
■バリアフリーの日
昨日(10月8日)の日曜日、映画「福田村事件」(森達也監督)を観ました。横浜のジャック&ベティで観たのですが、公開されて既にひと月以上が経つものの、昨日はバリアフリーの日で身体障害者の人たちが多く来ていたということもあって、観客は7割~8割の入りで大変な盛況でした。
昨日上映されたのは、耳が不自由な人向けに「バイアフリー字幕」が入っているバージョンでした。目が不自由な視覚障害者の方がボランティアに手を引かれて来ていたので、「目が不自由なのにどうやって映画を観るのですか?」と訊いたら、通常の音声とともにスクリーンに映し出された映像をボランティアのガイドの方が声で説明し、それをFMラジオで受信する「ライブ音声ガイド」というのがあり、それを利用するのだと言ってました。そして、手の平サイズの小型のラジオを見せてくれました。
また、映画館の担当者の話では、それとは別にスマホで利用できる音声ガイドのアプリがあり、視覚障害者だけでなく、多言語に対応してるので、日本語がわからない外国人の観客も利用しているそうです。
■福田村事件
「福田村事件」は、ウィキペディアや下記のサイトに詳しく書かれていますが、1923年の関東大震災の際に、千葉県の福田村(現在の野田市)で地域の自警団によって引き起こされた集団虐殺事件で、その実話を映画化したものです。
犠牲になったのは、四国の香川県から来ていた薬の行商人たちでした。彼らは、四国の被差別部落の出身で、ひどい差別の中で家族を含めたグループで全国をまわって、民間療法を謳い文句にした怪しげな万能薬を売り生活の糧を得ていたのでした。「行商は香川の部落産業」(下記のサイトより)だったのです。
香川人権研究所
福田村事件
映画の中で、行商人の彼らがお遍路さんの恰好をしたハンセン病の女性二人と遭遇する場面がありましたが、私は、それを観て、宮本常一が書いていた「カッタイさん」や「カッタイ道」の話を思い出しました。
私は、四国とは豊後水道を挟んだ対岸にある九州の大分県出身ですので、子供の頃、まわりには四国から移住してきた人たちが結構いました。町外れの川沿いには四国の人たちが住んでいる一角がありましたし、彼らは地域の人たちから差別的な目で見られていたのも子供心に知っていました。また、長じて地元の会社に勤めていたとき、四国の商売人たちが「ケツの毛を抜くほどえげつない」という話も散々聞かされました。四国は耕す土地が少ないので、外へ出て行くしかないんだと言われていたのですが、今回「福田村事件」を観て、その背景がわかったような気がしました。
犠牲になったのは15人のうち9人で、その中には妊婦や乳児も含まれていたのでした。
自警団の中で7名が有罪判決を受けたのですが、犯人たちは3年後の昭和天皇即位に伴う恩赦で釈放されています。しかも、下記の記事に書いているように、彼らには村から見舞金が支払われ、何事もなかったように村の生活に復帰しているのでした。それどころか、のちに村長(合併したあとに市議)になった者もいるそうです。
福田村事件では、福田村と隣の田中村(現在の柏市)の自警団員7名が有罪判決を受けましたが、懲役刑となった者も結局は恩赦で釈放されます。彼らには村から見舞金が支払われましたが、 犠牲者には謝罪も賠償もありません。九人も殺害された悲惨な事件にもかかわらず、野田の地元は口を閉ざしたままです。
(上記サイトより)
みんなが見て見ぬふりをして口を閉ざすのは、今のジャニー喜多川氏の性加害の問題と同じです。加害企業のルールに従えと言い、加害企業のトーンポリシングに拍手するメディアのおぞましさは、既に100年前の福田村でも示されていたのです。
■朝鮮人大虐殺
関東大震災では6千人の朝鮮人が殺害されたと言われています。しかし、殺害されたのは朝鮮人だけではありません。その中には、憲兵大尉の甘粕正彦によって殺害されたアナキストの大杉栄と内縁の妻の伊藤野枝、それにたまたま一緒にいた6歳の甥の橘宗一も含まれています。「鮮人」だけでなく「主義者」も標的になったのでした。
映画の中でも出て来ますが、「十五円五拾銭」と言わせて濁音がうまく言えなかった者は朝鮮人と見做されて、殺害されたのでした。一説には50人を超す日本人が朝鮮人と間違われて殺害されたとも言われているのです。
行商人たちの讃岐弁が理解できず、「鮮人」ではないかと疑いの目を向ける村人に対して、「デモクラシィ」を信奉するインテリの村長が「この人たちは日本人かも知れないので、(行商人が持っていた「鑑札」がホンモノかどうか村の駐在が本署に確認に行っているので)結果が出るまで待とうじゃないか」と訴えると、行商人のリーダーの沼部新助がつかつかと前に出て、「朝鮮人だったら殺してもええんか?」と村長に詰め寄るのでした。すると、その直後、彼の頭上に斧が振り下ろされ沼部新助は殺害されるのでした。
■「善良」な市民(庶民)なんていない
「福田村事件」に示されているのは、(このブログでも何度も書いていますが)私たちの〈市民としての日常〉の構造です。私たちの〈市民としての日常〉は本来はフィクションであって、在日朝鮮人や中国人や被差別部落民や障害者や生活保護受給者や路上生活者や過激派や、あるいは最近で言えばLGBTQなどの性的少数者を差別し排除する、そういった「差別と排除の力学」で仮構されているにすぎないのです。
フランスの「オルレアンの噂」が社会学では有名ですが、朝鮮人虐殺もそれと似た構造があり、私も東日本大震災のときに次のように書きました。
社会学ではフランスの「オルレアンの噂」が有名ですが、やがてそれはユダヤ人差別と接続され大衆扇動に転化したのでした。日本でも関東大震災の際に悲惨な朝鮮人虐殺がありましたが、それもまったく同じ構造でした。井戸に毒を入れたという噂に煽られ、朝鮮人や朝鮮人に間違われた日本人の頭上に斧を振りおろしていったのは、なにも特別な人達ではありません。普段は東京の下町に住む良き夫であり良き父親であるような、ごく普通の「善良」な人々だったのです。それが非常時の不安心理の中で、彼らの日常性の本質(「テロルとしての日常性」)がキバをむいて露出したのでした。私たちは決して「善良」なんかではないのです。ただ差別と排除の力学によって、そのように仮構されているにすぎないのです。
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映画を観るとわかるように、〈差別と排除の力学〉と言っても、昔は単純な図式でした。そのため、見えやすかったし、捉えやすかったのです。しかし、現在はネットから流言飛語が発信されるので、そのスピードが速く、あっという間に私たちの日常を覆い、「差別は悪い」「差別をやめよう」という建前の底に潜む”負の感情”に火が点けられるのでした。
もちろん、「テロルとしての日常性」というその本質は何も変わっていません。メディアがその先兵になっている構図も同じです。映画で描かれているように、「デモクラシィ」も非力で、いざとなればただの建前と化すのでした。100年前の福田村の村人が、現在はヤフコメ民に変わっただけです。
今の汚染水の海洋放出を巡る中国の反発や普天間の新基地建設に反対する沖縄県の姿勢に関する報道が、中国や沖縄に対する差別や偏見のコンテキストの中で行われているケースがあるのも事実でしょう。映画でも、朝鮮人が「井戸に毒を入れた」「放火した」「日本人を襲っている」などという、「不逞鮮人」キャンペーンを展開する新聞社での上司の部長(当時は「デスク」や「キャップ」という言葉がなかったようです)と部下の若い女性記者の対立が描かれていますが、それは今も同じです。100年後の今、メディアは裏声で差別を煽り続けているのです。そうやって俗情と結託(大西巨人)しているのです。
よく大震災のパニックと日本社会特有の同調圧力によって、虐殺が引き起こされたのだというような見方がありますが、それは一面しか見てないように思います。虐殺は偶然起きたのではないのです。私たちの「テロルとしての日常性」によって、起こるべくして起きたのです。その発火点が大震災であっただけです。前も書いたように、「善良」な市民(庶民)なんていないのです。
■水道橋博士
映画では、在郷軍人会の分会長の長谷川秀吉役を演じた水道橋博士の存在感が際立っていました。撮影されたのは、国会議員に当選して鬱を発症する前だったそうですが、この映画の白眉と言ってもいいようなすごい演技をしていました。文字通り身を削って「悪の凡庸さ」(ハンナ・アーレント)を演じたのです。北野たけしを「殿」なんて言っている限りはお話にならないのですが、北野たけしと手を切れば、役者として大きく飛翔できるような気がしました。国会議員や芸人なんかよりこっちの方が生きる道のように思いますが、それだけにもったいない気がしました。
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