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(イラストAC)



■女性セブンの記事


今日、市川猿之助氏の自殺未遂のニュースが飛び込んできて、メディアはG7そっちのけで大騒ぎしています。

自宅の地下から遺書らしきメモも出てきたそうで、両親を道連れに無理心中したのでないか、と報じている一部メディアもありました。また、殺人か自殺幇助か自殺教唆のどれかで逮捕される可能性は高い、と伝えているメディアもありました。

市川猿之助氏に関しては、折しも昨日、『週刊女性セブン』がスクープと称してウェブサイトにアップした下記の記事が、自殺未遂と関連があるのではないかとして注目されています。今日は記事が掲載された『週刊女性セブン』の発売日でもあったのです。

NEWSポストセブン
【スクープ】市川猿之助が共演者やスタッフに“過剰な性的スキンシップ”のセクハラ・パワハラ「拒否した途端に外された」

この記事が事実であれば、文字通りジャニー喜多川氏の“二番煎じ”と言われても仕方ないと思います。記事はソフトな(というか曖昧な)表現で書かれていますが、内容自体は、ジャニー喜多川氏同様、歌舞伎の世界における絶対的な力を背景にした性加害とも言えるものです。

■歌舞伎とメディア


昔から芸能界にはゲイやバイセクシャルが多かったのですが、中でも歌舞伎の世界はその最たるものと言っていいのかもしれません。歌舞伎の語源の「かぶく」という言葉は、かたむく=ドロップアウトするというような意味があると言われ、歌舞伎者、つまり芸能の民は、元来は市民社会の埒外にいる(公序良俗からはみ出した)存在だったのです。

歌舞伎のはじまりはお寺の勧進興行だったと言われますが、寺社権力が衰退するのに伴い、寺の境内を追われた歌舞伎者たちは、当時不浄な場所と言われ、差別され一般社会から追われた人々が住んでいた河原で興行をはじめたのでした。そのため、河原乞食と呼ばれ蔑まされるようになったのです。

今の歌舞伎の伝統と言われるものがどこまで真正な(ホントの)伝統なのかわかりませんが、歌舞伎の世界は、その伝統を謳い文句に男尊女卑と同性愛が今もなお同居している、ガラパゴスのような世界を形成してきたのです。そんな世界を、着物で着飾ってお上品ぶっているおばさんたちが有難がって支えているのです。昔の河原乞食が、今では天皇制との絡みで国の宝みたいに遇されているのです。その大いなる誤魔化しと勘違いが、あのような梨園のバカ息子たちを次々と輩出する背景になっているのは間違いないでしょう。お上品なおばさんたちは、自分たちが上流階級だと勘違いしているのか、歌舞伎の世界に今なお残る”妾の文化”も芸の肥やしとして許容しているのですから、ある種のおぞましささえ覚えてなりません。

この21世紀のMeToo運動やLGBTQの時代に、芸能の民を”特別な存在”と見做すのは多分に無理があるのです。宮台真司氏のように、それを「加入儀礼」として捉える論理がトンチンカンに見えるのもむべなるかなという気がします。

しかし、市川猿之助氏のニュースでも、大半のメディアは奥歯にものがはさまったような言い方に終始しているのでした。夕方のニュース番組を観ていたら、スポーツ新聞の芸能担当記者が出ていて、歌舞伎の伝統と市川猿之助氏の人となりを語っていましたが、隔靴掻痒の感を禁じ得ませんでした。キャスターもゲストの記者も、肝心要なことは避けてどうでもいいような話でお茶を濁しているだけなのでした。

歌舞伎はたかだか松竹という民間会社の興行にすぎないのです。にもかかわらず、伝統を隠れ蓑にジャニーズ事務所と同じようなタブーが作られ、メディアは徹底的に管理され拝跪させられてきたのでした。

別の報道によれば、遺書は「知人」に宛てたもので、「愛している」とか「あの世で一緒になろう」と書かれていたそうです。私は、「おやじ涅槃で待つ」という某男優の遺書を思い出しました。

■LGBTQをどう考えるか


ゲイ自殺未遂の割合

これは、宝塚大学看護学部の日高庸晴教授らが2008年に実施した、街頭調査の資料の中に掲載されていた図を転載したものです(下記参照)。

「わが国における都会の若者の自殺未遂経験割合とその関連要因に関する研究―大阪の繁華街での街頭調査の結果からー」
https://www.health-issue.jp/suicide/index.html

この図を見ると一目瞭然ですが、同性愛者の男性の場合、異性愛者と比べて自殺未遂の割合が6倍近く高いことがわかります。しかも、それは、同じ異性愛者でも男性に限って見られる傾向なのでした。

ゲイで自殺する人間が多いというのは、昔からよく知られた話でした。それは、やはり、男らしくあれとか男のくせに女々しいとかいった、日本の社会に厳として存在するマッチョリズムによって生きづらさを人一倍抱える(抱えざるを得ない)からではないかと思うのです。あるいは、ジャニー喜多川氏のような犯罪と紙一重の”少年愛”などでは、罪の意識に苛められるということもあるのかもしれません。ゲイに詳しい人間は、ゲイは嫉妬深くて感情に走る人間が多いので、自分で自分をこじらせてしまうのではないかと言っていました。

織田信長と森蘭丸の話がよく知られていますが、武家社会では、男色は「衆道しゅどう」と呼ばれて半ば公然と存在したそうです。そのため、昔は男色に対して「寛容」であったという声もあります。でも、それは「寛容」と言うのとは違うような気がします。寺院の僧侶や武士など男社会の中で、女性の代用として若い男性のアヌスが利用されたという側面もあったのではないかと思うのです。つまり、「寛容」というより、それだけ動物的で放縦な時代であったということです。また、江戸時代には、歌舞伎者の周辺に「陰間かげま」と呼ばれる、女装して売春する少年までいたそうです。今で言う「ウリセン」です。

しかし、脱亜入欧のスローガンを掲げた近代国家の建設がはじまり、西欧文明が入ってくると、同性愛は”異常なもの”としてタブー視されるようになったのでした。ミッシェル・フーコーが言うように、キリスト教の道徳と市民法によって「倒錯」という概念が導入され、権力による性の管理が始まったのですが、日本でも近代化の過程でそういったキリスト教的な規範が輸入され、同性愛も私たちの視界から消えていったのでした。LGBTに対する理解増進を求めるLGBT法は、そんな日陰の身である性的指向を再び日向になたに連れ出すことになるのです。

LGBTQをどう考えるのか、どう共存して多様性のある社会を築いていくのか。私たちはその課題を突き付けられていると言えるでしょう。前も書きましたが、ドラマの「きのう何食べた?」のような浮薄なイメージや、リベラルであるならLGBT法に賛成しなければならないといった思考停止した中でLGBT法が成立するなら、仏作って魂入れずになるだけでしょう。

2019年に大阪市で行われた無作為抽出調査によれば、異性愛者は83.2%で異性愛者以外が16.8%だったそうです。経済界には、海外でビジネスを行う上で、性的マイノリティに対する国際基準を遵守する必要があるとしてLGBT法の早期成立を求める声があります。また、国内においても、LGBTQを新しい市場と捉えソロバン勘定する向きもあるようです。あのレインボーパレードに象徴されるような今のLGBTQが、換骨奪胎されて、強欲な資本の論理に取り込まれてしまう”危うさ”を持っていることもたしかでしょう。
2023.05.18 Thu l 芸能・スポーツ l top ▲