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■東急東横線
私が横浜のこの街に住んでもう20年近くになりました。私が住んでいるのは、毎年、不動産サイトが発表する「首都圏で住みたい沿線ランキング」において、上位ランクの常連でもある東急東横線沿線の横浜側の街です。2022年は東横線は2位でした。ちなみに、1位は東京のJR山手線です。
ただ、JR山手線沿線と言われても、あまりにざっくりした感じで、住宅街としてのイメージが湧いてきません。住宅街としては、東横線沿線の方が具体的なイメージがあり、一般的に認知されていると言えるかもしれません。
輸入雑貨の会社に勤めていた頃、私は横浜を担当していましたので、週に1回は渋谷から東横線に乗って横浜に行っていました。当時は渋谷から横浜まで200円もしなくて、電車代が他の会社に比べて安かったのを覚えています。もちろん、東横線の終点は横浜駅ではなく桜木町駅でした。
東横線に乗ると、何だか電車の中がもの静かで、お上品なイメージがありました。そんな中で、当時の武蔵小杉は雑多で異質な街でした。駅から少し離れると工場がひしめていて、しかも京浜工場地帯の後背地を通る南武線も走っていたし、何だか東横線のイメージにそぐわないような感じさえ抱いたものです。
武蔵小杉の工場跡地にタワーマンションが建ったのは、私が横浜に引っ越したあとのことです。やがて駅周辺に迷路のような囲いが作られて建設が始まり、あれよあれよという間にオシャレな街に変貌していったのでした。
■昭和のアパート
今、私が住んでいる街も、昔は町工場が多くあったところです。ただ、武蔵小杉などよりずっと前に住宅地の開発がはじまり、平坦な土地が多いということもあって、”高級”のイメージが付与され、人気の住宅地になったのでした。昔は畑の中に大手家電メーカーの工場があり、周辺に下請けの工場が点在していたそうです。
前も書いたことがありますが、ANAの女子寮もありました。また、たまたま私の高校時代の同級生が、若い頃すぐ近くにある某メーカーの独身寮に住んでいたそうで、当時は社宅や寮なども多くあったのです。しかし、今はほとんど残っていません。最後に残っていた保険会社の社宅も、現在、跡地に大手デベロッパーのマンションが建設中です。
私が引っ越して来た当時、駅周辺の路地の奥には、”昭和のアパート”といった趣きの古い木造のアパートがいくつもありました。おそらく、それらのアパートは、当初は周辺の町工場で働く人たちを対象に建てられたのだと思います。
アパートの前を通ると、ときどき建物から出て来る住人に遭遇することがありましたが、ほとんどが高齢者でした。仕事をしているのか、オシャレな恰好をして鉄階段を下りて来る高齢の男性を見たこともありますし、また、アパートの前に植えられた桜の木にカメラのレンズを向けている高齢女性を見たこともあります。年齢の割に派手な恰好をしたお婆さんでした。あるいは、開けっぱなした窓から見える室内の壁一面に揮毫をふるった書道の紙を貼っている、ちょっととっぽい感じのお爺さんもいました。
でも、それらのアパートはこの15年くらいの間に多くが取り壊され、アパートと呼ぶのかマンションと呼ぶのかわからないような、今風の建物に変わってしまいました。もちろん、住人も様変わりして、若いカップルや夫婦になりました。
久し振りに前を通ると、新しい建物に変わっているのでびっくりするのですが、そのたびにあの高齢の住人たちのことを思い出すのでした。
そして、わずかに残っていた昭和のアパートが最後に姿を消したのは、この5~6年のことです。待機児童の問題が取り沙汰されるようになり、横浜市でも次々と保育園が作られたのですが、その用地になったのでした。
しかし、最近は保育園も過剰になったのか、どこも前を通ると、「入園者募集」と「保育士募集」の紙が貼られています。そう言えば、待機児童の問題がニュースになることもなくなりました。
それらの保育園に子どもを預けているのは、近辺のマンションに住んでいる若い夫婦たちです。人気の東横線沿線に住みたいと思って、背伸びして割高なマンションを買ったような人たちと言っていいかもしれません。
週末のスーパーに行くと、30代くらいの若い家族連れが目立ちますが、高齢者と入れ替わるように、そんな若い家族が越して来たのでした。
■冷たい街
よく「どこに住んでいるのですか?」と訊かれて、この街の名を告げると、決まって「いいところに住んでいますね」と言われるのですが、ただ、私がこの街に住んだのは特に理由があったわけではありません。それこそ「所さんのダーツの旅」みたいな感じで選んだだけです。しかし、実際に住んでみると、外から見るイメージと実際は全然違います。当たり前の話ですが、”高級住宅街”と言っても、住んでいる人間が高級なわけではないのです。ただ地価が高いというだけです。
住民には若い女性たちも多く、夕方、駅前のスーパーに行くと、勤め帰りの彼女たちが買い物に来ていますが、はっきり言って買っているのがショボくて、コンビニと間違えているんじゃないかと思うほどです。家賃が高いので、食費を倹約しなければならないのかもしれません。それは週末のスーパーに来ている若い夫婦も同じで、恰好はオシャレですが、カゴの中は質素倹約そのものです。横浜に来る前は埼玉に住んでいましたが、埼玉のスーパーの方が全然買いっぷりがいいように思いました。
一方で、入れ替わりが激しいのですが、カットサロン、私たちの年代で言えば美容院、田舎にいた子どもの頃の呼び方で言えば、パーマ屋がやたら多いのでした。
だからと言って、商店街に活気があるわけではなく、むしろ逆で閉塞感が漂っています。地元の人たちに聞いても、昔の町工場の時代の方が活気があったと言っていました。
何だか“虚飾の街”という感じがしないでもありません。東横線の電車がお上品に見えたのも、実際に住んでみるとただの錯覚だったということがわかりました。高級とかオシャレとか言われるのも、腹にいちもつの不動産会社が捏造した、ただのイメージにすぎないのだということがよくわかります。むしろ逆に、人々に余裕がないのか、どことなく街に冷たいところがあるのでした。何というか、山に登っているときにすれ違ったハイカーに「こんにちわ」と挨拶しても無視されるような、そんなバリアのようなものを感じるのでした。その点は、ヤンキー家族が多い埼玉の街の方が、お世辞にもお上品とは言えないし、何かトラブルがあったときは面倒ですが(子どもの前でも平気でヤクザ口調になるパパがいたりする)、その分開けっ広げに素顔を晒すような清々しさや人間臭さがあったように思います。
いつの間にか姿が見えなくなった昭和のアパートの住人たち。どこに行ったんだろうと思います。彼らは、高級やオシャレと引き換えに、私たちの目に見えないところに追いやられたのでした。
■老後の貧困
最近は高齢者に対して、無駄だとか邪魔だとか足手まといだとかいった言葉を投げつけられるような、”棄民の思想”さえ垣間見えるようになっています。少子化問題もそうですが、そこにあるのは、資本家と同じような経済合理主義の考えだけです。老人や子どもの問題を、貧困問題として捉えるような視点はどこにもありません。
昔、老後の貧困を扱ったNHKの番組の中で、「老いることは罪なのか」という言葉がありましたが、もうそんな問いかけさえなく、最初から「罪だ」と決めつけているような風潮があります。政治家だけでなく、メディアが老人問題を報じる際も、真っ先に出て来るのが高齢者の社会保障費や医療費が財政を圧迫しているという問題です。そこから話がはじまるのでした。「シルバー民主主義」という言葉も、直接的な言い方を避けた”老人叩き”のための隠喩として使われていることを忘れてはならないでしょう。
でも、2022年3月に厚労省が発表した最新のデータによれば、老齢年金の平均受給額(月額)は、国民年金が55,373円で、厚生年金が145,638円です。個々の高齢者は、こんな僅かな年金でそれこそ爪に火を点すような老後の暮らしを送っているのです。これでは家族がいない単身者が生活できないと嘆く気持がよくわかります。にもかかわらず、高齢者たちは無駄だとか邪魔だとか足手まといだとか言われて、老いることも自己責任のように言われるのでした。
どうしてこんな冷たい社会になったんだろうと思います。五木寛之は、どう生きたかではなく、どんな人生であっても、とにかく生きぬいて来ただけで凄いことだし立派なことなんだ、と言っていましたが、やはり、国家が没落して貧しくなると、高齢者を敬い、労わるような余裕もなくなるのだろうかと思ったりします。何だかそれは、この街の冷たさと似ているような気がします。将来の納税者を増やす異次元の少子化対策のために、老人は目に入らないところに消えてくれと言っているような感じすらあるのでした。