
(イラストAC)
■「性自認」を避けたい思惑
性的マイノリティに対する理解を増進するための「LGBT理解増進法」が、昨日(16日)参議院本会議で可決、成立しました。
今回成立した「LGBT理解増進法」について、当事者たちは、これはマイノリティではなくマジョリティのための法律で、むしろ差別を助長するものだと批判しています。メディアの論調も概ね、彼らの批判に沿ったものになっているようです。
「LGBT理解増進法」には、自民案、維新・国民民主案、立民・共産案の三つの案がありました。
下記は、三案を比較した図です。

(毎日新聞より)
これを見てもわかるように、大きな違いは「基本理念の表記」と「性自認の表記」です。ただ、「性自認の表記」に関しては、「性自認」も「性同一性」も英語に訳すと「ジェンダーアイデンティティ」になるので、英語では同じことです。にも関わらず、あえて「性同一性」や「ジェンダーアイデンティティ」という言葉に拘ったのは、「性自認」という言葉を使いたくないからでしょう。つまり、自分が女だと思ったら女で、男だと思ったら男で、どっちでもないと思ったらどっちでもないという、「性自認」が認知されるのを避けたいという思惑が透けて見えるのでした。
■日本の伝統的な家族形態はとっくに破産
一方で、LGBTQそのものに対して、天皇制に連なる日本の伝統的な家族形態=家族観を壊すものだとする、右派からの反対もありましたが、そういったカルト的な「愛国」思想がとっくに破産しているのは誰が見てもあきらかです。むしろ、家族が個に解体されてバラバラになっていることは、私たちが一番よくわかっているはずです。
それは教育や道徳の問題なんかではありません。何度も言いますが、資本主義の発展段階において必然的に変容が迫られる「文化」の問題です。家父長制的大家族から核家族になり、核家族から個の時代になっていくのは、産業構造の変化やそれに対応した労働の変化によってもたらされる新しい「文化」=生き方に他ならないのです。未婚者やディンクスなどが増えているのも、”時代の変化”としか言いようのない「文化」=生き方であって、「異次元の少子化対策」などでどうなるものでもないのです。
話が逸れますが、年間3兆円の税金を投じるなら、「少子化対策」ではなく貧困対策に使うべきでしょう。児童手当なども含めた子ども向けの施策も、貧困対策として講じるべきでしょう。そもそも、アナクロな伝統的家族の形態や、広末涼子のスキャンダルに見られるように未だ「不倫」などという言葉が流通して、”良い母親”像みたいなものを一方的に押し付けられるような社会で、「少子化対策」もないだろうと思います。
マイナンバーをめぐるトラブルも然りで、家族単位で発行される健康保険証と、個人単位のマイナンバーカードとは根本的に仕組みが違うわけで、それを統合するのに無理があるのは少しでも考えればわかるはずです。伝統的家族の形態を守りながら、マイナンバーカードを発行するというのは、発想そのものに矛盾があるのです。それを入力ミスや設定ミスといった、いわゆる人為的ミスのせいであるかのように言うのは、問題を矮小化するものでしかありません。
■LGBT理解増進法(案)の問題点
「LGBT理解増進法」の問題点については、上野千鶴子氏が理事長を務める「NPO法人 ウィメンズ アクション ネットワーク(WAN)」のサイトに法案の成立前に書かれた、奈良女子大学名誉教授の三成美保氏の下記の文章が非常にわかりやすくまとめられていました。
WAN
LGBT理解増進法案の問題点
三成氏は、まず、超党派合意案にあった「学校設置者の努力」という独立条項がなくなり、与党案・維国案・4党合意案では「事業者等の努力」条項に統合されたことに大きな”後退”があると言います。これにより、「LGBT児童生徒の自殺念慮」がきわめて高い現実に対して、学校現場の対策が「停滞」することが懸念されると言うのでした。子どもがみずからの性に対して同一性を持つことができず、悩んだ末に死にたいと思うような事態を見逃すことになると言うのは、そのとおりかもしれません。
さらに与党案・維国案・4党合意案(「LGBT理解増進法」)は、理解増進に対して”足枷”とも言うべき文言や「留意事項」が付け加えられたと言います。
第二は、超党派合意案にはなかった「保護者の理解と協力を得て行う心身の発達に応じた教育」(維国案)という文言が「家庭及び地域住民その他の関係者の協力を得つつ教育」(4党合意案)に修正されて追加されたことである。(略)4党合意案は、「保護者の理解」を「家庭」に置き換え、さらに「地域住民」を加えた。これにより、親や地域集団が批判的な声をあげると学校でのLGBT理解増進教育が阻害される恐れが高まる。
今回の修正案でなによりも懸念されるのは、「すべての国民が安心して生活できるよう留意する」(維国案・4党合意案)という留意条項である。これは、LGBTの人びとが他の国民の安全を脅かす存在であるとのメッセージになる。加えて、4党合意案では、「この場合において、政府は、その運用に必要な指針を策定する」とまで規定された。いったい誰のための指針なのか。理解増進法はマイノリティたるLGBTのための法である。留意事項を入れると、意味が180度異なってしまう。
たしかに、「LGBT理解増進法」が、「すべての国民」や「家庭」や「地域住民」といった、今まで性的少数者を差別していたマジョリティに配慮することに重心を置いた法律に変わった、と言うのはその通りかもしれません。
そこに、「性自認」という言葉を避けたいという思惑や、「不当な差別」という表記にこだわった理由があるように思います。ただの差別ではなく、「不当な差別」と表記することで、法文解釈では不当ではない「合理的な区別」が対置されることになるからです。つまり、差別ではない「合理的な区別」もあり得るという、論理的な余地を残すことになったのです。
どうしてこのように”後退”したのかと言えば、その背景に、トイレや浴場やスポーツの現場で、今後トランス女性の存在を認めなければならないという、人々の「懸念」や「不安」があるからだと言われています。言うなれば、「LGBT理解増進法」の”後退”は、「俗情との結託」に他ならないのです。
三保氏は、この「懸念」や「不安」について、次のように書いていました。
「トイレ・浴場・スポーツ」という「女性専用/女性限定」の場面に、男性としての経験や男性としての身体的要素をもつトランス女性が侵入することは女性の安全や権利を脅かすという議論は、一見わかりやすい。しかし、この議論はあまりに乱暴であり、現実的でもない。トイレ・浴場・スポーツでは条件が異なるため、同一レベルで論じるべきではなく、トイレについても不特定多数が使う公衆トイレと職場学校などの顔見知りが使うトイレとでは利用者の状況が異なる。そもそも男性がトランス女性であると偽った上で女性トイレなどに侵入することは犯罪であり、侵入者個人の責任が問われるべきである。トランス女性一般を性暴力と結びつける言説は、トランス女性の尊厳をも脅かす。
トイレや浴場などの設備は改修し、目的に応じて利用ルールを定めることによって想定されるトラブルを十分に防ぐことができる。スポーツについても、男女という区別を超えて、体格やホルモン値、筋量などの指標による新たな区分を設けて競い合うこともできるだろう(略)。
スポーツを「男女という区別を超えて、体格やホルモン値、筋量などの指標による新たな区分を設けて競い合うこともできる」というのは、驚くべき論理ですが、「性の多様性」がそういう発想に行き着かざるを得ないというのもたしかでしょう。
■トランス女性と「女性の安全」の問題
トランス女性の問題については、当然と言うべきか、一部のフェミニストたちから、もともとトイレが性犯罪が起きやすい危険な場所だったことから、男女の区別がないトイレが増えたり、トランス女性が女性用トイレにフリーで入ることが認められれば、さらに性犯罪の危険が増すことになりかねないとして、見直しを求める声が上がったのでした。彼女たちは、それを「女性スペースを守る」というような言い方をしていました。また、そんなフェミニストに同調したのかどうかわかりませんが、やはり一部の左派の間でも、トイレの共有には「懸念」の声が上がっていました。
「懸念」する側の“論客”の一人と言ってもいい、武蔵大学社会学部教授の千田有紀氏は、Yahoo!ニュースの「個人」のコーナーで、LGBT法の問題について以下のような文章を書いていました。私もすべて読みましたが、「LGBT理解増進法」への流れを知る上で非常に参考になりました。
尚、千田有紀氏は、その言説ゆえにLGBTQの当事者団体やフェミニズムの団体から裏切り者扱いされて、誹謗中傷の攻撃を受けているみたいです。そのためもあってか、16日にWANの理事を辞任したことをあきらかにしていました。
自分たちの意に沿わない主張に対して、被害者や少数派の名を借りて、近親憎悪のような攻撃を仕掛けて来るのは今にはじまったことではありませんが、そうやって自由な言論を封殺する”もうひとつの全体主義”がここでも顔を覗かせているような気がしてなりません。まったく唾棄すべき光景と言うべきでしょう。
Yahoo!ニュース個人
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千田氏は、LGBT法で大事なのは、「女性の安全」である、そうでなければならないと言います。
LGBT法案に反対しているのは、「統一教会の人たち」「家族の価値を保持したい人たち」「男女の2分法を維持したい、反フェミニスト」なのだという報道を聞くと、これほど大騒ぎになっているのに、争点自体がわかってないように感じる。もちろん、そういう側面はあるだろう。この法案に反対する自民の「保守派」は、確かにそういう人たちであろう。しかし報道されないできたが、でてくる反対の論拠は、そういったものよりもむしろ「女性の安全」に軸足がある。
(LGBT法案、自民党が失望させた「保守派」と「女性たち」)
千田氏は、女性は数の上ではマジョリティだけど、社会的にはマイノリティな存在だと書いていましたが、まったくその通りで、例えば、痴漢などはこの社会における女性の存在をよく表した性犯罪だと言えるでしょう。
「性自認」というのは、社会的にはきわめて曖昧なもの(わかりにくいもの)です。そういった曖昧さ(わかりにくさ)を盾にした性犯罪から、どうやって「女性の安全」を守るのかということを、もっと真面目に考える必要があるでしょう。
そのあたりのことを千田氏は、次のように書いていました。
トイレがそもそも危険な場所であることは、一定の社会的合意があると思われます。そしてトイレの安全は、いまの制度では「男女」に空間をわけることによって、担保されています。しかしそのような制度設計と、自分の「性自認」に基づいてトイレを使用したいと考えるトランスジェンダーのひとの思いと、ほんのごく一部の、なんとかして女子トイレに入りたいと考える潜在的性加害者の存在とが、ハレーションをおこしてしまっています。このような状況下で、「女性が安全にトイレを使いたい」という、それ自体は当たり前の願いが、「トランス差別」と解釈されてしまいかねないという、複雑な状況がでています。
というのもよく誤解されているように、トランスジェンダーという概念は、性同一性障害(性別違和、性別不合、トランスセクシュアル)のひとだけを指すのではないからです。異性の服装をするひとから、ときには社会から押し付けられる性役割に違和感をもつひとまでを含み込む、ひろい概念です。そして「性自認を尊重する」という行為は、他人の内心の「性別」を受け入れることです。ですからどんな場合にでも、「あなたはトランスジェンダーの振りをしているのではないか」などと他人にいうことは、差別となってしまう可能性があります。他人の心をのぞき込むことは、できないからです。なので、(本当に)トランスした性自認をもつひとと、トランスジェンダーの振りをして女性のトイレに入ろうとする不届き者とを、判別することが難しくなってしまうことがあるのです。
(LGBTと女性の人権 加賀ななえ議員がホッとしたわけ)
三重県の津市で、女装して女風呂に入った男性が、建造物侵入の疑いで警察に逮捕された際、男性が「私は女だ」と容疑を否認するという事件がありましたが、そこには「性自認」の”危うさ”が示されているように思いました。
性加害が目的で女性の恰好をして女性用のトイレに入るような「不届き者」とLBGTQは直接には関係ない。そんな「不届き者」はいつでもどこでもいるのだから、警察がしっかり取り締まればいい。そんな一部の「不届き者」の問題を取り上げてLGBT理解増進に水を差すのは、木を見て森を見ない反動的な言いがかりだという推進派の声がありますが、ホントにそんな話で済ませていいのだろうかと思います。
■ジャニー喜多川氏の問題と同性愛者
私も若い頃、映画館で隣に座った男性から突然股間を触られたり、渋谷の路地裏ですれ違いざまに男性から股間を握られた経験がありますが、ジャニー喜多川氏のように、性の問題には常に犯罪や犯罪まがいのことが付き纏うということも忘れてはならないのです。それは「女性の安全」だけではありません。ジャニー喜多川氏のような”少年愛”は、グルーミング自体に快楽を見出すというような倒錯したものでもあるのです。それが同性愛の世界で、一つの性的嗜好として存在しているのです。しかも、前も書きましたが、同性愛者たちは、ジャニー喜多川氏の問題について、みんな沈黙しているのでした。文字通り見て見ぬふりしているのです。そういった現実も見過ごしてはならないでしょう。