
(広末涼子サイトより)
■ジャニー喜多川氏の性加害問題との違い
テレビもネットも広末涼子の「W不倫」で一色に染まっている、と言っても言いすぎではないくらい大きな話題になっています。
ジャニーズ喜多川氏の性加害の問題では、今週の月曜日に、ジャニーズ事務所がヤメ検をトップに据えた「再発防止特別チーム」を設置しましたが、これはどう見ても、「死人に口なし」と「被害者の心理的負担に対する配慮」を御旗にした幕引きであるのはあきらかです。
また、旧統一教会の解散命令も、「質問権だけでは限界がある」という逃げ口上によって、うやむやのまま終わる公算が高いと言われています。文字通り大山鳴動して鼠一匹に終わろうとしているのです。
その一方で、広末涼子は、当人たちが「W不倫」を認めたということもあって、CMは削除され、テレビは降板し、映画は公開延期になって、あっという間に表舞台から姿を消したのでした。この違いには驚くほかありません。日本の社会では、性加害より「不倫」の方が罪が重いのか、と皮肉のひとつも言いたくなりました。
ジャニー喜多川氏の性加害の問題では、あれほど見て見ぬふりをしたきた芸能マスコミが、嬉々としてあることないこと報道しているのを見るつけ、おぞましささえ覚えてなりません。ホントにこいつらはゲスだなとつくづく思います。
私は、別に広末涼子のファンではなかったし、彼女が早稲田に入学したときは、むしろ反発さえ覚えたくらいです。卓球の愛ちゃんもそうですが、「自己推薦」とか「スポーツ推薦」とかに名を借りた特別枠の“入試”は、まったく正直者がバカを見るような、受験生を愚弄した話だと思いました。
知り合いの早稲田OBは、「どうしてヒロスエが入学できたんだ? だったらOBの子どもの推薦入学も認めろ」とわけのわからないことを言っていましたが、案の定、彼女たちは、何のために入学したのかわからないまま退学したのでした。
週刊文春には、広末涼子が書いた(と言われる)ラブレターや交換日記が掲載されていましたが、たかが「不倫」なのにそこまでやるかと思いました。「W不倫」を認めた謝罪文の中では、「3人のこどもたちには、膝をつき合わせ、直接『ごめんなさい』をしました。彼らは未熟な母親である私を、理解し認めてくれました」と書いていましたが、家の内と外で、これでもかと言わんばかりに晒し者にされている感じで、何だかせつない気持にならざるを得ませんでした。
■世間知らずのアイドルの人生
彼女は、中学生のときから芸能界に入り、まわりの大人たちにチヤホヤされて来たので、私たちが想像する以上に世間知らずであるのは間違いないでしょう。今までの結婚相手も含めて、「男を見る目がない」のも仕方ないのかもしれません。
もとより、芸能界の遊び人たちにとっても、そんな世間知らずの彼女は格好の餌食だったはずです。アイドルには似つかわしくない「奔放な男遍歴」と言われたのも、ホントはただ遊ばれただけではないのかと思います。二度の結婚はいづれも”できちゃった婚”で、脇の甘さを指摘する声がありますが、脇が甘いというのは、見方を変えれば男に甘いと解釈できないこともないのです。
彼女の周りにいたのは、金の成る木である彼女をおだてて利用しようとする貪欲な商売人か、人気アイドルをものにするために甘言を弄するジゴロみたいな人間たちばかりだったのではないか。
このSNSの時代に手書きのラブレターや交換日記を残したというのも、彼女の拙い人生が影を落としているように思えてなりません。何だか中学生か高校生で時計の針が止まったままの”恋する乙女”のようで、その時代遅れとも言えるような感覚が、稚拙な文章とともによけいせつない気持にさせるのでした。
■”ふしだらな女”の論理
それにしても、「不倫」だとどうしてこんなに叩かれるのか。それも女性の側が一方的に叩かれなければならないのか、と思います。そこにあるのは、このブログでも何度もくり返し書いているように、“ふしだらな女”の論理です。まして、母親であればよけいバッシングがエスカレートするのでした。
でも、広末涼子を叩いている世間の人間たちも、陰では「不倫」しているのです。あるいは、チャンスさえあれば「不倫」したいと思っているのです。結婚していようがいまいが、恋に胸を焦がしたり、あるいは胸を焦がしたいという気持は誰だってあるでしょう。「不倫」を叩く心理には、間違いなく妬みや嫉みがあるように思います。
広末涼子は、もう42歳だそうですが、最近やっとアイドルの呪縛から解き放たれ、再ブレークしたと言ってもいいくらいメディアに露出していました。出演しているドラマや映画のリストを見ても、引っ張りだこだったことがわかりますが、それらも「不倫」のためにすべてなかったことにされるのでしょうか。これだけ高く評価されている女優が、たかが「不倫」ごときで葬られていいのか、と言いたいのです。
ドラマや映画の中では、「不倫」を演じることも当然あるでしょう。しかし、実生活で「不倫」を演じると、女優としての人生が終わることにもなりかねないのです。なんともバカバカしい話ですが、こんなバカバカしいことをいつまで続けるのだろうと思います。
広末涼子のラブレターや交換日記が流出したことについては、上原多香子のケースを思い出しました。上原多香子のときも書きましたが、晒し者にするためにラブレターや交換日記を流出させた人間こそ一番の悪です。私たちが叩かなければならないのは、善意ズラしたその悪のはずなのです。
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