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■痛ましいという言葉しか見つからない


ryuchell の自殺のニュースを聞いたとき、男性の同性愛者は、異性愛者と比べて自殺未遂の割合が6倍近く高いという統計を思い出しました。ゲイとトランスジェンダーを一緒くたにするのは批判があるとは思いますが、SNSの誹謗中傷も含めて、ryuchell は私たちが想像する以上に生きづらさを抱えていたのでしょう。

ryuchell の生きづらさを考える上で、下記のカルーセル麻紀の言葉が参考になるように思いました。

集英社オンライン
〈ryuchellさんを偲んで〉カルーセル麻紀、自らも苦しんだホルモンバランスの崩れと誹謗中傷「昔は見世物、コンプライアンスはあったもんじゃなかった」「男が女に生まれ変わるには想像を超える痛みと苦しみが待ってるのよ」

ryuchell もまた、森鴎外と同じように、「夜中、忽然として座す。無言にして空しく涕洟」していたのかもしれません。

年を取ると、世の中から邪魔扱いをされているような気がして、いっそう孤立感を抱くようになりますが、27歳という若さで家庭を持ち子どもさえいながら、それでも生きづらさを抱えて自死を選ばざるを得ないというのは、痛ましいという言葉しか見つかりません。

それにしても、この所詮は他人事、、、、、、の大合唱は何なんだと思います。ネットの時代になり、有名人の悲劇について、一般の人々がSNSを使ってさまざまな(勝手な)意見や感想を公開するようになったのですが、しかし、それは所詮は他人事、、、、、、が公けになりさらに輪を広げて拡散すること以上の意味はないのです。ありていに言えば、有名人の宿命とは言え、単に晒し者にされているだけです。

もうひとつ、SNSなどで誹謗中傷した人間たちがやり玉に上がっていますが、そういった「バカと暇人」を煽った者たちがいるということも忘れてはならないでしょう。

コメント欄を使ってバズらせ、ニュースをマネタイズすることしか考えてないYahoo!ニュースのようなネットメディア。自社サイトへ誘導するために、コタツ記事で過剰に劣情を煽る週刊誌やスポーツ新聞などのオワコンメディア。末端の実行犯ばかりが叩かれていますが、彼らこそが指示役なのです。そんな彼らは、今になって口を拭いきれいごとを並べているのでした。

■濃褐色の血尿


昨日の朝、起きてトイレに行ったら、白い便器の中に濃褐色の尿が流れ出ました。今までも何度も経験していますが、やはり少なからずショックを受けました。

夜中には右足が攣って目が覚めたのでした。いつもだとふくらはぎが攣ることが多いのですが、今回は関節の裏あたりが攣って足を動かすこともできないほどでした。何とか片足でベットから起き上がり、痛み止めを飲んで再び寝たのでした。

そして、朝の濃褐色の血尿です。夜はエアコンを点けずに、窓を開け放して扇風機をかけて寝たのですが、そのためか全身は汗びっしょりで、トイレから戻っても汗が止まりませんでした。しかも、右脇腹が痛く、冷や汗さえ出るようになったのでした。

再びベットに横になったものの、右脇腹の痛みが増し身もだえするようになっていました。私は、何の根拠もなく、これはもしかしたら熱中症かもしれない、と思いました。山で熱中症になり、夢遊病者のようにフラフラになって、やっとの思いで下りてきたという話をこのブログでも書いていますが、吐き気はなかったものの、汗が止まらないのは似ているような気がしたのです。

でも、あとで冷静になって考えれば、熱中症で脇腹が痛くなるはずはないのです。

とりあえず、もう一度痛み止めの薬を飲み、同時に経口補水液を水に溶かして、それを飲みました。そして、浴槽にお湯を入れて風呂に入ったのでした。前に尿管結石になったとき、風呂に入ったら痛みが和らぐことを学習していたからです。

このように、私の中では熱中症と尿管結石がごっちゃになり、支離滅裂なことをしていたのでした。

風呂に浸かると、睡眠不足ということもあってか、睡魔に襲われ、いつの間にか湯舟の中で眠ってしまいました。1時間くらい眠って目が覚めたのですが、脇腹の痛みもかなり収まっていました。

風呂から上がると、ネットを観る余裕も出ていました。それで、椅子に座ってネットをチェックしていたら、いつの間にか脇腹の痛みが消えていたことに気付いたのでした。

痛みも取れ、やっと落ち着いたら、今年の初め、かかりつけの病院で、尿検査をしたら血が混じっている、と指摘されたことを思い出したのでした。その半月前に、今回と同じように濃褐色の血尿が出て、そのあと茶こしで尿を確認していたら石がポロリと出たことがあり、私は、体内の石が全て排出され、これで暫くは尿管結石から解放されると勝手に思っていたのですが、そうではなかったのです。しかし、何故か、昨日の朝は病院で指摘されたことをすっかり忘れ、熱中症かもしれないなどと思って、支離滅裂なひとり芝居を演じたのでした。

最近はこのように冷静さを失って勘違いすることも多くなっています。私はもともとネガティブな人間で、ものごとを悪い方に解釈する傾向がありますが、それは対人関係においても同じです。人当たりはすごくよくて愛想もいいので、誰も私が”人間嫌い”だと露ほども思ってないと思いますが、しかし、心の中はまったく逆なのです。いつも疑心暗鬼にとらわれ、他人を信用することはありません。そして、年を取れば取るほど、その傾向が強くなっているのでした。

■身体は文化を内蔵する


それにしても、人間というのは現金なもので、肉体的な不調や痛みがあると、何とかしてその不調や痛みから逃れたいという気持ばかりが強くなり、悩みなどはどっかに行ってしまうのでした。

山に登っていると、よけいなものが削ぎ取られて考えることがシンプルになると言いますが、〈身体的〉というのはそういうことでしょう。

「健全なる精神は健全なる身体に宿る」というのは、極めて不適切で反動的な言葉ですが、ただ、精神と身体が不可分の関係にあるという意味においては、私たちの身体の本質を衝いているとも言えるのです。

「身体は文化を内蔵する」と言ったのは、身体論で有名な哲学者の市川浩ですが、ryuchell の生きづらさもそこから来ていたのではないかと思ったりもするのでした。文字通り身を裂かれるような気持だったのかもしれません。私たちの身体からだは、頭で割り切ればいいというような、そんな簡単なものではないのです。
2023.07.15 Sat l 訃報・死 l top ▲