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(2022年12月)



■発熱騒ぎと血尿


昨日の朝も起きてトイレに行ったら血尿が出ました。そこではたとこの3日間続いていた、発熱騒ぎの原因に思い至ったのでした。

ここ数日、どことなく熱っぽく寒気を覚え、体調がすぐれませんでした。しかし、熱を測っても平熱です。そうなると、私の性格でよけい体調が気になり。それこそ30分おきくらいに熱を測るようになったのでした。しかも、ひとつの体温計では信用ならないので、2本の体温計を使って交互に測るという念の入れようです。

そして、一昨日の早朝5時頃、寝苦しくて目が覚め、体温を測ったら、37.3度に上がっていたのでした。咳などはないものの、これはもしかしたら新型コロナウイルスか新型インフルエンザではないかと思いました。

その日は仕事で人と会う約束になっていたのですが、すぐにメールでキャンセルすることを伝えました。その後、相手から「どうしたんですか?」とメールが来たので、「コロナかインフルの可能性がある」と返事をしました。

店が開く時間を待って、近所の調剤薬局に検査キットを買いに行きました。キット自体は、綿棒で鼻の中の粘液を採取し、それを抽出容器に浸して、テストプレートに滴下するだけの簡単なものです。

結果はコロナ・インフルともには陰性でした。しかし、自分でやっただけではまだ一抹の不安が残ります。

それで、ネットで抗原検査をやっている病院を検索して、商店街の中にある内科の医院に予約を入れました。

初めて行った病院でしたが(ちなみに、これで手持ちの病院の診察券は20枚を越えました)、別の部屋に通されて同じように綿棒を鼻孔に差し込まれたのですが、思わずのけぞるくらいに奥まで入れられたのでした。後頭部にしばらく痛みが残るほどで、もしかしたら自分の場合は綿棒の入れ方が足りなかったのかもしれないと思いました。

個室で10分くらい待っていると、ドクターがやって来て、「コロナもインフルもマイナスでした」と告げられました。「風邪にもいろんな種類がありますので、一般的な風邪でしょう」「解熱剤を処方しておきますので、また熱が出たらそれを飲んでください」と言われて終わりでした。何だか安心したようながっかりしたような気分でした。

ところが、その日も深夜になると熱が出たのでした。解熱剤を飲むとすぐに熱も下がり、体調ももとに戻ります。そして、翌朝、血尿を見てはたと思い至ったというわけです。

ある病院の泌尿器科のページには、尿管結石の発熱について、次のように書いていました。

夜間や早朝に起きることが多く、通常、3~4時間持続します。 一部には腎盂腎炎を併発し、38~40度の発熱を呈することもあります。


何のことはないまた一人相撲を取っていたのです。この状態がまだ続くようでしたら、休み明けにかかりつけの泌尿器科に行こうと思います。

下記の記事の中に書いていますが、先月、診察に行った際に血尿が出ていたので、石が動くことは想定されていたのです。痛み止めの座薬があるかどうか確認された上で、芍薬甘草湯を処方されたのですが、慌てふためいてそのことをすっかり忘れていたのでした。

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■消えゆく書店


今日の夕方、突然、ナンシー・フレイザーの『資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか』(ちくま新書)という本を読みたくなり、近所の商店街の中にある本屋に行きました。しかし、売り切れたのか、店には置いていませんでした。

それで落胆して帰ろうと思ったら、階段に「閉店のお知らせ」という貼り紙があるのに気付きました。10月末で閉店するのだそうです。書店の前には同じ系列の文具店もあるのですが、そこも一緒に閉店するのだとか。これでこの街から書店と文具店が全て姿を消すことになるのです。私も最近はアマゾンで買うことが多くなりましたので、偉そうなことは言えないのですが、何だかさみしい気持になりました。

仕方ないので、散歩ついでに新横浜まで歩いて、新横浜の駅ビルにある三省堂書店に行くことにしました。

すると、何ということか、新横浜の三省堂書店にも今月いっぱいで閉店するという告知が出ていたのでした。書店が激減しているのは街を歩いていてもわかりますが、淘汰は大手の書店にまで及んでいるのです。

新横浜には、以前は文教堂書店もありましたが、既に撤退しています。残すは駅から少し離れたプリンスペペの中のくまざわ書店だけになりました。

■新横浜の苦戦と横浜の落日


しかし、くまざわ書店は三省堂や文教堂に比べると売場面積が狭いので、品揃えも豊富とは言えないし、プリンスペペ自体もおそらく現存しているのは新横浜だけのはずです。

私は、このブログでも書いていますが、サラリーマン時代にセゾングループを担当していましたし、文教堂とくまざわ書店も担当していましたので、その内部事情や変遷もある程度は知っているつもりです。

新横浜のプリンスペペも、(今にはじまったことではありませんが)テナントの流出が相次いでいます。それは、駅ビルよりむしろ深刻な感じさえします。新横浜から書店が姿を消すのも遠い先のことではないように思います。

私が横浜に引っ越していた頃はまだ駅ビルはありませんでした。それ以前も、新横浜に取引先の会社があったのでよく来ていましたが、当時は、プリンスぺぺはあったものの、駅も簡素で、新幹線の高架下に飲食店などが入っている「名店街」のようなものがあるだけでした。ビックカメラも高架下の突き当りにありました。

地下4階・地上19階建ての駅ビルが完成したのが2008年ですが、15年でこの状態なのです。相鉄線と東横線が相互乗り入れするのに伴い、新しく相鉄・東急新横浜線が開通して新横浜駅とつながったにも関わらず、駅ビルは3階・4階を占めていた高島屋の食品売場が今年の2月に撤退して以来、あとのテナントが見つからず、2フロアがベニヤ板で囲われた廃墟ビルのようになっているのです。そして、11月からは8階の半分もベニヤ板で囲われることになるのでしょう。

横浜のもう一つの顔とも言うべき新横浜の苦戦は、単にネットの影響だけでなく、横浜の経済的文化的な落日を象徴しているような気がしてなりません。


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