意味合いの方が強い気がします。維新が言う「立憲民主党に代わる野党第一党」も、現実味を増してきたと言っていいでしょう。
日本維新の会は、東京都内の議員数も従来の22人から73人に急増したそうです。首都圏の神奈川や埼玉でも当選者を出しており、全国区の政党としての認知度も上がってきたと言えるでしょう。
朝日新聞は、その伸長ぶりを次のように書いていました。
維新によると、都内では70人の候補を擁立し、67人が当選。さらに、上位当選の多さが目立った。朝日新聞の集計では、都内の当選者のうち49人が上位3分の1以内の得票順。議員選があった都内41市区のうち、新宿区や世田谷区、武蔵野市など11市区で1位当選し、江戸川区では維新の新顔が1位と2位を占めた。
9日投開票の県と政令指定市の議員選でも、維新は神奈川県内で改選前の2議席が25議席に、埼玉県内でゼロから5議席に増加。今回も同県川口市や千葉県浦安市で1位当選したほか、同県市川市や神奈川県藤沢市など東京に近い市で2議席を獲得した。
朝日新聞デジタル
維新の地方議員、首都圏でも急増 トップ当選続出、他党に広がる動揺
■おためごかしな総括
この状況に対して、立憲民主党の執行部は、「あと一歩まで肉薄した」(泉代表)「接戦だった」(岡田幹事長)「非常にいい戦いをした」(岡田幹事長)などと、いつものおためごかしな総括でお茶を濁すだけです。共産党は言わずもがなですが、立民にしても、党内から執行部の責任を問う声すら聞こえて来ないのです。それは、まさにテイタラクと呼ぶにふさわしい光景と言えるでしょう。
立憲民主党がにっちもさっちもいかない状態になっているのは誰の目にもあきらかです。連合を無視しては生きていけない。しかし、連合に頼っている限り、有権者からの広い支持は望めないのです。
多くの有権者に、自民党に対して辟易した気持があるのは事実でしょう。そのひとつが、上にも書いたように、低い投票率に表れているように思います。選挙に行かなければ何も変わらないと言われても、投票するような政党がないのです。
そんな中で、野党に対する投票行動に変化が表れたのでした。つまり、野党支持者の中で、立民より維新に投票する有権者の方が多くなったのです。自民党の受け皿ではなく立民の受け皿というのはトンチンカンですが、そこまで有権者の中に立民に対する失望感が広がっているとも言えるのです。
立民内では、泉健太が辞任した場合は、野田佳彦の復権を期待する声もあるそうです。かように立民内の現状認識は、有権者が求めるものとは信じられないくらいズレまくっているのです。それでは落ちるところまで落ちるしかないでしょう。
昨年の参院選でも、日本維新の会は伸長し、都道府県別の得票でも、19都府県で立憲民主党を上回り、一昨年の衆院選の2倍以上に増えたというデータもあります。既に昨年の参院選から今日の傾向が出ていたのです。
また、比例代表では、維新は全国で785万票(得票率14.8%)獲得し、前回と比べて294万票増やしました(5ポイント上昇)。一方、立民は、677万票(得票率12.8%)で、前回より115万票(3ポイント)減らし、党が掲げていた目標の1300万票の半分にとどまっただけでなく、得票数でも維新の後塵を拝したのでした。考えれてみれば、この677万票の多くは連合の組合員の票と言っていいでしょう。立民は、一般有権者からはほとんど見放されているに等しいのです。本来なら解党的出直しをすべきなのに、執行部は責任問題に頬被りをしてそのまま居座ったのでした。
言うなれば、維新がここまで伸長したのは立民のおかげみたいなものです。多くの有権者がバカバカしいと棄権する一方で、律義に投票所に足を運んでいる有権者たちには、立民より維新の方が頼りがいがあるように見えたのでしょう。立民が頼りないので消去法で維新を選んだのでしょう。
■田村淳と国生さゆりの発言
山口4区に立民から立候補した有田芳生氏が、街頭演説で「下関は統一教会の聖地」と発言したことに対して、山口県出身でガーシーと親友だと言ってはばからないタレントの田村淳が、選挙期間中の19日に、次のようにツイートして物議をかもすという出来事がありました。
〈地元下関が統一教会の聖地だって!?聖地って神・仏・聖人や宗教の発祥などに関係が深く、神聖視されている土地って意味だよな?僕は支持政党無しだが、下関がカルト教団の聖地という印象操作をした事にムカついてるし、有田芳生氏やその発言を支持した議員を心から軽蔑します。下関はそんな街じゃない〉
(下記リテラの記事より)
しかし、下記のリテラの記事によれば、旧統一教会の中では「下関が『統一教会の聖地』とされているのは事実」で、「実際、統一教会の幹部は2021年3月に下関で開催された『日臨節80周年記念大会』において、『山口の下関は聖地と同等の場所です』と発言している」のだそうです。
リテラ
「下関は統一教会の聖地」は統一教会幹部の発言なのに…事実を捻じ曲げて有田芳生を叩いたロンブー田村淳の卑劣
ところが、田村淳は、その指摘に対して、旧統一教会の幹部の発言は承知の上だとして、事実関係が問題ではなく、有田氏の発言が、下関が「統一教会の聖地」であることを下関市民があたかも受け入れているかのような印象を与えたことに怒りを覚えた、と言うのでした。何だか自分の勘違いを指摘されて、逆に開き直ったような感じがしないでもありません。
さらに、話はそれだけにとどまりませんでした。何故か国生さゆりが田村淳の発言に反応し、「淳くんの怒りは理解できる。根拠なくヨシフさん『聖地』とか言っちゃった訳だし、軽蔑するよ。考えなしにそういうこと口にする人、どこにでもいるよね」「かけがえの無いものを独りよがりでけなす人。ノリで言っちゃうダメ人。選挙中なんのに軽率過ぎる。そんな事も考えられないほど、お花畑なのかな」(東京スポーツの記事より)とツイートしたのでした。これも投票日前日の22日のツイートなので、選挙妨害ではないかという声すらあるのでした。
国生さおりのツイートに対して、有田氏は、投票日翌日の24日に、次のようにツイートして名誉棄損の訴訟をほのめかしたのでした。
統一教会裁判の弁護士から、僕が相談していないのに、名誉毀損にあたり、認定されるはずだから、訴訟を検討したらとメールが来ました。熟考します。
有田氏は、選挙では当選した吉田候補の半分しか得票できず惨敗したのですが、それでも「保守王国、自民党王国と戦後ずっと言われてきた山口4区において、それが溶けはじめてきていると本当に確信を持っている」(産経の記事より)とコメントしていました。これなども、おためごかしの総括と同じで、左派リベラルの常套句のようなものです。そうやって「『負ける』という生暖かいお馴染みの場所でまどろむ」だけなのです。そんなことを百万遍くり返しても何も変わらないのです。
だったら、負け惜しみを言うだけではなく一矢報いるために、国生さゆりを告訴したらどうか、と私は言いたくなりました。「熟考します」というのは「しない」という意味だと思いますが、たとえ相手がタレントでも(ただ自民党から立候補するという噂もある)、蛮勇を振るって喧嘩するくらいの気概を見せてくれと言いたいのです。それが今の立民にいちばん足りない点なのです。
■立憲民主党の末期症状
ノンフィクション作家の松本創氏は、朝日新聞のインタビューで、維新が支持されるのは「細マッチョ」だからだと言っていましたが、言い得て妙だと思いました。「マッチョ」というのは、「マッチョイズム」という言葉などもあって、ジェンダーレスの時代においては肩身が狭い言葉ですが、好戦性=戦うということです。立民に限らず、今の左派にはこの戦う姿勢が見られないのです。もちろん、維新の「細マッチョ」はポーズにすぎないのですが、それが”改革者”のイメージになっているのはたしかでしょう。今の左派リベラルに求められているのは「マッチョ」な戦う姿勢です。今では参政党や旧NHK党だって、「横暴な国家権力と戦う」と言っています。支持を広げるために、「マッチョ」を売りにしているのです。
千葉5区の補選の敗北の要因について、立民の幹部はこう分析したそうです。
Yahoo!ニュース
集英社オンライン
補選惨敗でどーする立憲民主党〉“最後の切り札”投入はあるのか? 内部では早期解散なら「維新に飲み込まれるぞ」の声も
「立憲は政権と対峙しているイメージが強いが、若い人たちは全共闘世代などとは違い、『反権力』と言われてもピンとこなくなっている。それよりも『私たちに何をしてくれるのか』ということへの関心が強く、今の立憲のスタンスは古いと見られているのだろう」
まったく呆れた分析です。こうやって、どんどん右旋回して、自民党の保護色みたいになっておこぼれを頂戴するつもりなのかと思います。「提案型野党」などと言って自民党にすり寄り、野党らしさをなくしたことが失望されているのですが、それがまるでわかってないのです。驚くべき鈍感さと言わねばなりません。
私は、旧民主党時代から、旧民主党(立憲民主党)は自民党を勝たせるためだけに存在している、と言って来ましたが、いよいよ断末魔を迎えたと言ってもいいでしょう。
次のようなシャンタル・ムフの言葉は、立憲民主党は論外としても、立憲民主党のような政党に同伴する左派リベラルをどう考えるかという上で参考になるように思います。
ソヴィエト・モデルの崩壊以来、左派の多くのセクターは、彼らが捨て去った革命的な政治観のほかには、自由主義的政治観の代替案を提示できてない。政治の「友/敵」モデルは多元主義的民主主義と両立しないという彼らの認識や、自由民主主義は破壊されるべき敵ではないという認識は、称賛されてしかるべきである。しかし、そのような認識は彼らをして、あらゆる敵対関係を否定し、政治を中立的領域でのエリート間の競争に矮小化するリベラルな考えを受け入れさせてしまった。ヘゲモニー戦略を構想できないことこそ、社会-民主主義政党の最大の欠点であると私は確信している。このために、彼らは対抗的で闘技的(アゴニスティック)な政治の可能性を認めることができないのである。対抗的で闘技的な政治こそ、自由-民主主義的な枠組みにおいて、新しいヘゲモニー秩序の確立へと向かうものなのだ。
(『左派ポピュリズムのために』)
また、シャンタル・ムフはこうも言っています。
(略)政治が本性上、党派性を帯びたものであり、「私たち」と「彼ら」の間には、フロンティアの構築が必要であると認めなければならない。民主主義の闘技的性格を回復することのみが、感情を動員し、民主主義の理想を深化させる集合的意志の創出を可能にするだろう。
(同上)
シャンタル・ムフが言うように、「民主主義の根源化」のためには、議会だけでなく議会外のモーメントも大事な要素です。そのためには、急進主義を否定するのではなく、むしろその復権が俟たれるのです。
■杉並区議選
今回の選挙の中で、唯一、個人的に注目したのは、杉並区議選でした。48名の定員に70名が立候補するという激戦になったのですが、結果は岸本区政の与党であるリベラル派が伸長しました。48議席のうち25議席を女性議員が占めました。得票数上位10名のうち、7名が女性候補で、れいわ新選組の女性候補は大量得票して3位で当選しています。ほかに緑の党の女性候補も19位で当選しましたし、中核派の現職も再選されました。
しかも、48議席うち15議席が新人で、現職の12名が落選し、新旧の入れ替えが行われたのです。落選した12名のうち7名が自民党現職(全員が男性)でした。もちろん、買い被りは慎むべきですが、新たな潮流と言ってもいいような状況が見られるのでした。
ただ、懸念材料がないわけではありません。岸本区政は、元はと言えば野党共闘の成果でもあります。そのため、せっかく市民が作った潮流が、ゾンビのような政党からひっかきまわされて潰される心配がないとは言えないのでした。