
■朝日の不作為
これは、2019年7月16日に発売された『週刊朝日』(7月26日号)の表紙です。
言うまでもなく、ジャニー喜多川氏が亡くなったときの特集号です。表紙にコラージュされているのは、過去にジャニーズ事務所のタレントたちが表紙を飾った『週刊朝日』です。今になれば悪い夢でも見ているような表紙ですが、『週刊朝日』はこれほどまでにジャニーズ事務所とベッタリだったのです。
もちろん、この私でさえ知っていたくらいですから、1988年に北公次が書いた『光GENJIへ』という本や、1999年10月から14週にわたって繰り広げられた『週刊文春』のキャンペーンや、2002年5月に東京高裁でジャニー喜多川氏の「淫行行為」は「事実」だと認定されたことや、それを追うように『噂の真相』が次々と掲載したジャニーズ事務所のスキャンダルの記事を、朝日新聞の優秀な記者であった編集長が知らなかったはずがないのです。
この追悼号の編集長は、2013年頃には旧統一教会に関する鈴木エイト氏の記事を掲載するなど、如何にも朝日らしいリベラルな編集者として知られた人だったそうです。
でも、すべて見て見ぬふりをしてきたのです。「YOU、やっちゃいなよ」なんて、これほど悪い冗談みたいなコピーはありません。性加害やハラスメントに対しての人権感覚が鈍かった大昔の話ではないのです。今から4年前の話なのです。
■外圧でやっと重い腰を上げた日本のメディア
その朝日新聞は、今日(9月13日)の朝刊で、「メディアの甘い追及と日本型幕引き 『ジャニーズ問題で繰り返すな』」という、イギリスのインディペンデント紙やエコノミスト誌の東京特派員を務めたジャーナリストのデイビッド・マクニール氏のインタビュー記事を掲載していました。
朝日新聞デジタル
メディアの甘い追及と日本型幕引き 「ジャニーズ問題で繰り返すな」
何だか自分の「不作為」を棚に上げた厚顔無恥な記事とも言えますが、もちろん、見て見ぬふりをしてきたのは朝日だけではありません。そこには日本のメディアの惨憺たる光景が広がっているのです。言論の自由などない、あるのは自由な言論だけだ、と言ったのは竹中労ですが、自由な言論の欠片さえないのです。
ジャニー喜多川氏の性加害も、イギリスのBBCの報道によって白日の下に晒され、それが逆輸入されて(いわゆる“外圧”によって)日本のメディアがやっと重い腰を上げたにすぎないのです。
■メディアの悪あがき
しかし、ここに至っても、メディアの悪あがきは続いているのでした。それは、汚染水を巡る報道とよく似ている気がします。
今月の7日に行われたジャニーズ事務所の記者会見においても、新社長に就任した東山紀之氏に対する東京新聞の望月衣塑子記者の質問が、セクハラだとか東山氏を貶めるものだとか言われ、批判が浴びせられているのでした。さらには、彼女の質問の仕方はマナーがなってない、行儀が悪いなどと言われる始末なのでした。
Yahoo!ニュース
ディリースポーツ
ジャニーズ記者会見 質問4分超の女性記者に疑問の声「自己主張をダラダラ」「悪いことした奴には失礼な対応してもいい?」
まるで記者クラブが仕切るお行儀のいい記者会見が記者会見のあるべき姿だとでも言いたげな批判ですが、記者会見に「お行儀」を持ち出すなど、日本のメディアと世論のお粗末さを象徴しているような気がします。それこそ海外のメディアから見たら噴飯ものでしょう。
■望月衣塑子記者の質問
上記の朝日の記事で、デイビッド・マクニール氏は、望月記者について、次のように話していました。
首相官邸の会見にも出席してきましたが、まず、質疑のキャッチボールがほとんどない。記者の質問の多くは形式的で、鋭い追及も少ない。これは英語では“short circuit questions and answers”と呼ばれます。おざなりで省略型の質疑、という悪い意味です。菅義偉官房長官時代に厳しい質問を重ねた記者は、私の目には、国民の疑問を代弁するという負託に応えていると映る。でも、現場では記者クラブのルールや「和」を損ねた人物と扱われます。
朝日新聞デジタル
メディアの甘い追及と日本型幕引き 「ジャニーズ問題で繰り返すな」
マナーやお行儀で望月記者を批判したディリースポーツですが、じゃあ夫子自身は突っ込んだ質問をしたのかと言えば、そんな話は寡聞にして知りません。彼らが言うマナーやお行儀というのは、忖度ということなのです。臭いものに蓋をすることです。そこにあるのは、村社会の論理です。
ジャニーズ事務所の記者会見を受けて、先日、NHKの「クローズアップ現代」が、「私たちメディアはなぜ伝えてこなかったのか」として、NHKや民放の芸能番組の制作担当者にインタビューしていましたが、彼らが言っていることはただの弁解にすぎず、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。そこから垣間見えたのも、抗えない空気に支配され思考停止して唯々諾々と従う、日本的な村社会の論理でした。彼らは「条件反射だった」と弁解していましたが、丸山眞男はそれを「無責任の体系」と言ったのです。
記者会見で一番最初に指名され話題になった「赤旗」の女性記者にしても、当たり障りのない質問をしてお茶を濁すだけでした。「赤旗」でさえそうなのですから、あとは押して知るべしでしょう。
望月記者が東山紀之新社長に、自分のイチモツを皿の上に乗せて、後輩のタレントに「俺のソーセージを食え」と言ったのは事実かと質問すると、東山氏は「記憶をたどっても本当に覚えていない。したかもしれないし、してないかもしれない」と曖昧な答えに終始したのですが、その質問に対しても、轟々の非難が浴びせられたのでした。
しかし、イギリスのBBCがその質問を報道し、「ガーディアン」や「ニューヨーク・タイムス」など海外のメディアは、日本のメディアのあるものをないものにする往生際の悪い姿勢を揃って批判しているのでした。その最たるものがディリースポーツやJ-CASTニュースと言えるでしょう。
案の定、日が経つに連れ、東山紀之氏の社長就任は人格的にも不適任という声が沸き起こっていますが、一方で、大企業の相次ぐジャニーズ離れに対して、「タレントには罪はない」という考えを論拠にそれを疑問視する記事が、一部のスポーツ新聞や女性週刊誌に出始めています。ここに至っても臭いものに蓋をする忖度はまだ続いているのです。
ジャニーズとの決別を宣言した大企業は、そうしないと海外で事業ができないからです。スポーツ新聞や女性週刊誌のお情けに訴える疑問とはまったくレベルが異なる話なのです。
言論機関としての最低限の矜持も見識もなく、ジャニーズ事務所にふれ伏したメディアは恥を知れ、と言いたくなります。汚染水の海洋放出に関する報道もそうですが、日本の言論は異常なのです。ジャニーズの問題は、たかが芸能界の話にすぎませんが、しかし、それは異常な日本の言論のあり様を赤裸々に映し出しているとも言えるのです。
ジャニーズ事務所のパシリになり、嘘八百を並べてきた芸能リポーターや芸能記者は、メディアから即刻退場すべきでしょう。その引導を渡すのが世論のはずですが、しかし、哀しいかな、世論もまた、村の一員でしかないのです。