
■アマゾンの文化
今日、アマゾンがプライム会員の会費を値上げするというニュースがありましたが、折しも私は、今日、アマゾンから荷物が届かないトラブルに遭遇したばかりです。会費値上げのニュースを見て、その前にすることがあるだろうと思いました。
今日、アマゾンから注文した商品が二回に分けて送られてくるはずでした。私は、アマゾンの「配送指示」には、宅配ボックスに入れて貰うように設定してます。「置き配」でもいいのですが、それでは不安なので、宅配ボックスを指定しているのでした。
今日の二回の配達予定は、それぞれ別の配送業者でした。午前中の便はネコのマークの配送業者で、用事があって出かける際には既に宅配ボックスに商品が入っていました。もう一つの商品は、「Amazon」の配送業者が配達するようになっていました。時間指定はしてないので、いつでも都合のいいときに宅配ボックスに入れておいてくれるはずでした。
アマゾンの場合、配達日になると、「配達中です」というメールが届きますが、その際も私は念の為に宅配ボックスを指定しています。私は、”予備がないと不安症候群”なので(ホントはただの取り越し苦労性ですが)、そういったことには非常に律儀でマメなところがあるのでした。
ところが、夕方、帰宅しても、宅配ボックスは空でした。おかしいなと思っていたら、留守電に着歴が残っているのに気付きました。着歴に残っていた電話番号をネットで検索するとアマゾンからでした。それで、電話すると、「サイトの配達状況をご確認ください」という固定メッセージが流れてきました。
サイトの「配達状況を確認」を見ると、「配達を試みましたが配達できませんでした」と書かれていました。今までは問題なく配達されていたのに、今回に限って何が原因で配達できなかったのか知りたいと思い、アマゾンのカスタマーセンターに連絡しました。
しかし、アマゾンの場合、このカスタマーセンターが曲者なのです。チャットで問い合わせるようになっているのですが、相手はあまり優秀とは言えないAIが搭載されたチャットボットです。「どうして配達できなかったのか、理由を知りたい」というような、個別の質問の回答は用意されてないのでした。「よくある質問」のような通りいっぺんの回答があるだけです。挙句の果てには、二言目には「解決しましたか?」としつこく問いかけて来るのでした。
でも、配達できなかった理由がはっきりしないと、明日も同じことをくり返すかもしれません。こんな非生産的な問答を繰り返しても、何の解決にもなりません。まったくバカバカしくて付き合ってられないという感じでした。
メディアは、プライムの会費の値上げに関して、アメリカやヨーロッパに比べて日本は格安だとか、日本の会費が安いのは日本の配送料が安く、その分配送業者が犠牲になっているからだなどと言って、わりと”好意的”に伝えていますが、私が言いたいのはそれ以前の問題です。
カスタマーセンターにしても、送料が安いからいいだろうみたいな感じで、おざなりになっているような気がしてなりません。そこに見えるのは、アマゾンらしい徹底した合理化の考え方だけです。その先にあるのは、単なる事なかれ主義です。でも、それは、自分たちの手間を省くために、顧客に面倒な手間を強いていることになっているのです。
そもそもトラブルが生じても、サイト内でカスタマーセンターを探すことから苦労しなければなりません。さらに、チャットボットが相手のカスタマーセンターから人間相手のオペレーターに辿り着いて、ただのアルバイトでしかない(しかも外国人?の)オペレーターと頓珍漢なチャットでやり取りしながら、トラブルの内容を根気よく伝えなければならないのです。そうやって初めて"保障"などの問題に入ることができるのです。何だか途中で挫折して泣き寝入りするのを狙っているような感じさえするのでした。
要するに、「荷物が届かないのはどうしてですか?」というように律義に考える日本人の文化とアマゾンの文化は、まったく別個のものだということです。届かなければ即キャンセルして再注文というのがアマゾンとの正しい付き合い方のように思います。そこには、合理化や省力化とは真逆な壮大なる無駄があるように思いますが、それがアマゾンの文化・思想なのでしょう。
■日大の体質
もっとも、こういった事なかれ主義は、アマゾンに限った話ではありません。
たとえば、再びアメフト部の”違法薬物問題”が取り沙汰されている日大も然りです。林真理子理事長の他人事のようなもの言いに呆れたのは私だけではないでしょう。あたらめて作家が如何に裸の王様なのかということを痛感させられた気がします。
これも前に書いたと思いますが、作家こそ世情に通じていなければならないのに、現実はまったく逆で、今や作家センセイは世間知らずの代名詞のようになっているのでした。文字通り「先生と言われるほどの馬鹿でなし」のような愚鈍な存在になっているのです。
林真理子の当事者能力を欠いた寝ぼけたような発言に対して、週刊文春を筆頭に週刊誌が腰が引けているように見えるのは、文壇タブーがあるからでしょう。もとより日大が彼女を担いだのも、メディア対策として文壇タブーを利用しようという思惑があったのかもしれません。文字通り、林真理子はただのお飾りでしかなかったのです。
今回の問題で隠蔽工作と言われても仕方ないような不可解な対応を主導したのは、競技スポーツ部担当の澤田康広副学長ですが、彼は日大OBの元検事、つまり“ヤメ検”です。そう考えれば、記者会見でのあの横柄な態度も納得できる気がします。
今回の問題の背景にあるのも、下記の記事で書いたように、55年前の日大闘争で提起された日大の体質です。その体質は何も変わってないのです。日本会議ではないですが、“持続する志”のもとに集まった勢力が日大を牛耳っている限り、何があっても日大が変わることはないのです。その根本を問うことなしには、結局元の木阿弥になるだけでしょう
案の定、理事長らの記者会見からわずか2日後の今日、大学当局は、アメフト部の活動停止処分を解除するという茶番を演じているのでした。
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