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Wikipediaより



■スラヴォイ・ジジェクの投稿


私は前にユヴァル・ノア・ハラリの「ワシントンポスト」への寄稿について、彼も単なるシオニストにすぎなかったと書きましたが、現代の思潮をリードする知識人のお粗末さ(政治オンチぶり)は彼だけではないのです。

ラジカルな左派系の論客と知られるスラヴォイ・ジジェクの投稿が、『クーリエ・ジャポン』に出ていましたが、これが「古き良き」プロレタリア独裁や反議会主義を提唱するラディカリストの言葉かと思うと、みじめさしか覚えません。

クーリエ・ジャポン
ジジェク「パレスチナ人への同情と反ユダヤ主義との戦いは両立できる」

彼は、「故郷の地にとどまることを否定されたパレスチナ人と、同様の経験が民族の歴史に刻まれているユダヤ人が、奇妙に似通っている」と言います。そして、それを前提にして、言うなれば左右の過激派を排除した上で、穏健なパレスチナ人とユダヤ人の共存は可能だと主張するのでした。

でも、私は、ちょっと待てよと言いたくなりました。パレスチナ人が「故郷の地にとどまることを否定された」のはイスラエルが建国されたからです。ユダヤ人に土地を奪われて追い出されたからなのです。それなのに、パレスチナ人とユダヤ人の二つの民族の歴史(境遇)が「奇妙に似通っている」だなどとよく言えるなと思います。「奇妙」もクソもないのです。スラヴォイ・ジジェクが言っていることはメチャクチャなのです。

イスラエルのエフード・オルメルト元首相によれば、同国の進むべき道とは、ハマスと戦いつつも、反ユダヤ主義に陥らず、交渉の準備もあるパレスチナ人たちにアプローチしていくことだ。イスラエルのウルトラナショナリストたちの主張とは異なり、そのようなパレスチナ人もたしかに存在する。
(略)
すべてのイスラエル人が熱狂的なナショナリストでもなければ、すべてのパレスチナ人が熱狂的な反ユダヤ主義者でもないという事実の理解は、邪悪さの噴出をもたらす絶望と混乱を正しく理解することにつながる。故郷の地にとどまることを否定されたパレスチナ人と、同様の経験が民族の歴史に刻まれているユダヤ人が、奇妙に似通っていることに気づくだろう。


スラヴォイ・ジジェクは、「ハマスとイスラエルのタカ派は、同じコインの裏表である」と言います。そして、「我々はテロ攻撃に対するイスラエルの自国防衛を無条件で支援することができるし、またそうすべきでもある。しかしながら、ガザ地区を含むパレスチナ自治区のパレスチナ人たちが直面する真に絶望的な状況にも、我々は無条件で同情せねばならない」と言い、さらには「こうした立場に『矛盾』があると考える人は、事実上、問題の解決を妨げているのと同じである」とさえ言うのでした。

この投稿はガザへの地上侵攻の前に書かれたのだと思いますが、それを割り引いても、この陳腐な言葉の羅列には唖然とせざるを得ません。誰がどう考えても、彼が言っていることは「矛盾」があるでしょう。

そこには、ユダヤ教=ユダヤ人問題の根本にあるシオニズムの問題や、ハマスが2006年のパレスチナ立法評議会選挙で多数を占めたという事実や、ガザにおけるハマスの存在が「パレスチナにおける最大の人道NGO(非政府機関)」(高橋和夫氏)と言われるほど、ガザの民衆に支持されている現実に対する言及はどこにもないのです。

■PLOの腐敗


ハマスを掃討したあとにガザの管理をどうするかについて、イスラエルは直接統治をほのめかしていますが、その理由として、ヨルダン川西岸を統治するPLOがあまりに腐敗していることを上げているのでした。日本政府も、同じ理由からガザをPLOに任せることはないだろうと見ているという報道がありました。イスラエルや日本政府でさえもそう言うくらいなのです。

そもそもPLOはパレスチナ立法評議会選挙で敗北したにもかかわらず、その後、自治政府の連立を組むハマスをアメリカやイスラエルの支援を受けてクデーターでガザへ追い出したという経緯があるのでした。

にもかかわらずスラヴォイ・ジジェクは、「平和共存」の障害になる「テロリスト」のハマスと現在のネタニヤフ政権を含むイスラエルのタカ派を排除した上で、パレスチナ問題を解決すべきだと主張するのでした。漁夫の利を狙うPLOにとっては願ったり叶ったりの「提案」でしょうが、その政治オンチぶりには二の句が告げません。

イスラエルには、ネタニヤフよりももっと強硬な民族浄化を主張する勢力が存在し、支持を広げているという現実があります。多くのユダヤ教徒=ユダヤ人たちが依拠するシオニズム思想が、今回の”集団狂気”を呼び起こしている構造(「ユダヤ人問題」の基本中の基本)も忘れてはならないのです。シオニズムはどんな政治的主張より優先されるべきドグマなのです。ジジェクはそれがまるでわかってないと言わざるを得ません。

■パレスチナ人差別を肯定した左翼


東浩紀などもそうですが、机上の論考ではそれなりの言葉を使っているものの、現実の政治を語るようになると、途端にヤフコメ民とみまごうような陳腐で低レベルの言葉になってしまうのでした。それは、世間知らずというだけではなく、現実の政治に対する知識があまりに陳腐で低レベルだからでしょう。

もともとイスラエルの入植地の拡大に使われたキブツについても、左翼はキブツに原始共産制を夢見て”理想”と”希望”を語っていたのです。当時の左翼には、キブツの背後にパレスチナ人の悲劇があるという認識すらなかったのです。それは驚くべきことです。

当時の左翼は、パレスチナ人差別をユダヤ人に対する贖罪に利用することに何の疑問を持ってなかったのです。その過程において、現在のガザのジェノサイドと同じことが行われたことに対しても彼らは目を瞑っていたのです。その一方で、プロレタリアート独裁や革命を叫んでいたのです。まさにスラヴォイ・ジジェクは、当時の左翼と(二周も三周も遅れて)同じ轍を踏んでいると言えるでしょう。

それどころか、左翼ラディカリストのスラヴォイ・ジジェクが主張する「排除の論理」は、今のガザの殲滅作戦=ジェノサイドを肯定することにつながるものであると言ってもいいでしょう。もとよりそれは、スターリン主義に架橋されるような言説であるとも言えるのです。単にトンチンカンと笑って済まされるような話ではないのです。
2023.11.13 Mon l パレスチナ問題 l top ▲