
■新型コロナウイルス
先日、きっこがTwitterに次のように投稿していました。
国民の命など二の次の岸田政権は、すでに新型コロナを過去のものとして無対策を加速しているが、専門家によると現在の国内の感染者の9割は死亡率の高い変異株であり、連休後には世界各国から帰国する邦人が持ち込んだ新たな変異株により、この夏は10万人規模の死者が出る第9派の恐れもあるという。
きっこ
@kikko_no_blog
これを単に狼少年(狼女?)の戯言と一笑することができるでしょうか。
メディアにおいても、新型コロナウイルスは既に終わったかのような雰囲気で、どこもゴールデンウィークに日本中が浮かれているようなニュースばかりです。喉元過ぎれば熱さを忘れるのは日本人の習性ですが、政府の方針が変わると、みんな一斉に右へ倣えしてガラッと空気も変わるのでした。
これも既出ですが、カミュの『ペスト』の最後では、ペストを撃退したとして花火が上がり、街の至るところで歓喜の声が上がる中で、語り手のリウーは次のように呟くのでした。
(略)――ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておろらくいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうということを。
宮崎嶺雄訳『ペスト』(新潮文庫)
ペストは、抗生物質の開発で死に至る感染症ではなくなりましたし、先進国では検疫(防疫)の普及でほぼ”撲滅”されましたが、新型コロナウイルスは、この3年間で少なくとも10億人を超すであろう人々の体内に定着したのです。私たちの身体には380兆個のウイルスが生存していると言われていますが、新型コロナウイルスもその中に加わったのです。ウイルスは、宿主とともに生き続けますが、しかし、新型コロナウイルスは、宿主の遺伝情報を利用して変異株(子孫ウイルス)を作るやっかいな存在です。それどころか、似たようなウイルスは自然界に無数に存在しており、自然破壊によって人間と中間宿主である野生動物との距離が近くなったことで、今後も別のウイルスによる感染爆発が懸念されているのでした。
新型コロナウイルスは、5月8日より感染法上の位置付けが、これまでの「2類」相当から、季節性インフルエンザと同じ「5類感染症」の扱いになります。その移行に伴い、今までのように全ての医療機関が毎日感染者の数などを報告する「全数把握」は終わり、週に1回全国5000の指定医療機関のデータを集計した報告になり、死者数は月に1回発表されるだけになります。これでは、感染に対する関心も薄れ、その対策もなきに等しいものになるので、今後、新たな変異株の感染が発生すれば、今までとは比べものにならないくらい爆発的に拡大するのは目に見えているでしょう。
■外国人観光客を羨ましがる日本人
日本人は、ついこの前まで、外国人、特に欧米人はケチでお金を使わないと言っていたのに、今や様相が一変し、彼らを救いの神のように崇め、その散財ぶりを羨ましがるようになっているのでした。
観光地でゲストハウスを所有している友人は、ゲストハウスの運営は専門の会社に任せているそうですが、まだ入国制限が行われて全国旅行支援の日本人観光客が主であった頃は、「全国旅行支援の分宿泊料が高くなっているので、お客の負担はほとんど変わらない。全国旅行支援は観光業者の利益になっているんだよ」と(近畿日本ツーリストの不正請求に見られるような)観光業者のぬけめないやり方を指摘していました。そして、入国制限が緩和して外国人観光客がどっと押し寄せるようになったら、「オレはありがたいけどな」と前置きして、「びっくりするくらい宿泊料を高く設定していて、あれじゃ日本人は泊まれないだろう」と言っていました。実際に、最近は宿泊客のほぼ百パーセントが外国人観光客だそうです。そうやってここぞとばかりに荒稼ぎしているのです。
それでも外国人観光客から見れば、日本は安い国なのです。「オーストラリアの昼食1回分のお金で、日本では夕食を3回食べることができる。金持ちになった気分だよ」とインタービューで答えていた観光客がいました。
築地の場外市場に外国人観光客が押しかけて、押すな押すなの賑わいというニュースを見ていたら、友達と観光に訪れたという日本の女子大生が、「(外国人観光客は)みんな高いものを食べているので凄いですね」と言っていましたが、そこには今の日本の姿が映し出されているように思いました。
■ウクライナ戦争と核の時代
よく陰謀論の権化のように言われる田中宇氏は、「決着ついたウクライナ戦争。今後どうなる?」という有料記事のリードに、次のように書いていました。
もうウクライナが勝てないことは確定している。事態を軟着陸させて漁夫の利を得るために和平提案した習近平が勝ち組に入っているのも確定的だ。ウクライナが西部だけ残ってポーランドの傘下に入る可能性も高い。米国と西欧の崩壊が顕在化し、東欧は非米側に転じ、NATOが解体する。ウクライナの国家名はたぶん残る(その方が和平が成功した感じを醸成できる)。ゼレンスキーが生き残れるかどうかは怪しい。EUも解体感が強まるが、国権や通貨の統合を解消して元に戻すのは困難だ。EUは再編して存続する可能性がある。
田中宇の国際ニュース解説
https://tanakanews.com/
やや突飛な感じがしないでもありませんが、これを単なる陰謀論として一蹴することができるでしょうか。私たちは、普段、イギリス国防省やアメリカのペンタゴンから発せられる“大本営発表”しか接してないので、こういった記事を目にするとトンデモ話のように受け取ってしまいます。しかし、たとえば、アメリカが唯一の超大国の座から転落して世界が多極化するという話も、最初はトンデモ話のように言われて、ネットで嘲笑されていたことを忘れてはならないでしょう。それどころか、政治の専門家やメディアも歯牙にもかけなかったのです。
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それは今も同じです。日本のメディアでは、ウクライナ戦争はロシアの敗北で終わるような話になっていますが、中国が言うように「核戦争に勝者はいない」のです。ホントに敗北するような事態になれば、ロシアはためらうことなく核を使用するでしょう。米英の“大本営発表”をただオウム返しに垂れ流すだけの日本のメディアには、勝者なき核戦争に対する認識がまったく欠落しているのです。それは驚くべきことだし、怖ろしいことです。
ウクライナ戦争に対しては、「核戦争には勝者はいない」という視点で考えるべきだし、そのために和平の働きかけが何より優先されるべきです。そんな当たり前のことさえ行われてないのです。そこにこの戦争の真の危機があるのだと思います。
先日、中国で「反スパイ法」が改正され、スパイの定義が拡大されたとして、日本のメディアでは、中国に駐在する日本人がアステラス製薬の社員と同じように狙い撃ちされるのではないか、というような話が盛んに流されています。これだけアメリカ主導で、今にも(2年以内に?)中国が台湾に侵攻するというような宣伝が行われ、周辺国が軍備増強を進めれば、中国が警戒心を強め国内の締め付けを強化するのは、ある意味で当然と言っていいでしょう。アメリカは、ロシアと同じように、中国が追い詰められて軍事的な行動を起こすように挑発している感じさえあるのです。
しかし一方で、現在のところ、どんな思惑があれ、「核戦争に勝者はいない」としてウクライナ戦争の停戦に乗り出しているのは中国だけです。欧米や日本は、民主主義が優位ですぐれた理念だと自画自賛し、中国やロシアを「権威主義国家」と呼んで敵対視していますが、しかし、戦争を煽り、核戦争の危機を招来しているのは、優位ですぐれた理念を掲げているはずの「民主主義国家」の方です。
欧米の「民主主義国家」は、”終末戦争”と言ってもいいような過激な玉砕戦を主張するゼレンスキーを節操もなく支援するだけです。どこの「民主主義国家」も、ゼレンスキーを説得しようとしないのです。まるで一緒になって”終末戦争”に突き進んでいる感じです。
ウクライナ戦争は対岸の火事などではなく、世界中が戦争の当事者でもあるのです。築地でウニを食べて浮かれているような観光客も当事者です。それが核の時代の日常なのです。
■核戦争を煽る岸田首相
岸田首相は、5月1日からグローバルサウスと呼ばれるアフリカのエジプト、ガーナ、ケニア、モザンビークへの歴訪を行っていますが、グローバルサウスというのは、欧米主導の世界秩序に異を唱える第三世界の国々のことです。しかし、いつの間にか第三世界ではなく「第三極」という言い方に変わっているのでした。
国連のロシア制裁決議においても、グローバルサウスの国々の大半は、反対もしくは棄権をして、欧米主導の決議案に反旗を翻したのでした。
岸田首相は、ウクライナ戦争の和平の道を探るために、そのカギを握るグローバルサウスを訪れたのかと思ったら、そうではなく、中国やロシアの影響力が増している彼の国々に対して、ともに反中国・反ロシアの列に加わるようにオルグするためだったのです。中国からの援助を「援助の罠」と呼び、それに対抗して数百億円というとてつもない金額の援助をチラつかせながら、「こっちの水は甘いぞ」と誘っているのでした。
1千万人を優に越える人々が年収130万円以下で生活しているような国内の貧困(格差)問題はそっちのけに、アメリカの手下になって花咲か爺さんのように大盤振る舞いを行っているのでした。
これでは、「核戦争に勝利はない」という考えなどどこ吹く風で、むしろ核戦争を煽っていると言っても言いすぎではないでしょう。まったく狂っているとしか思えませんが、しかし、それを指摘するメディアは皆無です。
一方、平和・護憲を謳い文句にしてきたいわゆる左派リベラルも、ウクライナがどんな国なのかという検証もなしに、ただ徒に侵攻したロシアを糾弾するだけで、バイデン政権の戦争政策に同伴しているのでした。そんな彼らを見るにつけ、戦後憲法が掲げる平和主義やその理念が如何に脆く、いい加減なものだったのかということを、あらためて痛感させられるのでした。彼らが掲げる”護憲”なるものは、現実の戦争に直面すると、単なる建前と化すような空疎なものでしかなかったのです。左派リベラルの”護憲”や”平和”の論理は、完全に破綻したと言っていいでしょう。口では翼賛体制に反対するようなことを言いながら、みずから進んで翼賛体制に加わっているのですから、戦前の社会大衆党と同じです。”鬼畜中ロ”においては、与党も野党も、右も左もないのです。まさに歴史は喜劇として再び繰り返しているのでした。