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JR青梅線・鳩ノ巣駅



■非常識な電話


先日、病院に勤める知人に会った際、正月休みの当直勤務のときにかかってきたという電話の話をしていました。ちなみに、彼も山登りが趣味で、私など足元にも及ばないような上級者です。

彼が勤める病院の整形外科には、一部の登山関係者の間で名前を知られているドクターがいるのだそうです。

深夜、そのドクター宛に電話がかかってきたのだとか。

「△△先生いますか?」
「今夜は勤務していません」
「じゃあ、明日は出て来ますか?」
「いえ、○日まで休みです」
「じゃあ、今すぐ連絡を取って貰えませんかね」
「それはできません」
「どうしてできないんだ?」
「個人的な電話は取り継げないことになっています」
「個人的な電話ではないんだよ。山に行って凍傷にかかったんだよ。だから診て貰いたいんだよ」
「だったら、予約して休み明けの診察日に来て頂けますか?」
「それでは遅いんだよ」
「それでしたら、最寄りの当番医か救急病院を受診されたらどうですか?」
「だから△△先生に診て貰いたいと言ってるだろ」
「でも、申し訳ありませんが、○日まで休診なので診察は無理としか申し上げようがありません」
「俺の凍傷がどうなってもいいと言うのか」
「そうは言っていません。休み期間中でも受診できる病院がありますので、そちらで受診して頂けるように申し上げているだけです」
「そんなことわかってるよ。だったらこんな電話しないよ。お前、名前は何と言うんだ? こんな電話対応があるか! まったく話にならんじゃないか!」

声の感じではかなり年を取った感じだったそうです。いろんな場面で登山者のマナーがやり玉に上がることがありますが、その背景の一端を見た気がします。彼は、同じハイカーとして「情けない」と言っていました。

何度も言いますが、山ですれ違う際、「こんにちわ」と挨拶するので、みんないい人に見えるのですが(ハイカー性善説)、実際は山の上も下界の延長にすぎないのです。噓つきは山の名物と言えるくらい吐いて捨てるほどいるし、泥棒や痴漢もいます。山小屋で強姦殺人が起きたこともあるし、避難小屋を根城にした強盗が出没したこともあります。駐車やトイレやゴミのマナーが問題になることがありますが、そんなものは朝飯前と言えるでしょう。

■”弾丸登山”と富士登山競争


でも、それは、登山者だけではないのです。山岳団体や山小屋や地元自治体なども似たようなものです。

前にハセツネカップとそれを主催する都岳連の問題を取り上げましたが、たとえば、今批判の的になっている富士山の“弾丸登山”にしても、「お前が言うか」と言いたくなるような現実があるのでした。

”弾丸登山”が無謀で危険な登山であることは論を俟ちませんが、その一方で、富士吉田市は、「過酷に挑む価値がある」と銘打って、富士登山競争(フジマラソンレース)を主催しているのでした。今年も7月28日に開催されたようですが、富士吉田スポーツ協会、毎日新聞社、山梨日日新聞社、山梨放送、富士吉田市教育委員会が共催し、山梨県、(株)テレビ山梨、(株)CATV富士五湖、富士吉田市外二ケ村恩賜県有財産保護組合、富士山吉田口旅館組合、(一財)ふじよしだ観光振興サービスが後援する、官民あげての一大イベントなのです。これこそ”弾丸登山”の最たるものと言えるでしょう。

トレランは、「山を愛でる」などという精神とは真逆な、ただゴールを目指してタイムを競うゲームにすぎません。しかも、一度に何百何千の選手が駆け抜けて行くので、踏圧による登山道の剥離や崩落、それに伴う植生への影響などの問題も指摘されています。そのくせ、大会の趣旨には必ず「自然保護」が謳われているのですから、その二枚舌には呆れるばかりです。富士山に関係する団体や自治体が、個人ハイカーの”弾丸登山”に懸念を示すのは、文字通り天に唾するものなのです。個人の”弾丸登山”は金にならないが、富士登山競争は金になるからいいんだ、という声が聞こえて来るようです。

それは、俗情と結託して遭難は迷惑だみたいな言い方をする一方で、登山ユーチューバーに媚を売って、ニワカ登山者の安易な登山に阿る、地元自治体や観光協会や山小屋の夜郎自大な建前と本音も同じです。

■登山とは無縁な友人の弁


とは言え、つらつら考えてみれば、私たちのような下々のハイカーも五十歩百歩で、山に登ること自体が非常識と言えなくもないのです。トレランだけでなく、私たちだって登山道を踏み固めることで、地質の透水性や保水性の低下を招いているのです。丹沢の山などで指摘されているオーバーユースの問題とトレランがどう違うのかと言われれば、返す言葉がありません。非常識なことをしながら、一方で「自然保護」を口にするのは偽善ではないかと言われれば、首をうなだれるしかないのです。

登山とはまったく無縁な友人が、「登山する人間があんなに山小屋を有難がるのかわからない。山小屋だって商売なんだろ。中にはお客さんに説教したり、夕食のときに講釈を垂れたりするオヤジがいるそうじゃないか。どうしてわざわざ金を払ってそんなものに有難がるんだ? 」と言っていました。

「ただ山小屋は、緊急時の避難所としての役割もある。そのため、無謀な登山者に対して、ときに説教めいたことを言うことはあるだろう。それに、登山道の整備なども手弁当どころか、むしろ費用を持ち出しでやっている。単なる宿泊施設とは言えないんだよ」
「でも、その代わり国立公園内で商売する既得権を得ているわけだろ。登山道の整備だって、お客さんが訪れる道を整備するのは客商売として当たり前とも言える。そんなに有り難がる話か?」
「しかし、登山道が荒れたり、山小屋がなくなったりすると、行くのが困難になる山もある」
「困難になってもいいじゃないか。山は登山者が登るためにあるんじゃない.。そういう考え方が傲慢なんだよ。むしろ自然保護の観点から言っても、登山者が入らなくなることはいいことかもしれない。山小屋や登山道だって自然破壊のひとつだと言える」

私は、友人の辛辣な言葉に反論しながらも、山小屋には客を客とも思ってないような横柄なスタッフがいることもたしかなので、友人が言っていることも一理あるかもと思いました。それに、(同じことのくり返しになりますが)非常識で無謀な登山者を生み出す一因になっている(と言っていい)登山ユーチューバーに対して、宣伝のためなのか、普段はいかめしい山小屋のオヤジが相好を崩して阿っているのもめずらしいことではありません。西穂高の山小屋のように、建物内の撮影はいっさい禁止、ユーチューバーには協力しないという山小屋は稀なのです。

一方で、友人は、富士山の登山鉄道の構想には賛成だと言うのです。ヨーロッパのように、日本でも山岳観光はもっと広がるべきだし、そのために登山鉄道も敷設すべきだと言うのでした。

自然に対してはフレキシブルに考えるべきで、「山は一部の登山者のものではなく、体力のない年寄りや子どもや身障者も山に親しめるようにするべきだ。その一方で、人が入ることができない(入ることが困難な)山もあっていい。それも山本来の姿だ」と言うのでした。

■趣味としての登山の行く末


ある山小屋は、コロナ前まで素泊まりで7千円だったのに、コロナ後に行ったら1万2千円に値上がりしていたそうです。その大幅な値上げには、昨今の物価高&コスト高だけでなく、山小屋が置かれている苦境が示されているように思えてなりません。山小屋にはもはや登山道整備の費用を持ち出す余力などなく、入山料などのシステムを導入して、登山者が応分に負担すべきだという意見が出ているのも当然でしょう。

もちろん、.環境庁や地元自治体が登山道の整備費用に1銭も出してないわけではありません。でも、それは微々たるものです。

登山道の整備に税金が投入しづらいのは、現状ではまだ世論が充分納得しているとは言い難いからだ、という官庁の担当者の話をこのブログでも紹介したことがありますが、しかし、税金投入に対して、国民が納得することは永遠にないでしょう。

警察庁によれば、2022年の山岳遭難は3015件で、死者と行方不明者は327人、負傷者は1306人だそうです。こんな無謀で危険な趣味に税金を使うなど、国民の理解が得られるはずがありません。

しかも、富士山の混雑ぶりを見て登山ブームだとトンチンカンなことを言っている人たちもいますが、今の登山者のボリュームゾーンは70代なので、早晩、登山者が激減するのは目に見えているのです。そうなれば、宿泊料金のさらなる値上げや整備費用のさらなる負担も避けられないでしょうし、趣味としての登山がどれだけ成り立つかという問題も出てくるでしょう。

あの芥川龍之介は、1909年、東京府立第三中学校(現在の都立両国高等学校)5年のときに、友人らと一緒に上高地から槍沢に入り槍ヶ岳に登っているのですが(のちの「河童」は、そのときに立ち寄った上高地の河童橋をヒントにしたと言われています)、登山が再び高等遊民の趣味に戻ることだってあり得るでしょう。

登山者や登山の関連団体が、いつまでも”特権"を享受し、非常識にあぐらをかいていられるわけがないのです。


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2023.08.19 Sat l l top ▲